ケイセンノハナ
傾仙の華


 

 

 …しゅるり。
しんっと静まり返った室内に、絹擦れの音が響く。
その意外な大きさに、少年はびくりと横を振り向いた。
 「…………んっ…………」
 息を殺して、隣の寝台で眠る友人の顔を食い入るように見つめる。
しかし少年の心配とは裏腹に、少女のような柔和な寝顔からは、一向に目覚める気配は

感じられない。
 内心ほっと胸を撫で下ろすと、少年は細心の注意を払って自身の寝台から抜け出した。
 そのまま音を立てぬよう、抜き足で扉へと近づく。
 (ごめんね……普賢)
同室の友人に心の中で詫びて、少年は部屋を後にした。
 
 
 ひたひたひた…
無人の回廊に、軽い靴音が響く。
 なるべく音がしないように歩いているつもりなのだが、まったく人気のない廊下は一種の

楽器にもにて、僅かな音でも必要以上に大きく奏でてしまう。
 それが判っていながら、少年は逸る我が身を抑えることが出来なかった。
 (もう、来ているかもしれない…)
今宵は、見事な満月。
 しかも、約束の時をやや過ぎている。
彼女が既に待っている可能性はかなり高い。
 そう思うと、少年の足並はますます速さを増した。
 
 
 
 その女性に逢ったのは、ちょうど半年ほど前。
なかなか寝付けず、気を紛らわす為に宮殿の展望台へと夜の散歩に出掛けた。
 その帰り道、ふと鍵の外れた門が目についた。
そこは仙丹に使用される植物の庭園で、高位の者しか入るのを許されていない場所だった。
 少年は、入った事がないわけではなかった。
だが、まだ知識の浅い彼は一人での入園を許して貰えず、常に道兄の誰か──一番多いのは

太乙真人だが──と同伴でしか、足を踏み入れたことがない。
 そんなこともあってか、それを目にした時、彼の中に悪戯心に酷似した好奇心が頭を

擡げたのは、無理もなかった。
 (ちょっとだけなら、いいよね)
誰もいないかもしれないし、もしいたら謝ればいい。
 うまく自分を納得させ、少年は鉄格子の門をそっと押した。
 「…!、わぁ………」
 庭園は、美的感覚にやや不安のある彼の目から見ても非常に美しかった。
大輪の白い花の群生が月光を浴びて、更に艶やかに咲き誇る。
それはまさしく桃源郷のような風景だ。
 「きれいだな……」
 目前の光景にすっかり魅了された少年は、用心も忘れてずんずん奥へと進んだ。
 (普賢にあげたら、きっと喜ぶだろうな)
どこまでも広がる純白の花畑に、同室の友人の顔が浮かぶ。
 草木の好きな彼のことだ。この花を見せれば、きっと心から喜んでくれるだろう。
 「でも持って帰ったら、無断で入ったことがばれちゃうし…」
 どうしよう…そう思案していた、その瞬間。
 「其処におるのは、誰じゃ?」
かけられた声に、少年は驚いて振り返る。
 「あっ………」
 「おや、おぬしは………」
 まったく気配がなかったはずの、そこに。
夢のように美しい女性が、静かに佇んでいた。
 「呂望、といったか…」
 薄い唇から漏れる自分の名に、少年は熱に浮かされた病人のように力無く頷いた。
 その後、彼女と何を話したのか───。
ほとんど、覚えてはいない。
 けれど、別れ際に交わした『満月になったら此処においで』という女性との約束が、

半年たった今も少年を呪うように縛りつけた。
 
 
 そびえ立つ門に、少年の手が触れる。
ほんの少し力を込めると、ギィィと耳障りな音を鳴らして開いた。
 ………どくん。
鼓動が、一際大きく跳ねる。
 
 今なら、まだ引き返せる。
 これは、いけないことだ。
 
そう思うのに、彼の足は止まらない。
 小さな垣根を抜け、庭園の中心にある翡翠の四阿へと引き寄せられる。
 白い花に彩られた、その建物には───
 「………呂望。」
 あの時と同じ奇跡ごとき絶世の美貌が、少年にむかって艶然と微笑んだ。
 
 
 「待っておったぞ。」
ため息とともに漏らされた言葉が、直に呂望の心を縛る。 

 「呂望……」
名を呼ばれ、呂望は誘われるままに女性に近付いた。
 「逢いたかった。」
 白磁の指が頬に触れたと思ったとたん、その柔らかな胸元に引き込まれる。
甘い花の匂いが、呂望の鼻孔を蠱惑げに擽った。
 「竜吉公主様……」
 「逢いたかった、呂望……」
 躊躇いがちに、彼女のその背に腕を絡める。
すると紅をひいた鮮やかな口唇が、羞恥に染まる呂望の視界を覆う。
 それの意味を理解し、彼はぎゅっと目を瞑った。
 「んっ……」
 重なった唇の端から、湿った舌がぬるりと滑り込む。
怯えて縮こまる幼い舌を器用に絡めとり、公主は思いのままに呂望を貪った。
 「んんぅっ………」
 (駄目っ…止めなきゃ……)
 濃厚な口づけを受けながら、頭の片隅で呂望の理性が必死に警鐘を鳴らす。
 これは、『イケナイコト』
 これは、『悪イコト』
判っている。それは、充分に理解している。
 (でも………)
判っていながら、呂望の身体は警告に従おうとしなかった。
 むしろ自ら進んで、公主にその身を晒け出そうとしている。
 まるで光に惑わされて炎に飛び込む、夏の蛾のように。

制御出来ない我が身に、幼い呂望は戸惑いを隠せない。

 けれど意識の奥深いところで、どこかそれを望む気持ちがあるのを、確かに感じていた。
 仙界一の『天涯の華』に狂わされるなら…と。
 
 
 長い髪が、気怠げに揺れる。
女神もかくやという完璧な裸体を惜しげもなく晒し、竜吉はゆっくりと起き上がった。
 「子供には、まだ少し早かったかのう…」
 僅かに悔いを含んだ、小さな呟きが品のよい口元をつく。
だが言葉とはうらはらに、花の顔(かんばせ)には至極満足そうな笑みが刻まれていた。
 そのまま、己が身の下に視線を落とす。
月明かりのもとで浮かぶのは、あどけない寝顔とはだけた胸元。
 周りを彩る花よりも白い、きめ細かな肌に咲く緋い花びらに、竜吉の瞳が眩しげに細められた。
 千年以上も続く『生』のおかげで、何事にも無感動になった自分の目に飛び込んできた、

小さな『花』。
 一目で、囚われた。
性急に手折ってしまったのは認めるが、竜吉は後悔はしていない。
 だって、
 「おぬしは、まさしく『傾仙の華』じゃからのう…」
 この自分を狂わせたのだから、間違いない。
遠からぬ未来、呂望は艶やかに咲き誇るだろう。
 無視することなど到底できない、目映いほどの光を纏って。
 その時、欲を捨てたはずの仙道がどれほど彼に溺れるのか、想像もつかない。
 なんにせよ早めに出逢えてよかったと、竜吉は『歴史の道標』に密かに感謝していた。
 少なくとも彼の中に、現時点では他の追随を許さぬ場所まで自身を刻みつけることが

出来たのだから。
 「はよう『よい男』になっておくれ。」
 祈りを込めて、その柔らかな頬に口付ける。
いまは、まだ小さな蕾でしかないけれど。
いまにきっと、彼は花開く。
 自分の為に、どんな『華』を咲かせるのか──考えるだけで胸躍る想像に、竜吉の口元に益々

深い笑みが浮かんだ。
 「また月が満ちたら、此処においで──」
 囁きは、呂望に届いたのか……
それは、月だけが知っている。

あとがき

や、やっとあがりました(T_T)。
リクエストは『公主と呂望のお話』でシリアスもほのぼのでもおっけーという
お達しだったのですが、なんだかリクエストとの間には深くて暗い川が
流れてるような気がしてます。ちょうど望ちゃん女の子本と重なってたため、
そこかしこに『官能小説の神様』の降りた名残が見えてますね(笑)
ん〜、ちょっち『アダルト』な仕上がりになってしまいました。
拙いですが、謹んでさわ様に捧げます。ちなみに二週間以内でしたら
クーリングオフがききま…はう゛う゛っ!!!(←何者かに背後から刺された模様。)

書庫に戻る