私が初めてネパールへ赴くようになったそもそもは厳寒の志賀高原でキヤンプしたことに始まる。夜9時か10時、仕事を終えたネパール人のシェフ達が持参したビールを、私が持って行ったツマミを肴に、深夜まで呑んだものでした。彼らが帰って行くのを見送りがてら小用を足そうとテントを出ると、ゲレンデの上の方でピステンの動き回っている音がするではないか。翌日滑るお客さんの為にゲレンデを均しているのだ。こういう人達もいるのだ。偉いもんだ。さて、ネパール人のシェフ達は冬になると毎年働きに来るもんで日本語がとても上手だつた。その一人ブバン・パンデー氏が私に言ったものでした。「先生、ネパールへ行きませんか。首都のカトマンヅからは見えないけれど、国際都市ポカラへ行けば、世界の最高峯エベレストをはじめ7000メートルクラスの山々が望めます。参考までに日本の最高峰富士山は3776メートル。小学校の時「皆なろう」と教わったものだ。 さて、私も登山が好きで、マミクトイは全部登った。スキーを担いで登った山もある。マミクトイとは斑尾、妙高、黒姫、戸隠、飯綱のことである。他に、浅間山、八ヶ岳も制覇した。自慢話ぽくなって恐縮です。私の悪い癖でいつも話が脱線する。初めてネパールを訪れた時、とても驚いたことがあります。それは、停留所で待っている人達に対して「どうぞ」と言ったことでした。お客さんが皆乗り終えると、運転手に向かって「発車どうぞ」と言ったものでした。私が満員バスの中で立っていたら若い人がスッと立って席を譲ってくれたのです。ある時「私はまだ若いです」といったら周りの人たちが皆笑いました。当時70才の私が言ったので。そうだ。寿命の話が出たついでに、ネパール人の平均寿命について述べてみたい。日本人と比較すると驚くべきことが分かる。
日 本 人――男79歳 女86歳 ネパール人―男60歳 女59歳 昔は日本も男尊女卑で女性の地位も低く、例えば夫婦で一緒に農作業をしても家に帰れば、亭主は先ず一杯、妻は夕食の支度と忙しい。今はそんなことをすれば妻は黙っていない。「あなた何よ」夫婦喧嘩間違いなし。 参考までに2010年に日本の厚生労働省が発表した県別の平均寿命で我が長野県は男80.88歳、女97.18歳で見事日本一となった。長野県は昔から長寿県だったわけではなく、かつて脳卒中の死亡率が全国トップクラスだつたことがある。原因は、海がなく山あいの土地が多い長野では、塩で保存された食物を日常的に食べる習慣が根付いていたから。その塩の摂取量の多さが高血圧を引き起こし脳卒中に繋がっていたのだ。だが戦後、県内の医師や保健師が主導した、野澤菜漬けや味噌汁の塩分を減らしていく「減塩運動」が成功し、この長寿が実現したのである。その長野県民のモットーは、ピンピンと元気に長生きして、長患いすることなく「コロリ」と大往生する。佐久市野澤には「ピンコロ地蔵」なる地蔵があり、私もこれは面白いと思い行ってきたものだ。 2025/01/28(Tue) 20:24:25 [ No.10203 ] |