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◆ We are brother countries Japan and Nepal(2) 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
2.The History of Tribhuwan University
これはネパール国の悲劇であった。そこが日本と違うところである。ここにある二人の写真があります。日本人ならこの二人を知らほない人はいません。この二人を愛し尊敬しない日本人はいません。この写真は津波で両親を失った小女を励ましている天皇皇后両陛下の写真です。この日、陛下の到着を待つ全員の人たちは正座して待つていた。しかるに一人の若者はあぐらをかいていた。テレビでこの場面を見た人々はこの若者を非難した。陛下が訪問を終えて席を立った時、その若者は手をくんでナマステのゼスチャーをした。ネパールには正座するという習関がないのです。どうかこの若者を大目に見て貰いたい。
さて、ネパール王国からネパールリパブリックになったのはわずかジユウ数年前である。皮肉と言えば皮肉である。国王がそのことについて不安になったのは。次のフオトは創立当時の建物である。今は荒れ果てた建物になっている。木が生い茂り根がそれらを切り裂いている。
最初に1967年、創立当時は各部門が日本の信州大学のように多くの場所に分かれていた。
Tribhuvan大学のTri-chandra collegeの歴史についてお話しましよう。当大学の教授スニル・アディカリさんが語つたところによるとTribhuwanは国王の名前である。この大学への入学が許されていたのはこの大学が1918年に設立された当時は国国王の子供たちとその親族だけであつた。これは国民は無学の方が国を治め安いと考えたからであつた。彼は国の発展も国民の安寧も考えなかった。国王は王位を奪われ宮殿から追い出された場所は(今は博物館になつている)政治改革が後に成し遂げられ、ネパール王国からネパール共和国になって国民の妹弟が人学出来るようになつたのはつい数年前のことです。次の写真は100年前に建てられた建物です。今は使われていません。今や荒れ果てた家になつています。木が生い茂り根がはびこつています。
さてこの本には書いてありませんが、Tribhuvan大学学長のSnil adhikary氏についてお話しましょう。彼は日本に学士留学し名古屋大学の大学院でMeteorologyの博士号を得た人物です。私は長良川へカヌーに行つた帰りによく彼のアパートに泊めて貰いました。そのころのことが懐かしく思い出されます。さて12ページの写真の説明をします。当時はセメントがなかったので、彼らは小麦粉とネンドを混ぜて使いました。天井はこのようになつています。
100年前は時計がなかつたので彼らは日時計を使いました。
また、湿気を防ぐためコンクリートの床の下には粘土のパイプが設置されていました。
この時計台は90年前の大地震で倒れたのを再建したものです。3年前の大地震(1815年4月25)の際には1インチも動かなかつた。それを塗装し直したのです。(15ページをご覧ください)

2024/09/27(Fri) 11:04:04 [ No.10142 ]

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