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◆ 14.田部井淳子と野口健 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
ここに皆様に是非お知らせしたい二人の人物がおります。彼らは二人とも登山家です。田部井淳子と言えば皆様どなたも彼女をご存知でしょう。彼女は初めてエベレストのてっぺんに立った女性です。1975年の5月16日でした。今日までに世界中から40人以上の女性がエベレストの頂上に登っています。関心のある方は是非彼女が著した「エベレストの女性たち」をお読み下さい。私はこの本を2016年、タメルの古本屋で求めました。(ネパールの外国人観光客が集まる通り)
もう一人は野口健です。エベレストを含めて世界七カ国の最高峰を制覇した若者として知られています。 しかし彼はエベレストの清掃員として有名になりました。彼は世界中から来た登山家たちの空になった酸素ボンベや必要なくなったテント、その他のゴミを捨てて帰ったゴミをヘリコプターでベースキャンプに運びました。6000mを超える場所での作業は実にきつかった。世界の登山家の中には彼のしている事を好ましく思わない人もいた。酸素ボンベに記された名前が世界に知られてしまうからです。
三年間のその事実が世界に知れ渡つた。
野口はその著書「落ちこぼれてエベレスト」に書いています。
ゴミと格闘している間に地理的に分かれているが二つのパーティーがあった。一つは全てのゴミを持ち帰るパーティーである。もう一つは置いて来たゴミを取りに戻って来るパーティーである。それは日本、韓国、中国である。

101p.
彼はヨーロッパから来た登山家が彼に言った言葉を決して忘れない。「君たちはヒマラヤを決して富士山のようにしてはいけない」毎年3万人以上の人が富士山に登っている。そして山頂にゴミを捨てて帰っている。三年後日本に帰った野口は富士山クリーンキヤンペーンチームを立ち上げた。それは今日まで続いている。今年(2018年)は11月23日に行われます。

もう一つの彼の活動は残されたシエルパの家族を助ける活動である。エベレストを含めてヒマラヤの高山はどうしてもシエルパの助けがなければ登ることはできない。シエルパは自分らの家族を養うためには嫌でも登らなければならない。そして多くの登山家とシエルパは命を落して行った。


102p.
橋本龍太郎氏(総理大臣)は日本山岳会の会員でもあり、日本山岳ガイド協会の会長を長きに渡って務めた。
1973年、第二次RCCのエベレスト南壁(現.南西壁)の遠征隊の総大長を務めた。この他にも、海外遠征隊の総大長になったりあるいは総指揮を担当した。登山家の野口健とも親しい。2000年にエベレストの清掃登山を行っていた野口健は12年前に同じく登山を果たした橋本総大長のJPNテレビ登山隊(日中ネパール合同隊)が置いていった酸素ボンベを発見し帰国後橋本の議員会館を訪れて酸素ボンベを届けた。当初橋本龍太郎は野口を失礼な人間だと感じたが、これがきっかけで二人は親しくなり野口は橋本を父親のように慕っていたという。2006年正月に野口は橋本から「自分はもう登山は無理だから、これを持って行け」と橋本愛用のピッケルを渡されたという。山をこよなく愛したことから、青山墓地にある一家の墓地とは別にエベレストを望むネパールのタンポチェ村に慰霊碑がある。野口はヒマラヤ登山の度に訪れている。慰霊碑は2007に完成し、同年3月30日に、日本からの関係者も出席して式典が営まれた。

2024/10/09(Wed) 01:03:09 [ No.10148 ]

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