ありがとう
静かに、そして速やかに、命を奪う。主の敵を、この世界から排除する。
ただそれだけが自分の生きる意味なのだと、深く深く彼は信じていた。まるで
解けることのない呪縛のように。
凍える冬の空気に生温かい血飛沫が雪のように舞う。
最後の一人を危なげなく片づけたジュリオは、足下に広がる惨状をひどく
つまらなそうに見下ろした。
「……これで終わりか」
「はい。ドン・オルトラーニから指示されたリストは、その男で最後です」
屍体の後始末のために現れた部下に尋ねれば、響くように簡潔な答えが
返ってくる。無駄を嫌う主人によく似た、訓練された猟犬のそれに鷹揚に
頷いてジュリオはその場を後にした。
埃っぽい倉庫を出たとたん冷たい風がコートの裾を揺らす。ろくな光も
ない室内から急に陽光の降りそそぐ外に出たせいで目眩のような感覚に
襲われ、ジュリオはかるく頭をふった。
――ジャンさん
閃くように浮かんだその名を、ゆっくりと胸内でころがす。俺の、黄金の
太陽。デイバンの王となるべく生まれた、運命の人。心に彼を思うだけで
ジュリオの冷えきった体にじわりと熱がともる。
ああ、はやく帰らなければ。彼のもとに。でないと俺は……。
「遅い」
おもわず洩れた舌打ちに背後で控える部下たちがびくりと身を震わせ、
顔色をなくす。敬服すべき絶対の主人ではあるが、先代とは質の違う
恐怖でボンドーネに君臨するジュリオの不興は、他のなによりも怖ろしい。
動物としての原始的な本能が、目の前の青年が撒き散らす狂気に反応して
けたたましい警鐘を鳴らす。命が惜しければ今すぐ逃げろ、と。
数分後ようやく迎えの車が到着し、不機嫌なジュリオが乗り込むまで
彼等は文字通り生きた心地がしなかった。
「ああ、ジュリオか。ご苦労だった」
穏やかな微笑みを浮かべたベルナルドが電話の玉座にもたれたまま、
入ってきたジュリオを出迎える。我が物顔で絨毯の上をうねる電線を器用に
避けて彼の前まで近寄ると、いつも通りに報告した。
「今朝受け取ったリストは、すべて片づけた」
「そうか――仕事が速くて助かるよ」
「……他に、処理が必要なものは」
「案件は幾つかあるが、特に差し迫ってるものはないな……今日はもういい」
わかった、と頷いて。ちらりと視線を彷徨わせたあと、かすかに表情を
曇らせてジュリオは口を開いた。
「あ……ジャンさん、は?」
姿の見えない主人を探すようにジュリオの双眸がせわしなく揺れ動く。
先ほどまでとはあからさまに違う態度と、声音に滲み出す恋情を感じ
取ったのだろう。レンズ越しの瞳が束の間おおきく瞠り、ベルナルドは
口元の笑みをいっそう深めた。
「ん? ああ、さっきまで居たんだけどね。お前と入れ違いで出かけて
いったよ」
返ってきた答えにジュリオは落胆する。
本部の何処にも気配を感じないから、もしかしてと思ったけれど矢張り
不在なのか。この部屋に入るまで高揚していた気持ちが、ジャンに
会えないという現実を前にみるみる萎んでゆく。
もう一週間も彼の顔を見ていない。それは仕方のないこと。自分は
幹部で、ジャンは組織の頂点に立つボスだ。こなさなければならない
仕事は山ほど在る。以前のように四六時中そばに居られないことは、
ジュリオも充分理解してはいた。
それでも、すこしでいいからジャンに会いたい。触れることができなくても、
言葉を交わすことができなくてもいい。ただ一目、彼の姿を見ることが
できたなら。この寂しさも耐えられるのに。
見えない耳を萎ませて項垂れる狂犬の様子に何を思ったのか、
ベルナルドの目が意味深に光った。
「ああ、そうだ。お前に頼みたい用事をひとつ思い出したよ」
どこか態とらしいその響きが落ち込むジュリオを瞬時に現実へと
引き戻す。瞬く間に戦闘員の顔になった彼に合わせるようにベルナルドも
表情を引き締め、幹部筆頭らしく厳かに告げた。
「これから大事な客人を迎えに行ってほしい」
「……どこに?」
「ちょっと待て――ええと、この住所だ」
机に山と積まれた書類の中から一枚のメモ用紙を取り出してジュリオへ
差し出す。
「いいか、相手は組織にとってとても重要な人物だ。くれぐれも丁重に頼む」
「その人物の特徴は?」
「若い紳士だよ。むこうはお前のことを知ってるから、行けばすぐわかる」
そんな曖昧な説明でなにがどうわかると言うんだ。メモを受け取りながら
ジュリオはベルナルドを睨む。しかし当の幹部筆頭は食えない笑顔を
張りつけたまま、ジュリオを見つめるばかりで。それ以上話す気はない
らしい。寧ろ早く行け、と碧の双眸が無言の圧力をかける。
「……わかった」
どこか釈然としないものを感じるが、位階が上の者からの命令は絶対だ。
無用な対立――特にベルナルドとの揉め事はジャンが悲しむ。優しげな
風貌の下に鋭利な刃を隠し持つこの男を、彼は兄のように信頼しているから。
ジャンさんを困らせてはいけない。そう自分に言い聞かせてジュリオは
部屋をあとにした。
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