4月18日。水。曇り後小雨。豊橋。1592/44キロ。
気温が上がらない。ダウンのコートを着ている人もいる。
愛知県の一号線はよく整備されている。名古屋市内は、100メートル道路が縦横に交差している。それでも自転車にはあまり優しくない。歩道が切れて、車道を走らなくてはならない所もある。
味気ない道をただ東進していたら、藤川にさしかかったとき、沿線に二キロほど藤川の宿が昔ながらに保存されていた。一部だが松並木もある。しばし憩いの自転車の道だ。路面には我が搬送ケーブルのマンホールもあるではないか。ここは、東名阪のメインルートだったのだ。
豊橋の近くで、コンビニ弁当で道端に座り食事をしていたら、急に眠たくなった。空模様も少しおかしい。まだ一時。距離も40キロに満たないが思い切ってここで泊まることにする。
宿を探していたら、自転車に乗っていた私からみた若者が、親切に豊橋ガイドを兼ねて案内してくれた。予約だけ済ませ、チェックインまでの時間を近くの喫茶店に入り、若者と少し話をした。自ら「第三国人」と自称する彼は、蘇我入鹿の渡来の歴史から始まり、安部総理の「安部」姓の由来まで、歴史を熱く語ってくれる。
若く見えたが、42歳とのこと。学生時代、四国には足摺へ自転車旅行をしたことがあると言う。上海にも3年間留学したそうで、中国語が堪能。
彼曰く「私達は前世からの縁があるのです」。
そうかもしれない。袖すりあうも他生の縁。
旅は、また新しい縁を生む。
旅を行く 輪廻のペダルが 縁を生み
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