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 冷たい風が、荒涼とした草原を足早に駆けていく。

急激に下がっていく気温を気に止めるでもなく、少年はただ歩いていく。

 西の空では血で染め上げたような夕陽が、いままさに地平線に沈もうとしていた。

生物の気配のしない草原に半円の建物──殷王の墓が遺跡のように浮かび上がる。

赤く照らされた王墓の脇に、小さな人影が一つ、ぽつんと佇んでいた。

それが誰なのか、天化にはわかっていた。

 「師叔…」

 

 

 『少し、一人にさせてくれ。』

 天幕から現れた後、太公望は短くそう告げた。

 何も話さなくても、天化も楊ゼンも解っていた。

太公望が出てくる少し前。

 天幕の中から、命の灯火が消える気配が『視』えたから…。

死んでしまったのだ、彼の妹は。

 太公望の目の前…恐らくはその腕の中で。

漠然とした確信が、出てきた太公望を見たことではっきりする。

目元は赤く腫れ、声は驚くほど掠れている。

その顔から完全に血の気が引いていた。

平静を装っているのは、一目でわかる。

けれど涙ひとつみせることなく、それどころか薄く微笑んでまでみせたのだ。

あまりの痛々しさに、誰も異議は唱えなかった。

いや、唱えられなかったといったほうが正しいだろう。 陵墓で日暮れまでに落ち合うことを

約束して、彼だけを残して、みな宿営地へと戻っていった。

 

 

 少女も天幕も、いまは既にない。

老婆を葬ったあと、戻ってきた他の孫たちと一緒に早々に西へと旅立っていった。

今頃はあの山脈を越え、家族の待つ西蔵へと向かっていることだろう。

遠ざかっていく彼らの影を、いつまでも太公望は見守り続けていた。

 

 

 「師叔…………」

 太公望が振り返る。

いつもと変わりのない、穏やかな表情。

 「迎えにきたさ。」

 ぶっきらぼうな天化の言葉に、ふわりと微笑む。

 「そうか…。すまぬな。」

 変わらない笑顔。変わらない声。

自分たちの望む『太公望』の姿。

 それがほっとする反面、ひどく悔しい。

また、彼の本心が見えなくなった。

幾重にも重ねられた虚像と本質の奥───誰にも触れることのできない不可侵の扉の深奥に

蔵い込まれ、跡形もなく消えてしまった。

 それが悔しくて…つらい。

 「見えるか、天化。」

 若木のような指が、東を指し示す。

 地平線から溢れた藍色の闇が天と地の境をかき消して、肉眼では何もとらえられない。

それでも、天化にはその指先が何を指しているのか、はっきりと見えた。

 「日の昇る向こう側に、わしらの倒すべき敵がいまも民を苦しめておるのだ。」

 眼差しは真剣で、一分の隙もない。

 「倒そうな、かならず。」

 揺るぎない意志を込めて呟く太公望に、天化は黙って頷くしかなかった。

 いつか、なれるだろうか。

傍らに立つこの人の、哀しみや苦悩を共に分かち合う存在に。

 贅沢な願いかもしれない。必要とされることに飽き足らず、誰よりも頼りにしてほしいと思うことは。

それでも。

 それでも、天化は願わずにいられなかった。

 

つよくなりたい……誰よりも、なによりも。

どんなときも、太公望の側にいられるように。

そして、いつでも彼の支えになれるように。

 

 「ゆくぞ、天化。」

天化にむかって伸ばされる、彼よりも小さな手。

 それをしっかりと握り締め、少年は一歩を踏み出した。

 もう二度と、後悔しないために…。



  『記憶の墓標』完




後書き…のようなもの

これは98年11月に発行した初封神本『夢幻泡影』に掲載した話です。
その頃はまだキャラの性格が掴めてなくて、書き上げるのに苦労しました。
ばらしてしまいますと、この話の天化の役どころは当初姫発の予定でした。
ところが書き起こす直前に天太にのめり込んでしまい(>_<)、全体として
天太テイストなお話になってしまいました。ごめんね、発っちゃん



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