それは、ある骨董店であった。副業として別荘に来る人達に貸し布団をもって行く業務であった。7月初日〜8月下旬まで、短い期間だったが楽しかった。別荘の管理人とも親しくなって泊まりに行ったこともあった。その骨董店の裏手には、時の皇太子殿下と例の正田家の令嬢美智子さんが出逢うたテニスコートがあった。これはどうも小泉信三氏の計画だつたようだ。皇室には新しい血を入れなければ、大正天皇のようなへんちくりんの天皇が出来ちゃいかんと。
ところで、小泉信三とはどのような人物か。小泉信三は1888年(明治21年)5月4日、元の紀州藩主で福沢諭吉の信頼が厚く慶応義塾長を務めていた小泉信吉の第三子として誕生した。その後、横浜正金銀行支配人となった父信吉は、信三が6才の時に若くして急死。福沢邸に引き取られた信三は慶応義塾で学び、在学中は庭球部の選手として活躍。経済学を講じる大学教授になってからも庭球部長を務めた。さて、信三は戦後1949年、皇太子明人親王(現上皇殿下)の教育を担う参与に就任。民主主義の時代における帝王学について講じた。また戦後も旺盛に執筆活動を展開していた。小泉没後10年となる1976年、青少年の文章表現能力向上に寄与することを目的として「小泉信三賞全国高校生小論文コンテスト」がスタートした。初代の審査委員には塾員である芥川賞作家の遠藤周作、安岡章太郎、田久保英夫といった名だたる文豪が、高校生たちの作品を丁寧に読み込んだ上で厳正な審査を行ってきた。このコンテストは毎年小泉の命日である5月11日に応募がスタート今もなお行われている。以上は一部省略したところもあるけれど、綿内のデイサービスセンターの大澤氏が私にくださった資料に寄りました。大澤さんありがとうございました。 2025/02/19(Wed) 07:58:40 [ No.10246 ] |