嘆きの

 依頼は魔族討伐だった。

 『砂海を渡ってすぐの街に出没する妖鬼を退治して欲しいそうよ』

 そう言ったあの人は、一体どんな気持ちでそう告げたのだろう……。

+ + +

「キサが行くの?」
「ああ」
「そう…気をつけて」
 頷くとサアラが少しだけ淋しげな顔をしてそう言った。
 本来ならこういう仕事は魔法戦士であるサアラの仕事だ。でも、サアラにはしばらく動けない理由があった。
「怪我の具合は大丈夫なのか」
 尋ねると、サアラは何時もの快活な笑みを浮かべて大丈夫だって、と答えてくれる。 先日、サアラは依頼を果たした際、ちょっとした怪我をしたのだ。相手だった魔族── 獣鬼は最後の最後で攻撃を仕掛けたらしい。
 依頼された仕事が護衛だった事もあり、サアラは咄嗟に依頼人を庇ったのだ。そして傷を負った。
 わき腹に受けた傷自体は軽傷だったが相手は魔族。魔族の持つ特有の気配、魔気に冒されてしまったのだ。ここへ戻ってきた時には精神力だけで保っていたような状態だった。
 魔気の浄化は簡単には出来ない。
 僧侶の治癒能力は怪我は癒せても魔気は取り除けないのだ。第一、キサ達の属する魔術士ギルド《ホリッド》に僧侶はいない。
 こうしてサアラが笑っていられるのも、半分は彼女自身の兄、そして残りはギルドマスターであるキュラのお陰なのだ。
「ごめんね、キサ。私がポカをしなかったら良かったんだけど」
「気にしないでいい。サアラがいてくれるなら安心出来る」
 サアラは職業こそ魔法戦士と荒っぽいが、実際には家事一般を得意とする家庭的な面を持っているのだ。
 ちなみにキサもそこそこは家事は出来るが、あまり得意ではない。ついでに言うと、彼女の母であるキュラなど不得意と言っても過言ではないのだ。
 サアラがいるなら、キュラを任せられる。キュラは時々信じられない失敗をやってくれるので、一人で置いておく事に躊躇いがあるのだ。
 ── もっとも、その事を本人に告げた事はないけれど。
「それに、サアラに何かあったら後が怖い」
「…確かにね」
 感情の抜け落ちたような平坦な言葉でも、サアラは気にせず受け止めてくれる。
 物心つく頃からの付き合いで、キサはサアラを姉のように思っていたし、逆にサアラもそのように思ってくれているようだった。
 そして、今は仕事でいないサアラの兄も。
 彼はほとんどここに戻ってくる事がない。依頼が絶えないので、依頼先からそのまま次の依頼先に行く事も多いのだ。
 もっとも、事がサアラの事になると飛んで戻ってくるのだが。
 サアラが思い出して苦笑する程、彼の妹に対する心配は激しい。激しいと言うか── 多少、彼等の生い立ちを知っているキサからすれば何となく理解出来るけれど、何にも変えがたく思っているというべきだろう。
 実際、たまたま彼が戻ってきた時にこう言っていた。

『僕はね、キサ。サアラさえ幸せになるなら、どんな事でもするよ』

 キュラもキサも大好きだけどね、とそつの無い彼は付け加える事を忘れなかったが。
 そしてその事を、サアラ自身は多分知らない。例の怪我の後、意識を取り戻したサアラに、キュラも彼も治療に関しては何一つ詳しい事は語らなかった。
 理由はわからない。彼等はキサにも重要な事は教えてくれなかったから。
 その事が淋しくなかったとは言えない。でも、自分から突っ込んで聞く事は出来なかった。
(…わたしは、欠陥人間だから)
 喜怒哀楽が表に出ない。その事はキサには人間として重大な欠陥のように思える。
 せめて好きな人に素直に好意を示せたら、せめて悲しみを伝える事が出来たら、せめて怒りを爆発させる事が出来たら──。
 望むだけならいくらでも望んだ。願った。でもそれが自分の物になるとは思えなかった。
 三歳辺りの記憶がまったくの空白であるように。埋められない何かがキサの中にはあるのだ。
「早く戻っておいでね」
 サアラが言う。
 暖かな笑顔。自分も返せたらいいのに。
「…じゃあ、行って来る」
「砂海を直通?」
「そっちの方が早いだろう」
 普通の人間には越える事が出来ないとされる砂海。でも、召喚士であるキサには恐れるものではない。
 いや── 怖い、と思ったものは今までなかった。
 恐怖を知らない。感じても多分、それが『恐怖』だとはわからないのではないか、と思う。
「…キサ」
 不意にサアラが表情を改める。
「?」
 頭一つ近く高いサアラの顔を見上げると、そこには悲しげな表情があった。
「いつか、笑えるようになるといいね」
「……」
 サアラは知っているのだろう。自分が抱えている思いを。
「…行って来る」
 それだけしか言えないまま、キサは逃げるようにそこを後にした。

+ + +

 街の外、砂海の入り口で一度だけ振り返る。
 この街はキサの帰る場所。たった一つの『家』。表情にする事も、言葉にする事も出来ないけれど。
 いつか笑えるようになるだろうか。いや、笑えなくてもいい。自分の気持ちを実感を持って言葉に出来ればそれでいい。
 自分の内面が感じているそれが、他の人と同じ喜びであったり悲しみであるとわかれば、それだけで自分は前に進める気がする。
 キュラもサアラも、結局は『家族』だ。だから自分を今のままでも認めてくれる。でも、それじゃ駄目なのだ。何時までも子供ではいられないから。
 視線を戻した先、そこに広がる砂の海を渡る風は、いつも悲しむような音を立てているように思う。
 何人も恐れて近寄らない砂海。まるでその孤独を嘆くように。
 ── そう感じるのは、自分だけなのだろうか。それともそう感じる自分はやはり何処かおかしいのだろうか?
 こんな、自分のような人間がいていいのだろうか?
 答えはない。
「……」
 キサはそのまま砂海に足を踏み出した。すぐに風精と地精がその移動を助けるべく集まってくる。


 彼女が行き倒れた少年を拾うのは、これから数刻後の事である──。

〜終〜


After Writing

これは『砂漠に降る雪』直前のキサ視点の話で、元DL版のおまけとして書き下ろしたものです。

いやあ…荒いです(苦笑)
確かこれ、DL版を作っている時にふと思いついて書いた話で、確か執筆時間もかなり短かった記憶があります。
そういう訳であまり内容はありませんが、この時はまだサアラの兄が誰かさんである事が伏せてあったので、こっそり「ここにつながってるのさ〜♪」とほくそ笑んでおりました(おい)
誰か言及するかしら、と思ったけど誰からもツッコミは入らなかったですね(笑)←当たり前だ

なお、『砂漠〜』自体にサアラ兄が直接登場する事はありません(^^;)
外伝でも書けば出てくるとは思いますが…取りあえずこの話の主人公はイザなんで(汗)
キササイドの話はないわけではないのですが、現時点では執筆予定はありません。
キサ側も書こうと思ったら、それだけでシリーズ化可能なくらいプロットはあるんですが;;