4月11日。水。晴れ。姫路。1210/62キロ。
備前から姫路は2号線を通ったのだが、全体に山道である。2号線は交通量が多い割に道が細い。特に山道は、歩道はおろか路側帯の外に寸土の余地の無い所もある。トンネルの中に歩道が無いと逃げ道が無い。そんなときはやむを得ないから、対面交通をするときもある。
車の僅かの切れ目をみて、車線を走る。前方に車が見えたら早めに路側帯の外に自転車を止め、身を縮めて車をやり過ごし、尺取虫のように車のいない短い間だけ前進する。この方法は、2号線に限らず、北海道へ着くまで必要だろう。
船坂峠で、自転車歩行者専用道路というのが数キロあった。旧街道をそのまま走るのだ。これが、先日紹介した無装荷搬送ルートである。船坂電話中継所の跡地もあった。道路に旧電電公社のマークの入ったマンホールが、ほぼ100メートルの等間隔で見える。この下には、今でも2条のケーブルが直埋されているはずである。
700年前、元弘の乱に破れ隠岐の島に流された後醍醐天皇もここを通った。そして、その失意の天皇に児島高徳が捧げた桜の幹に書き残した有名な十字の詩もここが舞台だ。
天莫空勾践 時非無笵蠡
(天勾践を空しくするなかれ、時に笵蠡無きにしも非ず)註
美作から京に上った宮本武蔵も、ここを腰に二刀を束ねて通ったのだろう。
峠道 七百年の 風が吹き
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註
今から約2500年前、中国呉越春秋時代、呉に敗れて失意にあった越王勾践(こうせん)を忠臣笵蠡(はんれい)が助けて越を再興した故事による。
児島高徳は、後醍醐天皇の勅により挙兵して船坂峠まで来るが、後醍醐天皇を救出することは出来ず、この詩を、近くの天皇の宿舎になった院庄の桜の木の幹に残した。
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