噺家の立川談志は自分の戒名を菩提寺の和尚に付けて貰わず自分で付けた。曰く「立川曇黒斎家元勝手居士」。音読するとおもろいね。うんこの臭いがするんやと。それに倣うて貴君はわての戒名を次の如く付けてくれた。蓋し妙なり。「頑鉄始終自分勝手迷惑千万居士」。ずばりそのもので困っちゃう。さて、わてら夫婦は無縁仏と言うては身も蓋もないが菩提寺の和尚は上手いこと言うたもんや。合祀墓だと。そこに入ることになっている。日本に帰国した折にはせいぜいそこに来て呉れ給え。本家の勝さんが案内してくれます。 今6時半を過ぎたところ。食前酒の赤ワインを100cc頂くんや。身元整理もだいぶかたずいた。相撲は大の里の横綱昇進で親方の稀勢の里以来の日本人横綱誕生で日本中沸き返っています。明日は明治神宮参拝、同時に横綱をしめて横綱昇進報告。七月の夏場所が楽しみだ。
2025/05/30(Fri) 17:58:54 [ No.10288 ]
立川談志さんが喉頭がんで死去したのは2011年11月21日のこと。享年75。 「亡くなったことは誰にも言うな」 なにしろ、こういう言いつけだから、弟子たちにも知らされず。
「私死にましたの知らせ、要りません。もし人が尋ねましたならば、はあ、あれは先頃なくなりました。それでよいです」 54歳で亡くなる1週間前、妻節子に語ったというラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の言葉を思い出す。
話は談志に戻って.. 生前自ら決めた戒名「(立川雲黒斎家元勝手居士」)のせいで、納骨を受け入れてくれるお寺が見つかるまでに1年を要したらしい。無宗教を公言していたうえに、戒名が『うんこくさい』じゃ、お寺が怒るのも無理はない。
寺に属する墓に入るには、日本では基本、住職に戒名をつけてもらうのが決まり。談志の『松岡家』先祖代々のお墓も、戒名が戒名なだけに難航し、しかも「坊主は絶対呼ぶな」が談志の遺言とくる(笑)。
本人はきっと墓に入る発想もなかったのだろうけど、親族としては『立川談志』の名で墓を建てようと奔走。ついに文京区に、宗教宗派不問、墓石に何を書こうが自由という寛大な霊園が見つかった。御影石には『立川談志』と彫られ、側面には本人作の戒名が刻まれていて、どなたでも自由にお参りできるらしい。
2025/05/31(Sat) 22:02:00 [ No.10289 ]
画像はX(旧ツイッター)、ゆるキャラ国際政治学者こーたさんより拝借。 東京都文京区、地下鉄南北線東大前駅からすぐの浄心寺にある立川談志墓(というより記念碑)。普通はあるはずの「之墓」が記されていないし、名前は談志自身の手蹟とのこと。
2025/05/31(Sat) 22:37:57 [ No.10290 ]
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