海王記(2)


1941年5月9日 ロシア連邦 ウラジオストク軍港

 ロシア・スラブ連邦海軍太平洋艦隊旗艦「ペトロパブロフスク」は、この国が「ソ
ビエト社会主義共和国連邦」という国名を冠していた時代に、スターリン政権下で建
造された15000トン級の装甲巡洋艦だ。
 そして今では、バルチック艦隊旗艦を務める姉妹艦「スラヴァ」と並ぶロシア海軍
最大の戦闘艦として、東方の守りに就いている。
 しかしその実態は、後備役から動員された老兵や若年兵(海など徴兵されるまで見
たこともないと言う、中央アジア出身者まで混じっていた)を寄せ集めた烏合の衆で
あり、艦自体も整備が充分とはいい難い状態だった。
 そして旗艦がこの体たらくであるからして、他の艦の練度なぞたかが知れている。
唯一まともな水準にあると思われたのは、ソ連時代から海軍きっての勇士として知ら
れるゴルシコフ大佐率いる、装甲巡洋艦「キーロフ」(9800トン、7インチ砲9門)く
らいのものである。

「ま、それでも構わんのだけどね」
 羅針艦橋脇に設けられた見張り用ウィングの手摺にもたれながら、「ペトロパブロ
フスク」艦長のユーリー・センドノフ大佐は、ようやく春の息吹を感じさせるように
なった潮風を満喫していた。ウラジオストクが流氷に閉ざされる冬の間停泊していた
佐世保から帰ってきて一週間が過ぎている。「冬」と「冬でない季節」しか存在しな
いロシアにおいては、春は誰にとっても喜びをもたらしてくれる季節だ。
 当年とって29歳。まだ大佐としては若すぎる部類に入る。
 かといって、中央に忠実であるがために出世が早まった訳でもない。その手の人間
は、この数年間にその大半が淘汰されてしまった。
 ロシア海軍は前身であるソ連海軍の頃から、慢性的かつ深刻な人手不足に陥ってい
た。ロシア革命によって貴族階級出身者が大多数を占めていた士官が大量に失われて
以来、その将兵の数が定数を満たしたことは、ただの一度もない。
 それでも、革命から20年余りを経るうちに、徐々にではあるが人員の不足は解消の
方向に向かいつつあった。
 そこへ、スターリンの海軍大粛正である。
 1936年から三年間に渡って、東ヨーロッパから中近東、東アジアを舞台に繰り広げ
られた共産圏紛争が勃発する直前、かの独裁者は軍部に対する大粛正を決行しようと
していた。幸い、直後に共産圏紛争が始まったおかげで、早急に人手の必要な陸軍に
対しては、粛正の手が及ぶことはなかった。しかし、ロシアの戦略重心は陸にある。
海軍に関しては、スターリンも遠慮する必要はなかった。
 かくして、1936年からの二年間で、海軍の水兵の一割、尉官の三割、佐官の四割、
将官に至っては七割がこの世から姿を消した。
 当然、これだけの欠員を一度に生じた組織がまともに機能する訳がない。軍隊とい
うのは、ある程度の人的被害を生じながら機能を全うすることを前提に編成された組
織ではあるが……それはあくまでも戦闘で予想される被害のうちである。自国の指導
者の都合で、将兵全体の三割もの人数が首を切られる(それも文字通り)事態など、
最初から想定されていない。
 その結果が、スカゲラック海峡海戦の大敗であり、黒海艦隊の全滅であり、太平洋
艦隊の惨澹たる現状である。ロシア海軍の人的資源は、控え目に言っても質量とも最
悪の状態にあった。


 ユーリーのような若輩者が三大艦隊(バルチック艦隊、黒海艦隊、太平洋艦隊)
の旗艦艦長を務めているのには、そのような背景があった。将校の人数が破滅的に不
足しているのだから、使える人間は誰であれかき集めて、適当な部署に配置しなけれ
ばならなかったのだ。閑職や予備役にあった者のみならず、軍刑務所や強制収容所か
らまで士官経験者が集められ、特務士官に昇進した者も相当な数に登った。
 ましてやユーリーは、なまじ海軍士官として優秀であるがために思想性を疑われ、
ウラジオストクの陸上勤務に回されていた男だ。終戦後、中佐だった彼が大佐に昇進
して装甲巡の艦長を任されたのは、当然とも言える成り行きだった。


「おぉ、ここにいたか。マイフレンド」
 やおら背後から掛けられた声に、ユーリーは手摺から滑り落ちかけた。
 左手の人差指と中指を揃えて丸眼鏡を持ち上げる独特の仕草と共にラッタルを昇っ
てきたのは、少将の階級章をつけた若い男だった。
「てっ、てめぇアレクサンドル! いつイギリスから戻ってきた!?」
 アレクサンドル・クヴォノブツェンコ少将。
 ユーリーとは同い年。故郷以来腐れ縁の悪友で、士官学校の同期。首席で卒業し
た後は、海軍士官としてのエリートコースをまっしぐらに昇って来た。この無意味に
大きい態度さえなければ、今ごろは海軍中枢の要職を窺える地位に就いていることだ
ろう。傍若無人・傲岸不遜を地で行く野心家で、彼のような男がソ連海軍冬の時代を
何故生き延びることが出来たかは、海軍七不思議の一つとなっている。
 それはそうとして、この男はソ連海軍が崩壊した三年前から、技術研修の名目でイ
ギリスに留学していた(意訳:体良く追い払われていた)筈なのだが……
「ふふふ、北海の孤島に送りこんだところで、我輩の野望を止める事などできはしな
いのだよ、同志ユーリー。再び大義に向かって邁進すべく、我輩は不死鳥の如く蘇っ
たのだ!」
 この男の前には、大ブリテン島も小島扱いらしい。
「お、おまえなぁ……赤軍時代じゃあるまいし、その呼び方はやめろと何度言った!?」
 階級上の上官であり、直接の上司でもある相手だが、元々の間柄からユーリーは
この男に対しては遠慮がない。考えてみれば軍組織の中では公私混同もいいところだ
が、この二人の間にはどこかその方が自然に見える空気があった。

 ……余談だが「同志」という単語は、現在のロシアでは放送禁止用語寸前だ。

「何を言うかねマイフレンド。政治士官などと言う邪魔者がいなくなった今こそが、
我がロシア海軍にとっての絶好のチャンスではないか。貴様と我輩の力を合わせれば、
世界を極めることも夢ではないと常々言っておろうが」
 これが例えの話ならどんなにいいかとユーリーは常々思っていた。本当に自分の
言を実行しようとしている辺りが、クヴォノブツェンコの怖いところだ。この男とま
ともに付き合うためには、鋼鉄製の心臓と耐爆金庫並の堪忍袋が要求されるだろう。
現に、以前この男が司令官を務めていたバルチック艦隊第二巡洋艦戦隊など、二年間
で政治士官と幕僚を合わせて10通以上の転属願が出たと言う。
「それに、我輩がこの三年間を無為に過ごしたとでも思っておるのか? 元祖海軍の
秘伝のノウハウ、しっかと盗んできてやったぞ」
 ……ついでに英語訛りも盗んできたらしい口調で力説するクヴォノブツェンコ。ユー
リーは、もう何も言う気になれなかった。

「で? 今度は一体なんの用だ?」
「うむ。喜ぶべき知らせが入った」
 きっとロクなものではあるまいとユーリーは確信する。
「ソユーズ級戦艦は知っているな?」
「サンクトペテルブルク(旧レニングラード)で建造中のデカブツのことを言ってい
るのならな」
「それだ。一番艦『ロシア』の進水日程が決定した。9月22日だそうだ」
「だが、あれはバルチック艦隊に配備されるはずだろう。うちになんの関係があるん
だ?」
 胡散臭そうな表情を崩さないユーリー。
 ソユーズ級戦艦は、ソ連邦が解体された後、イギリスと日本の資金・技術両面に渡
る援助を受けて建造されていた大型戦艦だ。新生ロシア海軍初の主力艦と言うことで、
たしか新聞でも一面やら社会面やらで大々的に取り上げていた筈だ。
「肝要なのはここからだ。昨日、『ロシア』の艤装関係の人事が発表された。艤装員
長は、同志ユーリー。君だ」
「なっ、何ぃっ!?」
「だから喜ばしい知らせだと言ったであろうが」
「アホ! 逆だ!」
 ユーリーには、日本人シベリア移民の婚約者がいるのだ。艤装員長──すなわち初
代艦長としてサンクトペテルブルクなんぞに赴任した日には、地球半周分も離れてし
まう。
「そしてもう一つ良い知らせだ。この度編成される第一戦艦戦隊司令官に、我輩が赴
任することが内定した。これからも共に手を携えて、世界制覇への道を歩もうぞ」
 全く聞いていないクヴォノブツェンコ。まさにトドメ。がっくりと肩を落とすユー
リーに、居合わせた当直の見張り員は同情の視線を向けていた。
(明日、ミズキに会って話をしてこよう……)
 彼女が納得してくれるとは、到底思えなかったが。



「なんですってぇぇぇぇっっ!?」
 案の定、街中に響き渡るような素っ頓狂な大声が飛び出した。表通りから少し奥に
入ったところに、ひっそりと「料理・かたせ」の看板を出している小料理屋。そこの
長女・片瀬瑞季が声の主である。長い髪をこざっぱりと纏めた外見は相当な美人と言
え、料理の腕も立つのだが……生憎と天が与えられるのは二物が限界だったようで、
彼女はウラジオの日本人街でも指折りのお侠として知られている。
「サンクトペテルブルクなんて、地球の裏側じゃないの! いったいどうしてそんな
所に赴任するハメになったのよ!」
「そんなムチャクチャな……ロシアじゃウラジオの方が僻地なんだぜ……」
 確かに。ロシア人の基準ではこの人事は紛れもない栄転だ。しかし、日本人にとっ
ては、ロシアと言えばウラジオストクを始めとするシベリアの大地のイメージが強い
のもまた事実であった。


 1935年に始まった共産圏戦争が終結したとき、ロシアは文字通りボロボロだった。
 開戦時に380個師団600万人に達した赤軍の陸上兵力は、終戦時には160個師団250万
人にまで激減していた。海軍・空軍の損害(スターリンによる粛清を含む)も深刻で、
ロシアの人的資源は軍民ともに壊滅状態だった。
 さらに、終戦後に締結されたワルシャワ講和条約では、ソ連邦の解体と中央アジア・
コーカサス地方の諸共和国の分離独立が行われ、新生ロシア連邦に残された領域は、
ロシア本国とウクライナ・白ロシア・モルドバの各共和国のみとなってしまったのだ。
 ちなみに合衆国やドイツなどは、サハ、ブリヤート、コミ、タタールなどロシア共
和国を構成する国家の分離独立まで試みたが、ロシアの極端な弱体化を危惧する日英
が待ったを掛けたために、これは果たされなかった。
 但し、日英も決して善意からロシア贔屓に走ったわけではなかった。
 イギリスは、ドイツを東から牽制する戦力、そして日本や満州・朝鮮など極東権益
地域との陸の回廊としてシベリア鉄道を利用することを目的としていたし、日本は排
日感情の高まりから移住の難しくなった合衆国に代わる移民の受け入れ先として、シ
ベリアの大地を当て込んでいた他、ここでロシアに恩を売って味方に引き入れること
で、長年の悲願であった後背の安全を確保するという狙いもあった。
 もっとも、これらの条件はロシアにとってはプラスに働くものが多かった。イギリ
スはシベリア鉄道の複線化を始めとする国内交通・通信インフラの充実に対して、積
極的な財政・技術援助を惜しまなかった。日本から受け入れた移民は、シベリア地域
の大規模な開墾に成功し、またウラジオストクをはじめとする各都市に行われた資本
投下によって、共産主義の統制下から脱したばかりで混乱の渦中にあった経済は、一
応の安定を見せていた。最近では、三井・住友などの大資本鉱山企業による地下資源
の開発も始まっており、既に金や石油などは有望な鉱脈が発見されて、試掘から営業
採掘に移行しつつあるとも聞く。
 さらに、軍備──特に海軍の再建に関しても、日英からの助力は大きかった。共産
圏紛争前のソ連海軍は、どう見ても身の丈に合ったとは言いがたい陣容だった。戦艦
11隻、巡洋戦艦2隻を始めとする少なからぬ数の艦艇を保有していたのに加え、戦艦
と巡洋戦艦をさらに15隻ずつ建造すると言う途方もない計画を立てていたのだ。お世
辞にも強大とは言えないソ連経済は、そうでなくとも世界最大の陸軍を抱えた上に、
このような負担に耐えられるような代物ではなかった。終戦(事実上の敗戦)をきっ
かけに、旧来の艦艇の多くは戦時賠償艦や屑鉄材料として、他国に引き渡され、ある
いは売却されていった。代わりに日英のアドバイスの元に立てられた建造計画では、
所要最低限の戦力を効率的に配備することに重点が置かれていた。
 ユーリーが赴任することになった「ロシア」は、この計画で建造されたソユーズ級
戦艦の一番艦だった。


「──というわけなんだ。今乗っている『ペトロパブロフスク』よりも『ロシア』の
方が安全だよ」
 ユーリーの懸命の説得は続く。
「それに、地球の裏側と言ったって、同じロシアの中だ。郵便だって電信だって進歩
しているし、連絡がつかないわけじゃない」
「わかったわよ、そこまで言うんなら止めはしないけど……その代わり!」
 びしっと指を突き付けて、彼女は言った。
「月に一度は手紙なりで連絡をよこすこと! それから、絶対帰ってきてよ。嫁かず
寡になんかしたら許さないんだから。いいわね!?」
「……ああ、約束する」
 ユーリーは、大きく頷いて答えた。

「よーし、じゃあ無事出世して帰って来ぉい!」
 帰り際、ばぁんっ! と大きな音を立てて、後押しするように背中を叩かれる。
 ひりひりする背中の感覚を心地よく感じながら、ユーリーは思った。

 ──次に会えるのは、いつなんだろう……?

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