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18世紀末以来ドニエプル川流域及び南ウクライナのステップ地帯が一部の貴族、資産家などにより組織的かつ大規模に開拓され、専ら輸出を目的としたアグロ(農業)ビジネスとして開発された結果である。ステップ地帯はそれまで耕作者がいなかったため広大な土地の取得が安く簡単にでき、しかも土壌は肥えていたし、積み出し港にも近かった。19世紀はじめにはステップ地帯で80万ヘクタールの農地があったが1860年代に600万ヘクタール増加した。こうしてこの地域はロシア帝国最重要の穀物生産地になった。帝国の最大の作物である小麦については1812年から59年の間にロシアの小麦輸出の75%はウクライナから輸出された。玉蜀黍の84%、ライ麦の75%がウクライナから輸出された。又世界の穀物生産の見地からもウクライナは重要な地位を占め1909〜13年の間、全世界の大麦の43%、小麦の20%、玉蜀黍の10%はウクライナで生産された。穀物ではないが換金作物として大きな経済的意味を持ったのが砂糖大根の生産と砂糖精製工場だった。(中略)砂糖。工業の中心地であったキエフには当時建てられたテレシコンチ家の「砂糖御殿」が今は美術館になっている。(中略)全ロシアの穀物輸出の半分以上がオデッサ港からなされた。まさに穀倉とオデッサ港は表裏の関係にあった。オデッサの人口は1860年には11万人だったが1897年には40万人となりウクライナ最大の都市に。またロシア帝国全体でもサンクトペテルブルク、モスクワに次ぐ第三の都市に急成長した。
2025/10/10(Fri) 07:26:30 [ No.10318 ] |