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最初に何故これ程までにネパールに深入りするようになったかその動機をお話しいたしましょう。偶私が勤めていた長野日大の一期生に志賀高原のホテルジャパン志賀の常務取締役をされていた片桐輝男さんがおりました。そんな関係で、ホテルのエレストラに行ってナンやカレーを食べたりしたものでした。そうこうするうちにネパール人のコックらと親しくなりました。彼らは何年も前から働いていたので日本語がとても上手でした。私は冬山でテントを張ってスキーをするのが趣味でしたので、仕事を終えたネパール人達が私のテントにビールやラーメンを持参し飲んだり食べたり楽しいひと時を過ごしたものでした。そんな折親しくなったブバンパンディさんからネパール行きを勧められたのでした。エベレストはベースきゃわまで行かなければ見えないけれど他の6千メートル以上のヒマラヤならどこからでも見える。特にネパール第二の都市ポカラへ行けば、未だ未踏峰のマチャプチャレ(6993m)をはじめダウラギリ、アンナプルナ、マナスル連峰などが一望できるというのです。それで私は行く気になりました。カトマンズではパンデイさんの家を根城にして歩き回りました。で、これからお話する全ては全て、私が直接体験した事ばかりです。前書きが長くなりましたが本題に入ります。次はパンディさんから直接伺った話です。
最初から下(しも)の話で恐縮ですが、ネパールでは男性が尿意を催した時は最寄りのレストランとか知人の店に寄って小指を立てます。彼らは直ぐ察してトイレを案内してくれます。ところがパンデイさんは路上で警察官に呼び止められたところ、偶々その時パスポートを所持いなかったので近くの派出所の連行され色々詰問されました。不法滞在者かも知れないと疑われたのでしょう。緊張したパンデイさんは尿意を催したもんで小指を立てましたところ「ナニッ彼女を求めて日本に来ただと!!」警察官は激怒したそうです。日本では男性が小指を立てれば、それは彼女を意味するからです。それではネパールで彼女を意味する時はどうするか。右手の人差し指で自分の鼻を指せばよいのです。 私が初めてネパールを訪れた日本の女性をガイドして、カトマンズにやって来た外国人が必ず訪れる外国人街のタメルに連れて行ったところ彼女言うに「本場蜂蜜が欲しいわ」言うんで行きつけのハニーショップへ案内したところ、店の店長ニタニタしたので私はすかさず自分の鼻を指したら「Oh,direi ramro(very beautiful)lady!!」彼女何のことか分からずきょとんとしてました。 さて、次は日本語の「どうぞ」という言葉が全く同じ意味で使われている事実に驚きました。初めてネパールを訪れた時・ことです。バスの車掌さんがバス停で待っている人達に「どうぞ」と言ったのです。それから運転手に発車オーライと言う時も「スタートどうぞ」満員のバスの中で老人の私が立っていると若い男女がさっと立って「どうぞ」言って席を譲ってくれます。毎度それでは気が付いた引けるので「Oh no! I'm young」 周りの人達が皆笑います。 次に日本の新聞とネパールの新聞の一番大きな違いは、日本の新聞には必ず新刊書や週間紙の紹介がされていますがネパールの新聞にはそれが皆無。新聞は舐めるように読んでいるけど皆さんはどこを読んでいるのでしょう。従って街には書店がありません。外国人が必ず訪れるタメルの通りには数件あります。日本人も含めて外国人は読み終えた書籍を古本屋に売ってそのお金で土産物を買って帰国するのです。そんなわけで私は古本屋の上得意でした。 そんな訳でネパールの一般家庭には書棚はありません。読まないから必要ないのです。あったとしても小中高の子どもらか達が学校の教科書や参考書の類を並べて置く棚です。知識階級 たとえば私の友人で、名古屋.大学の大学院で博士号を得たスニル・アデカリさん。現在ネパー最難関のトリブバン大学の学長をされている彼の家には立派な書架があります。ところでこの国の子どもらの英語力はすごいです。日本の比ではありません。英語中心で小学校の一年生から初めてます。で年間一万人からない素晴らしい習慣をです長かったななった。その理由が今数年若者たちが海外へ出稼ぎに行ってます。これは国の方針でどんどん外貨を稼いで来て消費せよというわけです。手っ取り早方法は土地を購入して家を建てることです。建築に関わる多くの人が助かります。最近、金を蓄え帰国した若者がぼやいてます。地価も建築費も高騰して困る言うて。ついでにネパール人の為にネパールの悪しき習慣を一つ。それは履物を脱ぎ捨てることです。日本では履物を揃えることは親が厳しく子どもに躾けます。前述したトリブバン大学の学長のお宅では履物をきちんと揃えています。日本での生活が長かったので日本人の履物をきちんと揃える習慣を見ていたのです。ははもう一つ。これは意外と知られていない事実です。ある日の朝、日本の 方が見ていたNHKのニュース。紙幣の原料である楮の生産施設が閉鎖の危機にある。その理由が今ら数年前すなわち2015年の四月に突発したマグニチュード7,8のネパール大地震により、ネパール産の楮が輸出できなくなったという報道でした。この地震の時、私はカトマンズにあたのでよく記憶しております。沢山の家屋が倒壊し人的被害も大きかったです。 最後に我が第二の故郷とも言うべきネパールで特筆すべきことがあります。これは日本にも西洋諸国にもない素晴らしい習慣をです。それは子どもが毎朝両親の前にひざまずきその足に接吻することです。成人して結婚し我が子を持つ年齢になってもです。わが子もそれを見ていますから無言の教育になります。そしてなお素晴らしいことは両親の前では決して飲酒喫煙しないことです。日本では親子で酒を酌み交し、時には意見の衝突で親子で取っ組み合としてせめていうことも。是非ネパールのこの素晴らしい習慣を我々日本人も見習いたいものです。両親の足に接吻するは兎も角としてせめて両親の前では飲酒煙は慎む。このくらいは出来るでしょう期待しています。以上長々と失礼しました。 2025/07/30(Wed) 04:02:36 [ No.10302 ] |