翼の末裔
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わたしは見つけたかった。
わたしが生きて行く場所、生きて── そして死ぬ場所を。
あの人は言った。
命を終わらせる場所を探しているのだと。
正反対のわたし達。
でも、多分求めていたのは同じもの。
あの人もわたしも、ただ欲しいだけなのだ。
── 自分が、自分としていられる場所。自分だけの居場所が。
だからわたし達はきっと、誰よりも分かり合えたのだと思う。
お互い違う方向を向いていても、違う道を歩いていても…辿り着く目的地が、進む方向が、同じだったから。
でもそれを知るのは、まだずっと先の事。
わたし達はまだ、これから先の自分の運命を知らなかったし、自分達が何であるのかすらわかっていなかった。
わかる必要など、その時はなかった。
ただ、お互いの存在があるだけで、その時は満たされていたのだから──。+ + +
目を開くと、木の葉が風で揺れているのが見えた。
微かに漂う水の匂い。遠くで小さく、水音が聞こえた。
(…ここは……?)
何か、夢を見ていたような気がする。
何か──とてもとても恐ろしくて、悲しい夢。そして── 何処か、懐かしい夢。けれど、その輪郭は曖昧で、どんな内容だったのかまでは思い出せない。
そろそろと身を起こすと、先程までの惨状はなく、枯葉の散らばる地面に寝かされていた。
身体を見ると、服に所々赤黒い染みがある。…それが何か、思い出す努力をしなくてもすぐにわかった。
村人達がリュナンに殺されたのは、夢ではない。つい先程まで見ていた、よく内容も覚えていない夢とは違う、現実の事だ。
(…そうだ、リュナンは……?)
きょろきょろと辺りを見まわすと、少し離れた水辺に人影を見つけた。何かを洗っているらしく、水音がしている。先程聞こえてきた音はこれらしい。
「…リュナン……?」
声をかけようと口を開いたものの、それは何処か掠れて力のないものだった。
何故だろうと思う前に喉が痛んで、そう言えば意識を失う前に首を締められたのだ、と思い出す。
そっと手で触れる。当然見えはしないが、痣くらいは出来ているに違いなかった。
「…ティアーレ…気がついたのか?」
おそらく届かないだろうと思ったのに、リュナンはそのか細い声をきちんと拾ったようだった。水辺を離れてこちらにやって来てくれる。
よく考えてみれば、ティアーレの耳ではわからなかった、追いかけてくる村人達の声を拾い上げた耳の持ち主だ。この距離で気付かない訳がない。
「ここは……?」
尋ねると、リュナンは軽く肩を竦める。
よく見ると、その髪や服が濡れていた。先程の水音は、浴びた村人達の血を洗い流していたのだと理解する。
流石に服にかかった血までは取れなかったようだが、顔や腕などからはあの赤色が消えている。それだけの事で、何故だかほっとした。
「何処と聞かれても、森だとしか答えられねえな。…気分は?」
「あ、平気、です……」
確かに森という答え以外、答えようのない場所だ。そんなばかな質問をしてしまった事を恥ずかしく思いながら、改めてリュナンの顔を見る。
先程から何だか違和感を感じていたのだが、そうしてようやくその原因に気付いた。
「リュナン、瞳の色が?」
「…ああ、これか」
ティアーレの問いに、リュナンは手を目元にやりながら、薄く笑みを浮かべる。
その瞳は初めて出会った時の金でも、明るい場所で見た赤でもなかった。…髪と同じ、深い黒。
「これは…オレの中の《獣》が眠りに就いた証みたいなものだな。血で満たされるとこうなる」
「…じゃあ、しばらくしたらまた……?」
「ああ、元に戻る。…自分だといつ戻ったのかよくわからないのが困るけどな。こうなっている間はオレが獣宿持ちだって気付かれない── 不幸中の、幸いってやつか」
そう言って、何処か苦いものを笑みに混ぜるリュナンは、確かに黒い瞳になると、ごく普通の青年にしか見えなかった。
今まで何処かあの赤い瞳が目についていたからか、別人みたいにティアーレは感じてしまう。
…見る度に、リュナンが変わっているような、そんな感覚。変わったといっても、瞳の色だけなのに。
リュナンと言葉を交わし、姿を確かめ── そこまで認識してようやく、ティアーレはリュナンが自分の側にいる事を実感した。
…彼は、自分を置き去りにはしなかったのだ。知らず笑みが浮かぶ。
「…行かないで、くれたんですね」
「あ? …ああ、約束しただろ」
リュナンが照れ臭そうな顔でぼそりと言う。
約束、と言われて一瞬何の事だかわからなかったものの、すぐにそれが何を指しているのか思い出した。
『助けてやるよ』── 一番最初に出会った時に言ってくれた、あの言葉を。
「…どうして、助けてくれるんですか?」
嬉しい反面、何処か信じきれずに尋ねる。
自分はリュナンが一番知られたくないであろう、姿を知った。その自分をまだ手助けしてくれる理由がわからなかった。
「わたしは……」
「そういうお前こそ、どうしてオレを引き留めたんだよ?」
「え?」
「お前は見ただろう、オレが人でなくなった姿を。罪もない村人を殺して…お前だって、殺されかけただろう? なのにどうして…引き留めたんだ。オレが怖くないのか?」
「それは……」
実際、追求されると返事に困ってしまう。
怖くはないのか、と聞かれれば、確かに死を覚悟した時の、あの恐怖感を思い出してしまうけれど、正気に戻ったリュナンに対しては恐怖感を感じない。
村人達の最後は、きっとこれから先も忘れる事はないだろうと思う。忘れようと思っても、きっと忘れられないだろう。
でも── それだけの事をした人物だとわかっているのに、どうしてだか村人達のように、リュナンを化け物扱いする事は出来なかった。
「…怖くはありません」
それは、確かな事。そして、もう一つ確かなのは──。
「それに…わたしはあの時、村の人達が死んでしまっても悲しみなど感じなかった。リュナンが傷ついた事の方が、辛かった。── あんなにも良くしてくれた村の人達が目の前で死んでも…悲しくなかったんです、リュナン」
「…ティアーレ……」
自分はなんて残酷な人間なのだろうかと思う。
感謝していたはずだった。誤解があったとしても、彼等は自分を助けようとしていただけのに── 自分は連れ戻される事を嫌がるばかりか、その死すら悼まなかったのだから。
そして今だって、もし彼等の為に祈れと言われたとしても、今まで通り心を込めて祈る事は出来そうになかった。
「リュナン…あなたは自分を人ではないと言いました。でも…わたしもきっと、人じゃないんです」
彼等の死を気の毒だとは思っても、自業自得だとしか思えなかった。
何故なら── 彼等はリュナンを、先に殺そうとしたのだから。
「…わたしには、リュナンを恐れたり、非難する権利などありません。むしろ…あなたの苦しみを増やしてしまった。…ごめんなさい」
どうして引き留めてしまったのか、言葉にしてやっと理解する。
そうだ── 自分は、リュナンに謝りたかったのだ。結果的に彼を傷付けてしまった事に対して、謝罪をしたかったのだ……。+ + +
「…何で謝るんだ?」
対するリュナンは困惑した表情でティアーレに問い掛ける。
実際、彼にはティアーレが謝る理由がよくわからなかった。村人達の死を悲しめなかったと言う言葉も、村人達の態度を思い出せば当然の事のようにリュナンは感じる。
彼等は明らかにティアーレを『物』のように扱っていた。もし自分がティアーレと同じ立場なら、罪悪感など抱かない気さえする。
「言っただろう? あいつ等の対応が普通なんだ。…《獣宿》持ちは生きてこの世界に関わってはならないんだから……」
そう、それが常識。だからティアーレに謝られる必要などないはずなのだ。
…なのに。
「それでも、あの人達が攻撃をしなければ…リュナンを傷付けなければ、リュナンは彼等を殺さずに済んだはずでしょう?」
静かにティアーレは言う。
それがどんなに常識外れも甚だしい事なのか、わかっているのかいないのか。…おそらく、わかっていないのだろう。
でも、その言葉はリュナンの心を打つ。
…ずっと、誰かにそう言ってもらいたかった。与えられる事がないと思っていたからこそ、心の底で欲していた。
「…リュナンは、被害者です。そして…たとえ人殺しであっても、わたしにとってはやっぱり恩人です。何があっても、わたしがあなたを嫌ったり恐れたりする事はないと思います。…これから先も、ずっと」
そしてティアーレはにこりと微笑む。そこには全く嘘はない。
つられるように、リュナンの口元にも笑みが浮かんだ。負けた、と何故だか思った。
一体何に対して、どういう理由でそう思ったのかわからないまま、それでも敵わない、と思う。泣きたい気持ちになる。…癒される。
世間知らずで、常識が欠けていて、危なっかしい── こちらが手助けしなければ、絶対にすぐに遭難しかねない有様の相手だと思うのに。
「…追手が来ない内に、行くか?」
手を差し伸べて尋ねると、子供のように無邪気な笑顔でティアーレは頷く。そして迷う素振りもなく、彼の手を取った。
「…はい、リュナン」
その時のティアーレの笑顔と手の温もりを、リュナンは一生忘れる事はないだろうと思った。
それ程に綺麗で、泣きたくなる程に優しかったそれは、確かに彼が決して手にする事がないと諦めていたものだったから──。+ + +
…わたし達はまだ、これから先の自分の運命を知らなかったし、自分達が何であるのかすらわかっていなかった。
わかる必要など、その時はなかった。
わたしの背に『翼』はなく、彼の内の『獣』もまだ眠りの中にあったから。
だから、わたし達は一緒に歩き始めた。
…もし、わたし達に先を見通せる力があって、これから先に何が起こるかわかっていたとしたら、一体どんな道を選んでいただろう。
けれどわたし達にはそんな力はなく、未来に翳りがあるなど考えもしなかった。
あまりにも幼かったわたし達にとって、未来は未知のものであると同時に、希望に満ちたものでしかなかったのだ。
希望と…幸福があるのだと、何故か信じて疑ってもいなかったのだ。
けれど、きっとそれは必要な事だったのだと思う。
歩き出す為に、一歩踏み出す為に。
わからなかったからこそ、わたし達は未来を信じて、先へと進めたに違いないのだから。+ + +
「…まずはこの格好をどうにかしないとな」
「そうですね」
苦笑混じりにリュナンが言う。
確かに二人の有様はあまりにもひどすぎるものだった。
リュナンの服は洗い流したものの、血の染みがべったりとついてしまっている上に、心臓のすぐ下の辺りに穴が空いていたし、ティアーレはと言えば、肩にかけていたショールはもはやその役目を果たしておらず、ぼろぼろに破れてしまっており、服にはやはり返り血の染みがついてしまっているのだ。
「でも、こんな姿で別の村に入ったら余計に怪しまれませんか?」
「…そうだな」
ティアーレの素朴な疑問に、リュナンも頷く。
追いはぎにあった風を装ったとしても、服の被害に対して、二人はあまりに無傷過ぎた。二人は歩きながらしばし思案にくれ── やがてどちらともなく、呟く。
「…まあ、どうにかなるさ。…多分」
「…何とか、なりますよ。…きっと」
「……」
「……」
そしてしばしの沈黙。
二人は顔を見合わせると、申し合わせたかのように笑い合う。
行き先すら定まらない二人の旅は、始まりを迎えたばかり。それでも二人の足が迷う事はない。
…翼なき『翼を持つ者』と獣の宿命を抱く者。
彼等の未来は、ここから始まる。〜終〜
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After Writing
…これは、突発的に書き始めた物語です。
およそ一ヶ月くらいの期間をかけて、この話は書き上げられました…アップする予定などなく(汗)実際、ぎりぎりまで公開するのは悩みました。
というのも──私にはあまりにも、完結しきっていないシリーズものがありすぎたからです(爆)
それでも公開に踏み切ったのは、一応ラストまで書き上がった事と、この話がそれなりに思い入れのある話になったからです。ティアーレとリュナンというキャラの設定は、実は○年前、大学時代にはすでに存在していました。
当時は単に(?)癒しの力を持つ少女と、獣の呪いを受けた少年の物語で、流れ的には彼等がそれぞれ旅をして出会うまでを考えていました…が。
その基本設定だと、何となくよくある話っぽくて書こうと思うには至らず、キャラとしては存在していたものの、ずっとお蔵入りしていました。
その設定に去年、「月の翼」の桐賀姉妹に献上した『翼』の世界観をミックスしてみたら、どーんと世界も執筆意欲もアップしまして(笑)
そしてこの『翼の末裔』という話は日の目を見るに至りました。内容的には微妙に謎が謎のまま残ってますが(リュナンが自由になった理由とか、ティアーレが翼を失った理由とか)…今の所はこの話の続編を書く予定はありません(おい)
理由は↑のとおりです(汗)
将来的には書くかもしれませんが、書かないままの可能性が高いので明言は避けておこうかと(爆)
二人の未来は(それぞれ背負っている問題がそれなりに大きいので)必ずしも明るいばかりではなさそうですが…いろいろと想像してやってくださると嬉しいです♪
そして…万が一、二人の物語の続きを書く事があったら、この世界へまた遊びに来てくださると嬉しく思います(^-^)
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