Seed
〜 A Story of 'Miracle' 〜

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2−1.『彼女』の夢(1)

 それは、今となっては遠い遠い、昔のこと。

+ + +

「えっとねえ、学校の先生と…お花屋さん! あっ、それからケーキ屋さんも!!」
 目を輝かせて、幼い少女が夢を語る。
 舌足らずな口調。緩やかな波を描く焦げ茶色の髪を大きなリボンで結わえた、見た者の目を和ませる可愛らしい少女。大きな濃緑色の瞳がまるで宝石のようだ。
「二つならともかく、三つなんて出来る訳ないだろう? 無理だよ」
 そんな少女に向かって、少女よりも少しばかり年上らしい少年が呆れた声を上げる。
 こちらは髪も瞳も、深い闇を切り取ったような黒。東洋系の顔立ちで、服装もそんな雰囲気の漂うデザインのものを身に着けていた。
 少女が西洋人形とするなら、まさに少年は対照的な容姿だ。
「そんな事ないもん! 出来るの!」
 呆れられた事に腹を立て、少女は少年に食ってかかる。
「『じだいはしんぽする。ふかのーはいつかかのうとなる』って、おじい様も言ってるんだから!!」
「…ローズ。意味と使う場所は間違ってないと思うけど、いくら時代が進歩しても、学校の先生とお花屋さんとケーキ屋さんは多分同時には出来ないよ?」
「えーっ!?」
 そこまで言われて、どうやら本当に不可能らしいと感じた少女は、ひどく残念そうに上目遣いで少年を見上げる。
 その頭を宥めるように撫で、少年はほんの少しだけ淋しそうな目をした。
「…PBは? 何になりたいの?」
 少年のそんな様子に気付いたのか、少女がふと思いついたように尋ねる。
 彼と共に時間を過ごすようになってそれほど長い時間は経っていない。だが、ちょっとした感情の変化を特に意識しないでも感じ取れる程には、二人の距離は近くなっていた。
「僕……?」
 少年は一瞬、何を聞かれたのかわからなかったような顔をし──すぐにああ、と腑に落ちた様子で頷いた。
 その顔が、何故か微苦笑を浮かべる。それは見かけの年齢にしては、何処か大人びた表情だった。
「そうだなあ…なれるものなら、博士の言う、『不可能を可能とする』人になりたいな」
「…ふうん?」
 よくわからないといった顔で、少女は首を傾げて真面目な顔の少年を見上げた。

 ── 彼が、何を思ってそう言ったのか、それを少女が知るのは十年近くものの月日が流れた後だった。

+ + +

「……」
 彼女は闇の中、ゆっくりと目を開いた。随分、昔の夢を見ていたような気がする。
「そんな事も…あったっけ……」
 小さく笑って呟いた言葉は、静寂の中に飲まれてしまう。
 この部屋はいつからこんなに淋しくなったのだろうと、彼女はぼんやり考えた。
 生まれた時から暮らしているこの家。体調がひどい時はもっと山奥の別荘に移されもしたが、ここが彼女にとっての『家』なのには変わりない。
 昔── 子供の頃はとても暖かだったのに、今はまるで死んでしまったかのよう。
 何故そう思うのか、考えずとも答えははっきりしていた。温もりが欲しいと、彼女は思う。
「『不可能を…可能にする』人、か……」
 そう言った彼は今はここにはいない。…何処にもいない。
 今なら何故あの時、彼があんな事を言ったのか理解できるのに。
 今も脳裏に焼きつく、天を焦がす赤い光。あれが彼女から笑顔を、『彼』を奪い去ったのだ。
 ── もし彼が、こんな風に自分の前からいなくなってしまうとわかっていたら、彼を何処へも行かせはしなかったのに。
「あなたの夢は…わたしが継ぐ」
 ぽつりと呟き、彼女は再び目を閉じる。
 …重たい、大気。
 『あの日』から、どんどん世界は重さを増している。いずれ、それは全てを押しつぶしてしまうのかもしれない。
 ── その、前に。
「…わたしが、不可能をきっと可能にしてみせるわ。だから……」
 誰に聞かせるともなしに、彼女は言葉を紡ぐ。血の気が失せた唇をゆっくりと動かして。
 さながら、自分自身に言い聞かせるように── 祈るように。
 言葉にしなければ、身を苛(さいな)むあらゆる物に負けてしまいそうだったから。
「だから、生きていて。どんな形でもいいから…世界の何処かで…私が、あなたに会いに行くまで……」
 彼女は目を閉じ、枕元に置いてあった物を縋(すが)るようにぎゅっと握り締める。まるでそれが彼女の夢を叶えてくれるかのように。
 そして彼女はまた、深い眠りに落ちた……。

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