勘違いしていませんか
70年以上も前の、しかも今となっては馴染みの薄い山村の生活を描いたものがたりには、特に若い読者が思わぬ誤解を引き起こす元がいくつも含まれています。
あなたは勘違いをしていませんでしたか?
九月一日
黒い雪袴をはいた二人の一年生の子が
姿を想像できるでしょうか。この子らは着物(和服)姿なのです。丈の短い着物を着て、下は裸か股引をはき、その上にモンペをつけ、足には藁草履をはいています。他の子供たちも全員着物姿です。
まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり
いわゆる天然の、やや茶色がかった髪色です。染めた色ということはあり得ません。
それに赤い革の半靴をはいていたのです
「半靴」は短靴とも言います。長靴ではないという意味ですから普通の靴のことです。特別な長さの靴ではありません。子供が靴を履くのが珍しかったのです。
あいつは外国人だな
洋服を着ているだけで日本人の子供だとは思われなかったのです。おまけに髪の色が・・・
「わあい、喧嘩するなったら・・・」
「わあ」、「わあい」、「うわあい」などのせりふの意味については注意する必要があります。標準語的な「わーい」ではありません。「おい」ぐらいの意味です。
まるでせっかく友達になった子うまが
牧場やどこかの子馬、というのではありません。自分の家で飼っている馬のことです。馬は農家が農耕用に飼ったり、子馬を預かって育てたりしました。
先生が玄関から出て来たのです
優しい言葉使いから女の先生と思われがちですが、間違いなく男の先生です。(もし女なら必ずそう明記されたはずです。)分教場に一人で赴任して、一人で宿直もします(12日)。
先生はぴかぴか光る呼子を右手にもって
「呼子」は今でも学校の先生が使う普通の笛です。江戸時代の捕り物に使った竹製の笛ではありません。
白いシャッポをかぶって
「シャッポ」もただの帽子の意味です。特別な帽子ではありません。
みんなははきものを下駄凾に入れて
ほとんどが草履でしょう。晴れている山道ですから下駄の子は少ないでしょう。靴の子はまずいません。雨の日は草履がグチョグチョになりますから下駄の子が増えます。
キッコ、キッコ、
女の子の名前ではありません。この地方では男の子の愛称を「〜ッコ」というふうに言います。あとに出てくる「喜っこぅ」のことでしょう。
うな通信簿持って来たが
「通信簿」は通知表です。
わあい、さの、
「佐野」ではありません。女の子の名前です。ひらがな二文字の名前が多かったのです。
木ぺん借せ
「木ペン」は特別なペンではありません。普通の鉛筆のことです。
風呂敷をといたりして
特別に包んで来たのではありません。鞄を持たない子は普段からみんな風呂敷を使いました。それが普通でした。
先生も教壇を下りて
高い壇ではありません。せいぜい階段一段分ぐらいの高さの木の壇が黒板の幅程度に敷いてあって、教卓が乗っています。
昇降口から出て行って
「昇降口」はただの「出入り口」という意味です。数段の階段で出入りするのでそう言います。
九月二日
算術帳と雑記帳と
算術は算数のことです。
五年生の人は読本の
読本は国語の教科書のことです。
どこから出したか小さな消し炭で
「消し炭」は火を付けてから消した木炭(また使える)のことも言いますが、木の燃え殻のことをも言います。当時は薪を使いますからその燃え殻はどこにでもありました。
九月四日
ありゃ、あいづ川だぞ
会津川ではありません。「あいつ川だぞ」の訛りです。
午(ヒル)まがらきっと曇る
「午ま」はお昼のこと。午後は曇るという意味。
「午まになったら又来るがら。」は「お昼になったら〜」の意味。あんまり見っともなかったので
「見っともない」は元々は「直視できない、まともに見られない」という意味です。ここではその通りの意味だと思って下さい。
九月六日
下(サガ)ったら
「下がる」は下校すること。ここでは授業が終ったら、の意味。
水へ入ったように
「入った」は「落ちた」の意味です。川へ落ちたように。
「銀河鉄道の夜」に「ジョバンニ、カンパネルラが川へはいったよ。」とありますがこれも同じです。「オツベルと象」の最後も同じです。九月七日
肌ぬぎになったり
これは暑い時に着物の袖から腕を抜いて肩を出した状態です。ですから和服姿です。
はだか馬に乗って
馬が裸というのはわかりにくいですが、鞍を付けずに乗馬することをこう言うのです。
何だこの童(ワラス)ぁ、きたいなやづだな
読み間違えて「きたないやつだな」と思っている人がたくさんいます。「きたいな」は奇妙なという意味です。
九月八日
巡査に押えられるのでした
「押えられる」は捕まえられるの意味。
町の祭のときの瓦斯のような匂のむっとするねむの河原
祭りの夜店の照明にはアセチレンガスが使われました。しかし、ねむの木がそんな匂いを出すわけではありません。ガスの元になる石が捨てられているのでしょう。その匂いは説明しにくいのですが、プロパンガスの匂いをきつくしたような感じです。
九月十二日
下駄をはいて土間を下り、馬屋の前を通って潜りをあけましたら
馬屋は家の中にあるのです。板張りの床から土間へ下駄をはいて降り、土間の一部にある馬小屋の前を通り過ぎて外への戸を開けたのです。岩手県のこの地方では馬と同居する「南部の曲り屋」という家屋形式が有名です。
戸棚から冷たいごはんと味噌をだして
ごはんは白米のご飯ではなさそうです。この地方では米を作っていないようです。当時は米のご飯を食べない地方がたくさんありました。今で言う雑穀米というよりは雑穀のみのご飯です。麦が主体のものでしょう。もし米のご飯とするなら、相当の豪農ということになるでしょう。
台所の釘にかけてある油合羽を着て
油を染み込ませた紙製のレインコートです。水分を弾きますが、紙製ですので丈夫なものではありません。
一郎はしばらくうまやの前で待っていました
上に説明したように、これは外で濡れながら待っているのではなく家の中へ入って待っているのです。
先生があたり前の単衣(ヒトエ)をきて
「単衣」とはたとえば浴衣のように布が一重の夏用の着物のことです。布が二重の着物は袷(あわせ)といいます。
ここでは、たぶんは洋服姿であるいつもの先生からは想像できないくだけた普段着姿を見て意外に思ったものと思われます。
次は 鑑賞の手引き(2)
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