♪南の話♪
ここでは南の国、沖縄は石垣へ行ってきた時の事を書いていきます。
一日一日と少しづつアップしていきますね。
あとは苦情とか言いたい事も沢山あるので、そちらも盛りこんでいきます。
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9月27日
またまた朝7時30分に目覚ましをかけるが、どうしても7時30分には起きられないらしい。
今日も8時ごろになってしまった。
早速モーニングを食べに行く。
今日のメニューはスクランブルエッグ、ソーセージ2本、フーチャンプルー、ヨーグルト、ベーコン2枚、ロールパン1個、10×10センチの食パン1枚と少し質素だった。
朝食を食べた後、レンタカーを返しに行った。
レンタカー屋さんはホテルまで送ってくれた。
ホテルについてからはチェックアウトに向けて、荷造りをし始めた。
チェックアウトは11時だったので、ちょっとゆっくりできた。
チェックアウトを済ませた後は、荷物を預けて「あやぱに商店街」へまた向かった。
昨日は日曜日で商店街は日曜休みだった為か、今日はあちこちの店が開いていた。
商店街を行ったり来たりして、結局ジーマミー豆腐を2パック買った。
一休みしようと※「A&W」へ入り、高田寺とともにジュースを飲んだ。
その後、ホテルへ戻り飛行機の時間が来るまでホテルのお土産物屋を見てまわった。
私は友人への土産に紅芋チョコレートと泡盛2本、黒糖まんじゅう、石垣せんべい、自分の土産に※島マースを買った。
3時近くになったのでタクシーで空港へ向かった。
飛行機の時間は4時10分だったので、搭乗手続きのできる時間までまた空港の土産物屋をのぞいた。
以前買って美味しかった牛タンスモークが売っていたので、それも買った。
どうでもいい土産でクリオネの携帯ストラップが売っていたので、それも勢いで買ってしまった。
那覇空港までは順調に進んだ。
しかし、那覇空港近くで機内アナウンスがあった。
「名古屋空港までおこしのお客サマは地上係員までお尋ね下さい」と。
深く考えずに空港へ着くと、地上係員が名古屋行きの客を呼んでいた。
内容は名古屋までの飛行機が欠航になった、というものだった。
青天の霹靂の出来事に周りの客も騒然となっていた。
カウンターへ行くと、福岡経由の飛行機は空席が一人分しかなく、仕方なく私と高田寺は伊丹空港まで行くことになった。
伊丹からは新幹線を使う予定となった。
なんてこった…。
JALは地上交通費¥10000をくれた。
でも、さすがに得した気分は無かった。
伊丹空港行きの飛行機は6時10分発だった。
チケットをもらったのが6時頃。
おいおい、あと10分しかないじゃん、と言いながらも高田寺は泡盛を買ってくると言い、土産物屋へ突進していった。
5分前に搭乗して離陸するのを待っていたが、油圧の不備で整備するのに10分程かかった。
予定では那覇空港で1時間ほどのあき時間があり、その時間に夕食を食べようと思っていたのに、夕食を食べそびれてしまった。
機内ではずっと空腹で、伊丹に着くまで「腹減ったー、腹減ったー」と騒いでいた。
1時間以上乗っているし、夕方だから小さな弁当みたいな物でも出るだろうと思っていたが、結局出たのはコーヒー、紅茶だけ。
しょうがないから伊丹へ着いたらたこ焼きでも食べようと言っていた。
しかし、実際伊丹空港へ到着すると、とてもじゃないがたこ焼きなど食べている時間は無かった。
着くやいなやシャトルバスに乗せられ20分ほど走り、新大阪駅へ連れられていった。
駅には店が何件かあったが、8時を過ぎておりほとんどの店はシャッターが閉まっていた。
開いていたとしても今度は新幹線の時間が迫っており、何かを買う時間は無かった。
とにかく早く帰りたいと、9時15分発の「のぞみ」に乗った。
新幹線の中で、どうにも空腹感がたまらなくなってきたので、私はとんかつ弁当、高田寺はサンドイッチを食べた。
それで空腹感が満たされてちょっと幸せ気分に浸れた。
名古屋へ着いたのは10時過ぎだった。
名古屋駅でタクシーを拾い、高田寺とは別々に帰途へついた。
タクシーの運ちゃんは飛ばしまくり、80〜90キロのスピードで目的地へと向かった。
はっきり言って怖かった。
名古屋の中心地をそんなスピードで走る車はそういないと思う。
11時前にナンとか家に到着した。
服を脱いで気がついたが、左肩の荷物を持っていた所が内出血して痣になっていた。
とにかく、無事帰りついてよかった。
※A&W…沖縄だけにあるハンバーガーショップ
※島マース…ウチナーグチで「マース」とは「塩」の事。島で作った塩の事。ちなみにビーチサンダルの事を「島ゾーリ」とか「島サバ」とか言う。
Akemiya 1999