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◆ わがネパールの紹介第三談、スン・コシを下って 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
スン・コシとは別名黄金の川という。ところでネパールはラフティング天国であるということは日本では意外と知られていない。そもそもラフティングという言葉自体を知らない人が多い。四季折々の自然を愛する日本人は元来川下りが好きで、近くは天竜川、木曽川、京都の保津川、熊野の瀞八丁、遠くは九州人吉の球磨川、芭蕉の句で有名な東北の最上川などが古くから知られている。それらはいずれも2〜3時間の行程で春秋の行楽シーズンともなると酒酔い客で結構賑わっている。急峻な地形を有する日本のこと、変化に富み風光明媚な川が多い。そこでかねて望んでいたネパールの激流下りに出かけたというわけである。世界の屋根、ヒマラヤを織りなす7〜8千メートル級の峰々、無数の渓谷を削って遠くチベットからは流れ来るスン・コシの上〜中流域を一週間かけて8人乗りのゴム製筏(ラフト)で途中野営をしながら270kmを下る旅である。因みに長野〜名古屋間が260キロである。これがラフティングである。参加者は英米にカナダ、ブラジ、どドイツ、デンマークといった国々の青年男女日本人ではただ一人60歳の私(当時の年齢)、それに現地ネパール人のガイドら5人を入れて総勢19名。共通語は英語で、それぞれがお国訛りの英語を早口でまくし立てるから、長年英語教師をして来た私にも最初は何を言っているのかさっぱり…。それが食事の支度やテントの設営など共同作業をしながら二〜三日が過ぎお互いに心が通じ合うようになると急速に言葉を聞く耳が出来てくるから不思議である。
さて、初日は簡易舗装の山道をバスに揺られること三時間半。何しろ橋はあってもトンネルのない国である。くねくねした山道をバスに揺られること三時間半。何しろ橋はあってもトンネルのない国である。そんな山道をバスで行くのを見送りがてら小だから時間がかかる。スタート地点に着くと早速ラフトに空気を注入。フリップ(筏が転覆すること)してもいいように天幕、寝袋、炊事用具、食糧品を詰めた防水樽をロープで頑丈に筏に縛り付けると出発である。ガイドの指示に従って、右に左に岩を避けながら川を下るのであるが雨季が去ったばかりで水量も大く、どろどろと濁った本流が垂直に行く手を遮る絶壁に激突し飛沫を上げている様は不気味である。やがて落差4から5mもある滝のような落ち込みに突入。水のパワーに負けまいと全員が勇ましい掛け声と共に猛然とダッシュする。両足をしっかり確保しているつもりでも、ラフとの急降下で体が浮き上がり、次の瞬間ラフトの外に飛び出してしまう。後部でガイドをサポートし舵取りをしていた私は、おかげで何度もラフトから落ちたものだ。深い渓谷部を抜け平坦部に近づいた最後の二日間は流れも次第に緩やかになったので、日本から持参したファルト(組み立て式の布制カヤック)で下った。づう体の大きいラフトにとっては大したこともない瀬や落ち込みも、一人乗り用の小さなカヌーにとっては恐ろしく大きく見え緊張の連続であった。それでも日頃キヤンプ生活では私をバジェ、バジェ(ネパール語で年寄りの意)と呼んでいたガイドや欧米の若者たちに勇猛果敢なパドル捌きとひっくり返って起きるエスキモーロールを披露したら、彼らも驚いてワンダフル、ワンダフルと叫んでいたので大いに溜飲を下げた。
そうした日々野営した河原で行き逢った子供たちの汚れを知らぬ目の輝きとその生きる逞しさが強く印象に残った。文明から取り残された山奥の子供たちの服装は並べてぼろきれを纏っているというに等しく裸足の子も多い。夕方我々のラフト三隻が野営のために接岸するとその子らが我先に走って来て荷降ろしを手伝ってくれのである。他の者に先んじて少しでも有利に、ビールやジュースの空き瓶回収の権利を獲得しようというわけである。ビニール袋も彼らにとっては貴重品で大切に持ち帰って行った。
ある晩、どこからともなく群がってきた子供たちが私たちに民族舞踊を披露してくれた。日本の盆踊りのように太鼓のリズムに太鼓のリズムに合わせて短い単旋律の曲を際限なく繰り返し歌い躍る素朴な踊りである。私たちの中にも踊りの輪に加わる者がいたりして踊りは深夜まで続いた。やがて彼らは太鼓を叩きながら帰って行ったが、その太鼓の音が谷また谷の彼方から時に大きく時には小さくこだまして、空が白む頃まで続いた。彼らにとって14〜5キロの山道などは朝飯前なのだ。大自然の中で厳しい自給自足の生活をしている彼らは一様に明るくおおらかである。昼間は大人たちと一緒に働き暗くなれば家に帰って寝るだけといった単調な生活をしている彼らにとって、こうした外国人の野営地訪問は最大の娯楽であり、外界の様子を垣間見る唯一のチャンスなのである。粗末な茅葺屋根の民家で写真を撮ったお礼に貰った自家製「チャン」の味と共に忘れえぬ思い出である。

2025/01/29(Wed) 05:23:45 [ No.10205 ]

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