鑑賞の手引き(2)


“風の又三郎”とは

 ここでちょっと予備知識を得ておきましょう。
 風、特に強風は、一般的に言って農耕社会の人々にとって厄介なものです。和辻哲郎の「風土」は日本を含むモンスーン地帯の自然の暴威について「人間をして対抗を断念させるほどに巨大な力であり、」しかし「湿潤なる自然の暴威は横溢せる力(生を恵む力)の脅威であって、」この地域の「人間の構造を受容的・忍従的として把握することができる。」と言っています。ですから日本各地に伝わる風の神の神事「風祭り」は概ね「敬して遠ざける」ふうのものであり、そのことはその個別的名称からも解ります。「風鎮祭」、「風止め籠り」、「吹かん堂」、「トウセンボ」、「風の神送り」・・・。二百十日の「風の盆」も元は同種の由来のものです。
 東日本には古くから伝えられる
「カゼノサブローサマ(風のサブローサマ、風の三郎様)」があります。万有百科大事典(小学館)によりますと、新潟県佐渡島では二百十日に真言を唱えて風の神に災難除けを祈る行事、また古志郡山古志村では旧暦6月27日に粗末な小屋を作り、それを通行人にこわしてもらって、風に吹きとばされたことにして風の神に村をさけて通ってもらう行事が「風の三郎様」と呼ばれています。

 もう一つの面を見てみましょう。「生活の古典」(牧田茂、角川選書)では次のように言っています。
 宮沢賢治さんの童話で有名になった「風の又三郎」などという東北の妖怪も、八丈島や新潟県中魚沼郡などでは、いまも「風の三郎様」として祀られている風の神様なのです。カゼを引くという日本語などもその言葉通り直訳しては外人にはさっぱりわからないような言葉ですが、昔の人の考えでは、目に見えない悪霊のようなものが通り過ぎる時には風もないのに草が揺れたりするもので、それに行き当たるとカゼをひいたり、身体がだるくなったりするのだと思っていたのです。土佐の鵜来島(高知県宿毛市)で、身体の疲れた時など表を歩いていて、急にたまげるようなことがあって病みつくことを「悪いカゼに当てられた」といっているのなど、そのよい例であります。
 壱岐ではオコリのことをクサフルフといっていますがこれは、昔の人にとっては原因のわからない病気だったので、草をふるわせて通る目に見えぬ悪霊に行き当たったと考えたのです。(中略)

 
たとえば、新潟県の山奥と伊豆の八丈島とに同じ「風の三郎」という名の神様があったというような場合ですと、それはむしろ同じ例が遠く離れた二つの場所に残っているという意味で、大変貴重な資料となるのです。これこそ、むかしの形が残っているとみてよいのですが、(後略)
 9月4日の上の野原での草々の狂態を思い起こさせる記述です。嘉助はまさにカゼに当てられたのでしょう。

 この「三郎」という名はある地方の伝承によれば、新羅三郎義光が不思議な力で風を呼び起こしたという伝説に由来するということです。(「賢治童話の方法」(多田幸正、勉誠社))
 新羅三郎義光とは、八幡太郎義家の弟で後三年の役に参戦し東北にも縁の深い源義光のことで、いわゆる忍者集団の創始者とか、合気道の始祖ともされている謎の多い人物です。彼は幼くして弓馬の道に秀で、音律を能くし、有名な笛(笙)の名手であったと言われています。その義光と風の三郎と、どちらの伝承が古いのか、また両者が同一視され始めたのはいつごろのことかなどは不明ですが、人々が風の音を聞くときには義光の吹く笛を思い起こしたであろうとは容易に想像されるところです。
 また、「三郎」の語感は「さぶ(寒)い」という言葉に連結しているように私には思えますし、実際に言い伝えられてきた「風の三郎様」には「小僧」のイメージが伴っていたこと(日本伝奇伝説大事典 角川書店)も指摘しておきたいところです。
 「三郎」ではない、「又三郎」という名は宮沢賢治の創作だと言われています。「又」は夜叉の「叉」に通じ、鬼のイメージを感じさせます。また前身作「風野又三郎」
※1では、主人公以外にその兄も父も叔父も(また)、みんな名前が同じだとされていますから、そのことと関係があるのかも知れません。
 恐ろしい妖怪としての「風の又三郎」は後述の参考作品抜粋
「ひかりの素足」抜粋でごらん下さい。

参考:山崎進「宮沢賢治研究ノート(10)」(「四次元」昭和28・7宮沢賢治研究会)より「山崎善次郎→山崎進宛書簡」
 
作品に描写されている様な東北の山中に生れて、あの様な分教場に学び、あの様な山や川に遊び廻つた私も「風の又三郎」と云う風の神の子供を想像しておりました。
 よく父母に叱られて泣き止まないでいると父母は手で窓や障子をガタガタゆすぶつて、「ほら、風の(又)三郎が来たぞ。」と云ったもので、幼心に恐ろしいものを想像して泣き止んだものです。
 また障子の破れ目などで風がプープー音がしてゐるのを聞くと、もうすつかり「風の(又)三郎」が来るものと信じておつたものです。
 作品中の嘉助も「風の又三郎」とはその様なものと信じておつたのではないでしようか。東北の子供達が今でもそうした原始的畏怖感情が仂いておるかどうかは、わかりませんけれど・・・・・・



郎の正体

 高田三郎は「又三郎」であったのかそうでないのかについての侃侃諤諤は皆さんご存知の通りです。しかしこの問題について私はあまり迷うことはありません。
 三郎が風の精「又三郎」であったとすれば、初日彼がにやっと笑ったのも教室から消え失せたのも皆本当のことでした。ガラスのマントも空を飛んで去って行ったのも本当のことです。一方彼がただの人間だったとして読めば、にやっと笑ったのはみんなの気のせい、教室から消え失せたのも単なる見落とし、ガラスのマントは夢、空を飛んで去って行ったというのは思い過ごしに過ぎません。同じようにその他の重要部分、こまごました部分も皆このように両様に解釈できます。しかしだからといってそこからさて一体どちらが本当なのだろうという問いが本当に出て来るでしょうか。
 三郎が本当に「又三郎」であったとすれば、ものがたりは本当のことをそのとおり書いただけです。風の精が空を飛んでどこに不思議があるでしょう。そしてそれは風の精の化身に遭遇した子供達がその正体について半信半疑に終わってしまったというだけの話に過ぎないことになります。「風の又三郎」はそんな話なのでしょうか。
 「風の又三郎」のファンタジーとしての高名に惑わされず予断を持たずに読んで見ますと、実際のところ三郎はちょっと変わった小生意気な転校生にすぎません。しかし、そんな一個の人間が、偶然にまるでおあつらえ向きのように用意された位置にピタリとはまったとき、そしてそれがナイーブな自然児たちの集団の真っ只中である時には、なんと刮目すべき写像へと変換され得ることでしょうか。そしてその照り返しがなんと素晴らしい効果を生み出すことでしょうか。そんな可能性を私達は十分理解しています。そしてそうであるからこそ、このものがたりの備える見事なリアリティーに私達は唸るのです。
 こういう訳で、作外の私は思い悩むことはありませんが、作中の嘉助と一郎にとってはこの論理は通用しません。二人には是非思い悩んでほしいと思っています。


ディアとしての三郎

 実は大きなことを一つ言い忘れています。
 それはあの、風の歌のことです。1日と12日のそれぞれ冒頭で高らかに歌われているあの歌はものがたりにとって一体何なのでしょう。本当にただの転校生と子供達だけのものがたりなのなら感じるはずの、取って付けたような違和感をそこに見出すことは出来ません。
 私はこう思います。あの歌は正に風の又三郎、つまりあの時代、あの土地、あの社会にヴァーチャルに(実質的に)実在した存在の発するものであって、あの時代、あの土地、あの季節を当然に、暗に覆っていた。そしてものがたりは正にそこに発生した。つまり子供達は三郎を又三郎と同一視し、そこにつけ込んだ又三郎が三郎とのきわどいニアミスを果たし、子供達は決定的な妄想に捉えられる・・・。「風の又三郎」は裏側から見ると、このような高田三郎と子供達とそして風の又三郎との三つ巴の
ものがたりなのだと。(上の「三郎の正体」で述べたのは表側の相ということになります。)

 ものがたりの見方を再構築してみましょう。
 9月1日、子供達が三郎に又三郎を見た、そしてそれと戯れることを望んだとき(それは裏側から言えば又三郎が三郎を通して子供達と戯れることを望んだということと同値です。)、風の精霊又三郎はこれを好機と三郎にまとわり始めます。そして4日、ついに三郎に取り憑いて又三郎を演じさせ、特に嘉助の目には決定的な姿をさらします。嘉助ははっきりとそれを見たのに、「三郎がまるで色のなくなった唇をきっと結んで・・・」と、三郎本人に自覚がなさそうなのは明らかにメディア(よりしろ、媒体、霊媒)としての特徴を思わせます。


 (三郎と子供たちの関係に又三郎は三郎の側からアクセスしている。)

 その後三郎は又三郎の役を引き受けそうでもあり(6日)、また、現実(大人の)世界に引き戻されそうでもあるのを子供達が必死に防ごうとしたり(7日)して、8日を迎えます。
 この日三郎が「髪の毛が赤くてばしゃばしゃしているのに、あんまり永く水につかって唇もすこし紫いろなので」と、本物の鬼(尋常世界ならざる者)のようになった瞬間を捉えて又三郎は今度は子供達のほうに憑依して、三郎に対し又三郎を引き受けろという声を上げさせます。三郎はびっくりしますが、子供達は「そでない、そでない。」と、やはり自覚がありません。
 その後どうなったかは残念ながら記述がありませんが、子供達が一定の愛惜の念を持って三郎=又三郎を見送ることになったいささかの過程を想像することが出来ます。

 再び「風の又三郎」とは、一人の転校生を稀有の契機として風の精霊が子供達と戯れた12日間の奇妙な交歓ものがたりであると規定することができるでしょう。


とわり付き・そそのかし・のりうつり

 又三郎の動きを日を追って整理してみましょう。
 なお、これから言うまとわり付きとは、風があえて三郎の周囲に巻き起こること。
 そそのかしとは、又三郎が人をしてなにげない言動をさせること。
 のりうつり(取り憑き)とは、又三郎が人をして怪異の言動をさせること。を意味します。

 1日、子供達は三郎を又三郎と思い込む。その機を逃さず風は早くも三郎にまとわり付く。
 2日、ややそそのかされている三郎の言動が子供達をとらえる。
 4日、朝からまとわりついていた又三郎は嘉助、三郎をそそのかし、状況を見て猛烈に接近し、一瞬三郎にのりうつる。
 6日、又三郎は三郎をそそのかし、軽く風の役を演じさせてみる。
 7日、三郎は現実世界に引き留められている。子供達は三郎を通じて又三郎と遊びたい、又三郎は三郎を通して子供達と遊びたい。利害の一致する両者は三郎を非現実世界に呼び戻そうとする。
 8日、又三郎は好機と見て子供達にのりうつって、三郎を一気に取り込もうとするが・・・。
12日、又三郎は未練を残し去って行く。子供達はその気配を三郎からのものと感じる。

 風の精霊は一貫して三郎をメディアとして子供達と交流したがっていたように思えます。当然のことに悪霊としての本性を持つ又三郎の試みは子供達にとって強烈過ぎ、やり方を変えた又三郎に対し思いのほか我の強い三郎はなかなか意図通りには取り込まれなかったようです。又三郎は本当は嘉助のようなもっとナイーヴなお誂え向きの少年をメディアとして選ぶべきだったのでしょうが、目を付けた転校生は気の強い合理主義者だったのです。(しかし嘉助の方はちゃんと又三郎の発見者・強烈な感応者として働いてくれることになりました。) 試行錯誤ののちあせって奇策を弄したりする又三郎の見えない姿は恐ろしくも幾分ユーモラスに、また憐れにも感じられます。
 ここで改めてうらおもてをひっくり返してみると、又三郎のまとわり付きとは、三郎と風との関連を子供達が意識すること。そそのかしとは、登場人物の何気ない言動が子供達の思い込みに沿うこと、あるいはそれを促進する方向に働くこと。のりうつり(取り憑き)とは、極めて思いがけない突発的状況が奇しくも怪異の物のしわざそのものであると思い込まれること。と言い直すことができます。これらはもちろんものがたりの表の相を言う言い方であることはお分かりでしょう。
 ついでながら、作品「風の又三郎」に捉えどころのない宙ぶらりんの感じ、足が地に付かない感じを禁じ得なかったという方も、このように考えて来ることで、ものがたりを貫く筋が分かったと安心していただけるかも知れません。

 さて、以上のような裏側の見方、あるいは深層構造を考えに入れても、三郎は決して又三郎ではないということについては変わりはないということはお分かりいただけると思います。

の問題 

 と、ここまで書いて来てたった一つだけ何か引っかかるところがあるような気がしてしょうがないのです。それは12日の冒頭、「先頃、又三郎(三郎のこと)から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中で又きいたのです。」という一行についてのことです。
 単なる転校生である三郎がなぜ風の歌などを歌って聞かせたのか、彼はその歌をどこから仕入れたのか、何も知らされない私としてはなんとなく釈然としません。
 三郎に又三郎がのりうつって歌ったと考えることは出来ないように思います。のりうつりは何らかの切迫した危機的状況でのみ起こるはずです。憑依された三郎がみんなに歌を聞かせるような場面は考えられません。いや、あるいはその後完全に又三郎に取り込まれた三郎が全き風の精の化身として穏やかに歌ったのでしょうか。いえいえ、もしそうならば最終日、子供達があれほどまでに惑うはずがありません。
 やはり三郎は自らの意志で風の歌を歌ったのに違いありません。しかしなぜ・・・。
 あれこれ考えてみると、これはひょっとして、もしかしたら、
三郎は決して又三郎そのものではないとしても・・・と、私も頭の隅のほんのかすかな妄想のうごめきのようなものを否定することが出来ないのです。
 もちろん、作
のこの部分は前身形「風野又三郎」からの横滑りに当たる所ですから※2、作者の本当には意図しないうっかりが原因の齟齬だと考えることもできますし、あるいは一郎の夢の中の錯覚だとして逃げてしまう手もあるでしょうが、しかしもしこの冒頭部分が単に「又三郎(三郎のこと)がこんな歌を歌うのを一郎は夢の中できいたのです。」となっていたら、私はなんの引っかかりもなくこの項を書き終えてしまうことになっただろう、それはまた寂しいことだと思いついてみると、なるほどこの部分は私にとって「風の又三郎」の汲めども尽きぬ魅力の源泉の一つとも言うべき妖しい熱水鉱脈であり、いつまでもこのものがたりに惹かれ続けていく理由の大きな根拠ともなる部分であるのだなと思い定めるのです。


 三郎の正体については
三郎の正体の根拠を参照してみてください。後述の「風の又三郎」の謎風の又三郎クイズ「最後の問題・みなさんの答え」も参考になります。
 なお、私としてはもう一度サイトのおしまいの方でも考えてみるつもりです。

 どうもほじくり過ぎてしまったような、肉を削ぎ過ぎてしまったような気がしないでもありません。ものがたりはもっと表層に意味を持つのだということも忘れてはならないと思います。



の読み方

 そうです。ものがたりの深層構造は上記のようなものであったとしても、作品のテーマは何かということになるともちろん答えは一通りではあり得ません。それぞれの好みもあるでしょうが、私はまず次のように読んでみました。

 山あいの小さな世界に住む子供達。精神的にも社会的にも空間的にも、より広い世界への渇望を内に秘めています。

 その小さな世界に外の世界からの台風のようにやって来て日常をかき回し、みんなを振り回す転校生三郎。

 敏感な嘉助は彼に異常な関心を持ってしまい、ほとんどそそのかされるようにその渦の真っ只中に引きずり込まれ、危険な目に会います。

 三郎自身は徐々に自分の役割に気付かされていきます。

 一郎は努めて冷静に受け止めようとしますが、この出会いを自らの内なるものに自覚的に向き合い始めるきっかけとすることが出来たようです。

 台風と三郎はそれぞれの胸に何かを残し、去って行きました。


 伝統的社会の因習に囲われた子供たちと、別の種類の社会性を身につけた三郎と、そしてその間にうまく位置することになった「又三郎」の概念。そんな意味では「又三郎」こそがメディアでした。
 子供たちには三郎は「又三郎」のような異人に見えます。ところが三郎にとっては「又三郎」はついに接近し尽くせなかった土着社会の象徴でした。そのメディア「又三郎」を中心として両者がぐるぐる回転しながら果たされた際どい接近遭遇のものがたり――


 (三郎と子供たちはお互いの方向に又三郎を見ている。)

 また、村の子供たちは自然児です。遠い町からやってきた三郎に比べれば、土地の精を思わせると言ってもいいくらいの存在です。そんな土着の存在が外的世界の精を思わせる者と出遭って引きおこされた興奮、緊張、融合、反発――まるで神話に語られた人間くさい神々のドラマのようなものがたり――。「風の又三郎」は土地土地に神々が宿っていたそんな最後に近い時代の神話であると言うこともできるでしょう。

 もう一つ指摘しておきたいのは嘉助の存在です。 もしあの学校に嘉助がいなかったらきっと何事も起きなかったでしょう。三郎と又三郎を結びつける触媒は嘉助だったのです。そして事態は嘉助というメディアから伝染した集団的オブセッションだったのです。


 (三郎と又三郎を嘉助が結び付け、子供たちはそれを見ている。)



助の「風の又三郎」

 作中には嘉助が「あいつは風の又三郎だ。」と叫ぶ場面が七ヶ所にわたって配され、これがクサビとなって作の展開を引き締めていると言われます。(恩田逸夫「風の又三郎」-「國文學 解釈と教材の研究」昭和38・9學燈社-)
 それではおしまいに、この嘉助が全面的に正しかった場合、つまり錯覚でも比喩でもなく本当に事実として三郎がまさに又三郎そのものであったとした場合のものがたりの意味を述べてみると、大体こういったふうになるでしょう。

 又三郎は北海道生まれの若い風で、父に連れられて長征に出ました。

 1日、二百十日の風の仲間と一緒に東北上空に来た時、風である自分が子供たちにどう受け取られているのか知りたかった又三郎は父にせがんで人間世界にまぎれ込もうとします。正体を隠し人間の子供に化けた又三郎はガラスを割り、石ころとともに教室に飛び込みました。でも、化けきれていない又三郎は奇異な格好です。嘉助のでまかせに言い当てられた又三郎は一旦姿を消し、改めて帽子で髪を隠し、態勢を立て直して校庭に現れました。先生をだますのは訳ありませんでした。
 帰りには運動場が気になってしょうがありません。若い又三郎は早速つむじ風を起こしてみたいのです。

 2日、又三郎は運動場のどの辺がいいか考えました。そしてちょっと不用意につむじ風を起こしてしまったのです。早速警戒されてしまった又三郎は嘉助たちが見張っているのでおとなしくせざるを得ません。鉛筆騒動だってほんとの又三郎にとっては不本意な成り行きでした。人の物はもぎ取ってみたいのです。火の消えた消し炭を見ると吹き付けて火をおこしたい気持になるのです。ほんとはもっと暴れてみたいのです。

 4日、又三郎は遠くの川を見て、北海道で何度も見下ろした雄大な川を思い出しました。
 朝から待ちきれなかった又三郎は好機をとらえ、ついに思い切り吹き荒れようとします。しかし子供たちにとっては強烈過ぎたことを知り事態を収拾しますが、このとき嘉助に正体を見られてしまったことには気付きません。馬は上空から見つけて、強い風を吹きつけてなんとか嘉助のもとへ連れて来ました。

 6日、又三郎のお母さんはヤマブドウをたくさん吹き落として発酵させ、良い匂いを辺りに吹き広めるのが得意なのでした。
 又三郎はこの日は小出しに風のしわざを演じて見せます。たばこの葉をむしると思いがけず激しい反発を受け、青い栗のイガを落として反応を見、もっとちょっかいを出したい又三郎は木のしずくをかけて耕助を挑発して風に対する子供たちの考えを言わせ、また風の方の言い分も言ってみます。又三郎たち風はつねづね風車を回すことに自負を感じているだけに、そこは十分説明したいのでした。

 7日、風としてあちこち飛び回る又三郎はその広い見聞をひけらかしたくてしょうがありません。同時に人間の子供としてはどうふるまっていいのか少しとまどっている又三郎です。
 又三郎は川の上を静かに渡るのが得意です。みんなの泳ぎは水を乱しすぎるのです。でも潜るとなると又三郎も不得意です。
 鼻の尖った男は風の仲間の乱暴者です。川を荒らしながら又三郎に近づいて来ました。

 8日、夢中のうちに思わず又三郎は本性を顕わしそうになります。その時、自然に対して敏感な子供たちが無意識のうちに三郎の正体を言い当てる声を上げました。たかをくくっていた又三郎はショックを受けます。(正体をズバリと言い当てられて退散する怪物という典型的な民話モチーフそのままに、ということができます。)
 
 12日、子供たちには本当には気付かれてはいなかったのですが、早合点をして神通力を失った又三郎は二百二十日の仲間のしんがりで名残惜しげに去っていきます。
 又三郎は一郎にさよならを言いたかったのですが、また青い栗を落として贈るのが精一杯でした。そして最後まで学校を吹き付けて別れを惜しんでいます。

 さあ、こう見てみるとこれもまた何と面白いファンタジー(おとぎ話)でしょうか。ある種の教育的場面ではむしろ積極的にこのような読み方を示唆した方が良い効果を得られることもきっとあるでしょう。
 
しかし作者は決して直接このように受け取られる書き方をしていないこと、つまりこの作品を単なるおとぎ話として書いたわけではないことに留意したいと思います。

 作品冒頭の「どっどど どどうど・・・」という魅惑的で力強い歌により膨らまされた幻想的ものがたりへの期待は、4日のクライマックスと思える場面での急速な現実への撤退によりあっさりとしぼまされてしまいます。また8日では極めて現実的で緻密な遊びの描写の連続を幻想的叫びが一気に収束させますが、それは全くあとを引きません。
 この作品での「幻想的」要素は決定的な場面を演出するものでありながら抑制的、瞬間的なものにとどまっており、幻想ものがたりだと思うとふっと現実に引き戻され、現実だと思うとふいに幻想が介入する・・・ そんな一種不安定な構造を支えているのです。

 また例えば又三郎が空を飛んだ4日は日曜日でした。もしそれが4日ではなくて同じ日曜日でも11日に設定されたのだったら、ものがたりの流れは次のようになったでしょう。
 又三郎はまず6日に子供たちと軽いジャブの応酬を行い、8日に子供たちから逆襲を食らい、11日に決定的な姿を披露し、そしてすぐに去って行く・・・
 このような流れの方がお話としては随分自然で安定しています。しかし実際の流れは次のようなものです。
 いきなり4日に決定的な姿を現したように見えるのに6日にはジャブの応酬、8日に逆襲を食らい、そのあと謎の空白を挟んでから隠れるように去って行く・・・
 これはまた単なるおとぎ話にしては何と含蓄的過ぎる展開でしょう。

 (この意味で、映画化された作品ではいずれも葡萄採りの場面を上の野原行きよりも前に設定しているのが注目されます。
※3

 あくまでも現実を離れない上での虚実のせめぎあいが構築した独特の世界。それが「風の又三郎」の世界なのだと思います。


 「風の又三郎」の一般的な評価は各種の事典類によって知ることができます。

事典に見る「風の又三郎」


 もっと考えてみたい方へ―――
 以上はごく基本的な読解の手引きにすぎません。大きな本屋さんへ行くと独立した宮沢賢治のコーナーがあって、そして「宮沢賢治の童話・・・」というようなタイトルの本がいくつも並んでいます
※4。それぞれに独特の視点からの読解を披露していますので、きっともっともっと興味ある発見にめぐり会わせてくれることでしょう。
 なお、「風の又三郎」をタイトルとしたものは次の三点です。
 
「謎解き・風の又三郎」(天沢退二郎、丸善ライブラリー)
  原作草稿の成立過程を解き明かしながら様々な記述の矛盾点にこだわって作品の意味を考えている。
 「宮沢賢治・『風の又三郎』論」(山下聖美、D文学研究会)
  父性原理に支配される子供たちと母性原理を希求する三郎との葛藤の物語と見る。
 「宮沢賢治『風の又三郎』精読」(大室幹雄、岩波現代文庫)
  作者論、宗教論、物語論。童子神としての高田三郎の拠って来たるところ。作品自体を詳細に精読しているわけではない。


※1 作品の成り立ち先駆作品
※2 作品の成り立ち参考作品紹介「風野又三郎」を読む
※3 映画「風の又三郎」
※4 おしまいに
読書案内・関係書籍


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