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◆ 94年から96年までの行事 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
94年 1月 6日 志賀高原にて野営してスキー。
94年 9月26日 淀川・宇治川 寺田屋見学。
95年12月30日 96年1月 1〜2日 知覧特攻平和会館見学。
96年 3月17日 岐阜県千本松原(薩摩藩士治水工事完成、記念に
植樹)治水神社参拝。
96年5月1日→地球塾山小屋訪問4月30日、3日肥後昭七郎氏宅訪問し泊めていただく。氏は、わてが自衛隊の立川基地の衛生補給処に勤務していた時の事務官でした。昭和七年に生まれたから昭七郎。直属の上司は柿沼氏。これは自衛隊に入隊前の話だ。中央大学を受験し、面接の態度が悪く試験官に良い印象を与えなくて落とされてしまった。父親に自衛隊にでも行って根性鍛えてこいと言はれ松本の新隊員教育隊に、後期は立川の衛生補給処に配属された。当時夜学に通う者は30分早く食事を済ませ通学できた。丁度良いことに立川駐屯地の直ぐ裏に東京都立立川短大があった。その夜間部の英文科に入った。級友には向学心旺盛な米軍基地勤務の仲間が大勢いた。わても彼らに負けぬよう必死に勉強した。当時「赤尾の豆単」なる単語集があった。一晩中電気が付いているのはトイレである。そんなわけでトイレがわての学習の場であった。一応全部覚えた。3年7ヵ月お世話になった自衛隊におさらばして、さて編入者を募集している大学探していたところ、明治学院大学の英文科が募集していることが分かった。勿論応募した。今度は昼間部である。自衛隊時代に蓄えたお金で何とかなった。わてのような例は珍しいと言はれた。小諸なる古城のほとり雲白くの千曲川旅情の歌の作者島崎藤村の母校でもある。B29による東京大空襲になる前、今は亡き父の判断で、小諸に疎開したお陰で難を逃れることが出来た。今は亡き父に感謝しています。あらゆる面でわては幸運である。わてと同年の美空ひばり(本名加藤静枝)も「津軽海峡冬景色」「北の宿から」等の作詞者、阿久悠もまたわてと同じ1937年生まれである。夜中に頭を使う仕事に従事してるので睡眠不足が重なり寿命を縮めることになるらしい。名指揮者、オザワセイジさんはわてより2歳上であるが、指揮者というのは苛酷な重労働なのか最後の演奏会には車椅子に乗っての登場であった。わてのようなどうでもいい人間が現在88歳、米寿を迎えようとは。神様はきっと、もっと世の中の為に尽くせと言ってるのかもしれない。自衛隊出身で今はうれに売れに売れている作家に浅田次郎氏がいる。代表作は「ポッポ屋」、これはとても面白かった。自衛隊を扱った作品もある。自衛隊時代の懐かしい想い出に弾薬庫の深夜の警備があった。眠くてついうとうと。交代が来た時はぐうぐういびきをかいて寝ていた。これじゃ偉くなれるわけがない。谷浜へ水難救助訓練に行った時、わては糧食班所属で昼飯が済めば夕食まで時間があるのでひと泳ぎしようと随分遠くまで泳いでしまった。時間が来てもわてがいない。上監が望遠鏡でみたら悠然と泳いで来るわてを発見。上官のテントに呼ばれ怒られたのはもちろん。部下を死なせれば上官もその責任を問われるからである。思い出は尽きない。

2025/12/10(Wed) 00:18:58 [ No.10351 ]

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