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◆ 親日国ネパールと日本の面白い類似点と相違点 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
最初に何これ程までにネパールに深入りするようになったかその動機をお話しいたしましょう。偶々私が勤めていた長野日大高校の1期生に志賀高原のホテルジャパン志賀の常務取締役をしていた片桐輝男さんがおりました。そんな関係で、ホテルのエスニックレストランに行ってナンやカレーを食べたものでした。そうこうするうちにネパール人のコックらと親しくなりました。彼らは何年も前から働いていたので日本語がとても上手でした。私は冬山でテントを張ってスキーをするのが趣味でしたので、仕事を終えたネパール人達が私のテントにビールやラーメンを持参し飲んだり食べたり楽しいひと時を過ごしたものでした。そんな折親しくなったブバンパンディさんからネパール行きを勧められたのでした。エベレスト(ネパール名、サガルマータ) はベースキヤンプまで行かなければ見えないけれど他の6千メートクラス以上のヒマラヤならどこからでも見える。特にネパール第二の都市ポカラへ行けば、未だ未踏峰のマチャプチャレ(6,993m)をはじめダウラギリ、アンナプルナ、マナスル連峰などが一望できるというのです。それで私は行く気になりました。カトマンズではパンデイさんの家を根城にして歩き回りました。で、これからお話するすべて私が直接体験した事ばかりです。
意外と知られていないのが、ネパールがラフティング天国であるということです。「ラフティング」という言葉自体を知らない人が多い。世界の屋根、ヒマラヤを織りなす7〜8千メートクラスの峰々、無数の渓谷に削って遠くチベットから流れ来るスンコシ川の上〜中流域を1週間かけて8人乗りのゴム製イカダ(ラフト) で途中野営をしながら270Kmを下る旅である。因みに、名古屋〜 長野間が260Kmでこれがラフティングで参加者は英、米、カナダ、ブラジル、エクアドル、オーストラリア、ニュージーランド、ドイツ、デンマーク、スエーデンといった国々の青年男女に、日本人ではただ一人60歳の私(当時の年齢)、それに現地ネパール人のガイドら5人をいれて 総勢19名。共通語は英語で、それぞれがお国訛りの英語を早口わでまくし立てるから、長年英語教師をやってきた私にも、最初は何を言ってるのか さっぱり---。それが食事の支度やテントの設営など共通作業をしながら2〜3日が過ぎ、お互心が通じ合うようになると急速に言葉を聴く耳が出来くるから不思議である。深い溪谷部を抜け平坦部に近ずいた最後の二日間は 流れも次第に緩やかになったので、日本から持参したファルト(組立て式の布製カヤック)で下った。ずう体の大きいラフトにとっては大したこともない瀬や落ち込みも、一人乗りたいという人達も用の小さなカヌーにとっては恐ろしく大きく見え緊張の連続であった。それでも日頃キヤンプ生活で私を年寄り扱いしていた人達に、勇猛果敢なパドル捌きを披露したら皆驚いていたので大いに留飲を下げることができた。自慢話はこのくらいにして本題に入ります。次はパンデイさんから伺った話です。
ネパールでは、男性が尿意を催した時、最寄りのレストランなり知人の店に寄って小指を立てます。私もいつもそうしてました。彼らは意を察してトイレを案内してくれます。ところがパンデイさん路上で警察官に呼び止められパスポートの提示を求められました。偶々その時パスポートを所持していなかったので近くの派出へ連行され色々詰問されました。不法滞在者かもしれないと疑がわれたのでしょう。緊張したパンデイさんは尿意を催したもんで小指を立てましたところ「何「んッ彼女を求めて日本に来ただと!!」警察官は激怒したそうです。日本では男性が小指を立てれば、それは彼女を意味する時にはからです。それでは彼女を意味する時はどうするか。右手の人差し指で自分の鼻を指せばよいのです。
私が初めてネパールを訪れた日本の女性をガイドして、カトマンズのタメルの外人街(カトマンズを訪れた外国人が必ず訪れる街)に連れていったところ、そこの店長ニタニタしたので私は自分の鼻を指しましたら「Oh direi ramro (very beautiful)lady!!」彼女は何のことか分からずきょとんとしてました。
さて次は日本語の「どうぞ」という言葉が全く同じ意味で使われている事実に驚きました。初めてネパールを訪れた時のことです。バスの車掌さんがバス停で待っている人達に「どうぞ」と言ったのです。それから運転手に発車オーライと言う時も「スタートどうぞ」満員のバスの中で老人の私がたっ「いますと若い男女がさっと立って「どうぞ」言うて席を譲ってくれます。毎度それでは気が引けるので「Oh,no! I,m young」言うたら周りの人たちが皆笑いました。
次に日本の新聞とネパールの新聞の一番大きな違いは、日本の新聞には必ず新刊書や週刊誌の紹介がされていますが、ネパールの新聞にはそれらが皆無。新聞は舐めるように読んでいるけど皆さんどこを読んでるのでしよう。従って街には書店がありません。外国人が必ず訪れるタメルの通りには数件あります。日本人を含めて外国人は読み終えた書籍を古本屋に売ってそのお金でお土産を買いこんで帰国するのです。私は古本屋の上得意でした。そんなわけでネパールの一般家庭には書棚はありません。読まないから必要ないのです。あったとしても小中高の子どもらが学校の教科書、参考書の類を並べておく棚です。知識階級、例えば私の友人で名古屋大学の大学院で博士の学位を取得したスニル・アデカリ氏、現在ネパールで最難関のトリブバン大学の学長の学長をされている彼の家には立派な書棚があり洋書がずらりと並んでいます。
ところがこの国の子どもらの英語力は凄いです。日本の子どもらの比ではありません。それも全て実用英語(colloqual English)中心で小学校の一年生から初めています。で、年間1万人を超す若者たちが海外へ出稼ぎに行ってます。これは国の方針で、どんどん外貨を稼いできて国内で消費せよという訳です。手っ取り早い方法は土1しゅ地を購入して家を建てることです。建築に関わる多くの人が助かります。最近金を蓄え帰国した若者がぼやいてます。地価も建築費も高騰して困る言うて。 ついでにネパール人の悪しき習慣を一つ。それは履物を脱ぎ捨てることです。日本では履物をきちんと揃えることは親が厳しく子どもに躾けます。前述したトリブバン大学の学長のお宅では履物をきちんと揃えています。日本での生活が長かったので、日本人の履物を揃えるマナーを見ていたのです。ついでにもう一つ。彼の後輩であるパウデル・リサブ君、名古屋駅前の日本語学校を優秀な成績で卒業した後、トヨタ系列の企業(太平洋精工株式会社)に勤め日夜研究開発に勤めております。土地付きの中古住宅を購入して暮らしております。永住権を得て税金を納めておりますから半分日本人です。愛妻カルパナさんとの間に三人の子どもに恵まれ、子らは近くの学校に通うてます。ですから日本語は日本人並です。家では両親と
ネパール語を喋っております。長期休暇の折にはネパールの両親の元へ連れて行きます。こういうネパール人も日本にはいるのです。
話変わって、ある日の朝、地域の方がNHKのニュースを見ていたら紙幣の原料となる楮(こうぞ)の生産施設が閉鎖の危機にある。その理由が今から数年前、正確には2015の四月に突発したマグニチュード7.8のネパール大地震によりネパール産の楮が全面被害に会い輸出出来なくなり国立印刷局が紙幣の製造に困窮をきたしているというのです。この地震の時私はカトマンズにおりましたのでよく記憶しております。沢山の家屋が倒壊し人的被害も大きかったです。

2026/01/04(Sun) 22:17:31 [ No.10356 ]

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