Seed
〜 A Story of 'Miracle' 〜

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2−2.『彼女』の夢(2)

 思えば、彼女── ブルーローズの人生は、祖父と『彼』の存在でほとんどが占められていた。
「…元気そうだな、ローズ」
 なのに、久し振りに顔を合わせた祖父を前にしても、ブルーローズは笑えない自分に気付いた。
 幼い頃なら一月に一度か二度、年を経れば経るほどに顔をあわせる間隔が広くなっていった祖父。
 それでも大好きだと思う気持ちは変わらず、祖父の訪れを毎日のように待った事もあったのに。
「…おじい様はあまり元気そうには見えません」
「そうか」
 彼女の言葉に嘘はなく、祖父の顔色はあまり日に当たらなかったせいで青白くすら見える己よりも、ずっと悪く見えた。
 例えるならば土気色── 祖父は病んでいるのだ。
「お前は…あの家を望んだそうだな」
「はい。あそこは── あそこが、わたしの家ですもの」
 祖父の問いに彼女が答えると、祖父は口元に笑みらしきものを浮かべた。
 元々なのか、長い年月の末に失ったのか、祖父の笑顔は彼女も見た記憶がほとんどない。
 いつも厳しく、感情らしきものを見せなかった祖父が、自分の言葉でそんな顔をするとは思わなかった。
「わたし、何かおかしい事を言いましたか?」
「いや……」
 再び表情を消した祖父が、サイドテーブルに手を伸ばす。そしてその上に乗っていた書類を取り上げると、無造作に彼女の方へ向かって放り投げた。
 ばさり、と軽い音を立てて、それは彼女の足元へ散らばる。
「── おじい様、これは……」
 表紙と思われるものを拾い上げたブルーローズは、そこに書かれた文字に驚いて祖父へと目を向けた。
 それは、彼女が望んだ家の権利書だった。慌てて拾い集めていると、祖父の掠(かす)れた声が飛ぶ。
「…好きにするといい」
「いいのですか…?」
「── 今の私には、もはや意味のない場所だ」
 その言葉の意味を察し、ブルーローズは頭から冷たい水を被せられたような心持ちになった。
 自分を偽る事なく育ったせいで感情を隠せない彼女に、祖父は本来の凍えた視線を向ける。
 孤独な人だと、今更のようにブルーローズは思った。
 孤独で、孤高な── けれど決してそれの前に膝を折らない人だと。
 今まで『家族』だと思っていたはずの人なのに、実際は何一つ理解していなかった事に心は痛んだ。
「…憐れむな。お前にそんな権利はない」
「いいえ…いいえ、そんな事はありません」
 祖父の突き放すような言葉に、ブルーローズは頭(かぶり)を振った。
「あの家がわたしの『家』であるように…おじい様はわたしの『家族』です。たとえ…血が繋がっていなくても」
 その言葉に、祖父の瞳が僅かに見開かれた。よく見なければわからない程の小さな動揺に、思わず微笑む。…微笑む事が出来た。
 祖父との間に血縁関係がない事は、ここに連れて来られる以前から、…いや、おそらく物心つく頃には薄々気付いていたのだと思う。
 気付いていたから、一度も両親の事を尋ねた事はない。
 尋ねてしまえば── 知ろうとすれば、この関係が崩れてしまう。それを恐れて。
 けれど、祖父は決して周囲の人が言うような『冷酷で無情な』人ではないのだ。きっと、あまりにも孤独に慣れてしまって、どう振舞ってよいかわからないのだ。
 …天才、と呼ばれる人なのにわからないのだ。
 否、そうであるからこそ彼は孤独になってしまったのか──。今となっては、その理由を探した所で詮無き事だ。
 祖父は病み、自分にも猶予は残されていない。絶望的なまでに時間が足りない。
 だからせめて、気持ちが伝わればいいと思う。
 正直に告白すれば、恨んだ事もある。それでもやはり祖父は自分にとって、『大好きなおじい様』なのだという事を。
「我儘を聞いて下さってありがとうございます。…おじい様。わたしがこれからやろうとする事は…不可能を可能としようとする事は、愚かな行為でしょうか?」

 ── 『不可能を可能とする』人になりたいな。

 彼がいなくなってから、ずっと心を占める言葉。
 それは元々、祖父が何かの本に書き記していたものだった。
 彼女の言葉に祖父はしばらく沈黙する。やがて開かれた口から出た言葉は、今までにない穏やかなものだった。
「それを愚かと言うのなら、私は自分のして来た事を無意味だと言う事になるな」
 いくつかの不可能を可能にしてきた祖父の言葉を、ブルーローズは心に刻み付ける。
「無意味でなかった事を私は確信している。…そうだろう?」
「…はい」
 あまりにも遠回しな婉曲すぎる言葉。祖父らしいと思う。きっと最後の最後まで、彼は変わらないだろう。
 祖父が実際の所、一体何を望んで数々の研究をしてきたのかはわからない。ただ、まっすぐに向けられた視線でブルーローズは思う。
 ひょっとしたら── 誰よりも『家族』を欲していたのは、この人だったのかもしれないと。
「好きにするといい。…最後のコンマ1秒まで、お前の人生はお前のものだ。それがどんなに愚かな事だろうと諦める必要が何処にある?」


 …それが、祖父と言葉を交わした最後の記憶となった。

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