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◆ 阿久悠「無冠の父」再読して 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
終戦記念日に詠んだ彼の俳句、彼の作詞家としての天分の一端を垣間見ることができる。
・天皇の声に重なる蝉の声
・松虫の腹切れと鳴く声にくし
・この子らの案内(あない)頼むぞ夏蛍

小学生の頃から学校の成績は抜群に良かった。少なくとも小学、中学を通じてトップを譲ったことはなかった。家に帰って教科書を開いたことは皆無だったにも拘らず。当時の子どもの大多数がそうであったように、野球に熱中し、日のある間は遊び呆けていたが、家に帰ると机に向かって何かを描いていた。
阿久悠氏の生まれたのはわてパド吉と同じ1937年である。亡くなったのは2007年、70歳の人生であった。明治大学文学部を卒業後、広告代理店に勤務して番組企画やCF制作にかかわった後、フリーとなり作詞を中心とした文筆活動に入る。作詞代表作に「また逢う日まで」「津軽海峡冬景色」「北の宿から」等、小説に「瀬戸内少年野球団」他、エッセイに「書き下ろし歌謡曲」「愛すべき名歌たち」(以上岩波新書)がある。阿久悠の母校、明治大学の駿河台キャンパス内に阿久悠生前の業績を顕彰する記念館が開設された。いつか上京する機会があったら訪れてみたい。

2025/11/12(Wed) 14:23:17 [ No.10333 ]

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