海王記(5)






1941年12月8日 台湾 高雄市上空

「あいつは……化け物か……!」
 陸軍独立第17戦闘機大隊第三中隊長の只野正秀少佐は、絶望的な表情で叫んだ。
 その怪鳥達──フィリピンから飛来したボーイングB-17「フライングフォートレス」
の梯団は、全幅32メートルの長大な翼を広げて悠々と夜空を舞っていた。
 下界から立ち昇る火炎と照空灯の明かりに照らされて、翼竜を思わせるシルエット
が赤黒黄の三色に染め上げられている。
 彼の眼前でまた一機、味方機が炎の塊に変わった。
 主翼付け根とコクピット付近から発火した九七戦は、力なくロールを打つように腹
を上に向けると、そのまま大地に向かって投擲された石のように落下して行く。
 視界の隅では、また別の味方が敵機の正面上空から一撃を掛けていた。だが、7.7
ミリ機銃の集中射撃にも敵機は堪えた様子はなく、逆に九七戦の方が機銃弾の束に一
薙ぎされ、炎と共に空中分解して落ちて行った。
 機銃弾を放った巨鳥はその腹からばらばらと黒い塊を零した。
 眼下の市街地の只中で無数の閃光と爆炎が連続して弾け、新たな炎と黒煙が立ち昇る。
 見下ろした地上は、火の海だった。
 住宅街と言わず商業街と言わず、至る所で建造物が倒壊し、炎に包まれている。
 港の方の工場地帯では、重油タンクが次々と水風船のように破裂し、火柱を吹き上
げていた。
 また一機、味方が火を吹いた。同じ台南基地に所属する第八飛行師団の機体だ。
発動機に直撃を受けた九七戦は、最期の執念を見せるかのように一機の敵機に食らい
つくと、垂直尾翼に激突して炎の雲に変わった。
 体当たりを受けた敵機は三枚の尾翼全てを失い、バランスを崩してゆっくりとロー
ルを打ちながら落下して行く。市街地を逃げ惑う人々の只中に落下したB-17は、搭載
していた燃料と弾薬を誘爆させ、辺り一帯を火の海に変えた。
「指揮所より全機。方位200に新たな梯団多数。直ちに迎撃に向かえ」
 見れば、あらかた爆弾を投下し終えた敵機の群れは、機首を翻して退避に掛かって
いる。
 入れ替わるように、南の空から新たなエンジン音が轟いていた。
 空中集合した味方は、出撃時の半分近くにまで討ち減らされていた。
 只野は衝撃を受けた。対空戦闘を本職としない爆撃機相手の戦いでこれだけの損害
が出るものなのか。
 そのとき、北の空から別のエンジン音が聞こえてきた。
 航空灯を連ねて飛来した小型機の機影には見覚えがあった。
 僚機の箕島軍曹の歓声が機上無線機のレシーバーに飛びこんできた。
「味方だ! 基隆基地の零戦だ!」


「まだ焼き足りないってか……」
 ようやく戦場に到着した海軍第25航空戦隊所属の西沢広義一飛曹は、レバーをへし
折らんばかりの勢いでスロットルを全開に叩きこんだ。愛機・三菱零式戦闘機の
栄発動機が咆哮を上げ、後ろから蹴飛ばされたような勢いで機体が突進する。
「野郎……一機足りとも生かしちゃ帰さねぇ!」
 零式の高速に追従できない防御機銃弾幕を突破し、激突せんばかりの至近距離から
両翼のイスパノ20ミリ機銃を叩き込む。
 照準点は、左舷内翼エンジン内側──燃料タンクだ。
 ルイス7.7ミリを易々と弾いた頑丈な装甲板も、至近距離からの大口径徹甲炸裂弾
の一連射にはひとたまりもなかった。命中と同時に破片がばらばらと舞い散り、炎
の帯が生まれる。
 下方にすり抜けて後方を一瞥した西沢は、目を剥いた。
 敵機は火を吹きながらも、なおも僚機に追従して飛行を続けている。
「まだ飛べるのか!?」
 西澤が驚愕の叫び声を上げた瞬間、火炎の帯が一瞬膨れ上がったように見え──
 次の瞬間、夜空に巨大な閃光が弾けた。
 敵機は主翼間の爆弾槽から真っ二つに千切れていた。機体の外板一枚で繋がった
機首部分が吹流しのように、急降下する本体に引っ張られてばたばたと翻っている。
 左翼内側のエンジンはカウルごとすっぽ抜け、惰性で回転するプロペラを上にし
て放物線を描くように落ちて行く。
 敵機は落下中に、右翼燃料タンクから二度目の誘爆を起こした。
 これで完全に四散したB-17は、無数の破片となって姿を消した。

 その間に西澤機は、二機目の獲物に食らいついていた。
 今度は直上方からの急降下。
 20ミリの火箭が命中した瞬間、それまで激しく弾丸を吐き出していた上部連装機
銃塔が沈黙した。
 銃塔から機内に飛びこんだ炸裂弾が操縦室内の要員を殺傷したのか、B-17の巨体
はぐらりと傾ぎ、急降下して行った。
 さらに、少し離れた空域で別のB-17が火を噴いた。
 第26航空戦隊の零式戦闘機が下方に抜けて行くのが見える。
 ラダーを吹き飛ばされた巨鳥は、暫く空中を迷走してから後方梯団の僚機と空中
衝突してもつれ合うように落下して行った。

 それでも、爆撃機の群れは次から次へと現れ、高雄の市街地に爆弾を投下して行く。
 不意に、前方で一際強い爆炎が上がる。立ち昇る炎の中に大型軍艦の姿が見えた。
 戦場空域は軍港の上空に移っていた。
 眼下を見た西澤は息を飲んだ。
 多数並んでいた重油タンクは殆ど全てが炎上し、濛々と黒煙を上げている。
 岸壁やドックなどの工廠施設群も、軒並み火の海の中に沈んでいる。
 流れ出した重油は周囲を火の海に変え、一部は湾内の海面に流出して燃え盛っていた。
 さらに、やや沖合いで一隻の大型軍艦が炎上していた。艦橋の形状から見ると、
昨日セイロンから回航されてきた第一二戦隊の最上級偵察巡洋艦らしい。
 中央部が火の海になり、大きく傾いている。
 日本製巡洋艦の象徴とも言うべき天守閣のような城型艦橋が、篝火と化したように
炎に包まれて燃え盛っている。
 火災炎に煌々と照らされた甲板上からは、脱出する将兵が次々と海に飛び込むのが
目撃できた。
 そこへさらに、後続の梯団が爆弾を投下して行く。
 将兵が鈴なりになった甲板上に爆炎が踊り、至近弾の水柱が襲いかかり、夥しい死
が量産される。
 直後、第三砲塔が爆炎と共に吹き上がり、炎の雲が沸いた。
 悲鳴のような破断音が響き、巡洋艦の船体は艦橋の直前から真っ二つにへし折れた。
 海上に立ち上がった船体から、火達磨になった人間がばらばらと零れ落ちる。
 付近の海面を漂っていた生存者を沈没時の渦の巻き添えにしながら、猛火に包まれ
た巡洋艦は見る間に海底へと姿を消した。

 それを見た海軍機隊は怒り狂った。
 続いて突入してきた第三波は、復讐に燃える彼らの猛撃をまともに受けた。
 30機余りのB-17に対して、第25、26航空戦隊合わせて60機近い零式戦闘機が殴りか
かって行く。
 これに陸軍の九七戦50機が加わり、付近の空域は日本軍の機体で飽和せんばかりに
なった。
 7.7ミリ機銃弾がB-17の機体表面で弾け、風防を叩き割り、内部の乗員を殺傷して
行く。
 20ミリ徹甲炸裂弾がエンジンを貫き、燃料タンクに穴を開け、次々と火を噴かせる。
 爆弾槽の誘爆で空中に散る機体も少なくない。
 襲来したB-17は、その殆どが目標に到達することなく撃墜されるか、爆弾を投棄し
て退避して行った。

 全敵機の退却を見届けて集結した戦闘機隊の背後──軍港で、最後に残っていた三
基の石油タンクが延焼によってほぼ同時に弾け飛び、数百メートルに及ぶ三本の火柱
が上がった。
 それはまるで、焼き尽くされた高雄市の墓標のようだった。



12月9日 陸軍高雄航空基地

「邀撃シフトが陸寄りすぎるんだ。もう少し沖合いで敵機を捕捉しないと、戦ってる
うちに敵機が市街地の上空まで来ちまう」
 爆弾孔を埋め戻した跡も生々しい滑走路を前に、只野少佐はぼやいた。
 高雄市街地や軍港施設で発生した火災は未だに鎮火せず、数千メートルの高度にま
で立ち昇った黒煙で一帯は薄暮時のような暗さとなっている。
「沿岸監視所だけでは限界があるのかもしれません」
 箕島軍曹が同意する。
「太平洋正面でやっている特設哨戒艇ですが……あれをルソン海峡でもできんもんで
すかね」
「無理だろうな」
 只野は首を横に振った。
「太平洋正面と違って、ここいらは近くにフィリピンがある。ルソン西岸は米軍の根
拠地だらけだ。漁船に毛の生えたような特設哨戒艇じゃ、駆逐艦や砲艦が出てきたら
一発で消し飛んでしまうぞ」
「陸上から水平線の向こうの敵機を発見する方法ってのはないもんですかねえ……」
「あるにはありますよ」
 突然背後から掛けられた声に、二人は驚いて振りかえった。
 少佐の階級章をつけた背の高い男が、何やら電線と思しきワイヤーが積めこまれた
箱を抱えて立っている。昨夜の空襲で損傷した通信塔の修理に駆り出された技術将校
のようだ。
「昨夜はご苦労様でした。市街を守れなかったのは痛恨事ですが、この経験は必ず次
に生きてきますよ──おっと失礼、申し遅れました。技研電波研究部の赤星少佐です。
検波機器を専門にやっています」
 訝しげな視線を向ける二人に、男はそう名乗った。
「その……方法があると言われますと?」
 箕島の問いに、赤星少佐は笑って答えた。
「英国で開発されたものですが、RDFという装置があります。直訳すると電波式方位
探知器です。まぁ、我々は略して電探と呼んでいますが。こちらから電波を発信して
敵機が反射する電波を検知する事で方角と距離を割り出す装置です」
 技術屋の性なのか、赤星は下士官相手でも敬語で喋っている。
「へぇ……そんな機械が」
 箕島は、将校から敬語で話し掛けられてどうにも居住まいが悪いらしい。
「しかし、電波も基本的には直進するものだろう。水平線の向こう側まで探知するの
は無理ではないのか?」
 只野がもっともな疑問を口にする。
「あぁ、確かに沿岸に置けばそうなりますが」
 赤星は抱えていた箱を地面に下ろすと、説明を始めた。
「電探を設置する高度を上げれば、探知距離はそれだけ増大します。1メートル高度
が変わるだけで、ずいぶんと差が出てくるんです。幸い台湾は標高の高い山に恵まれ
ていますから、ちょっと高い所に設置すればバシー海峡の半ばくらいまでは余裕で監
視できますよ」
「そんな装置があるのなら……」
「さっさと使っておれば昨夜の大損害は防げた、でしょう?」
 思わず声を荒げた只野のセリフの先を継いで、赤星は苦笑した。
「残念ながらまだ数が揃っていないんですよ。内地の防備に必要な所要数を充足する
だけで手一杯でした。なにせ、電探の製作には高性能の真空管が大量に必要ですので」
 そこまで言って、赤星は少し表情を険しくした。
「……まぁ、ここまでは建前です。この先は内聞に願いますが、実のところ我が国の
工業力は、充分な信頼性を持った真空管を量産できる水準に達していないんです。目
下全力を挙げて増産に取り組んでいますが……工程段階での品質管理が向上しない限
り、生産数を増やしても意味はありません。むしろ単位辺りの作業が粗雑になる分、
不良品が増える恐れすらあります。実際、内地を防衛するための員数もまともに揃っ
ちゃおらんのが実情です。今のところ、国産の電探も英国から買い付けた優良品で誤
魔化していますが、いずれ国産真空管の品質を上げていかない限り、根本的な解決は
不可能でしょうね。早い話が、電探を国産化するには、まだまだ我が国の工業化思想
は未熟なんです。今、技研では、各地の工場に対して品質管理の徹底を指導している
ところですよ。技術力を一気に伸ばすことは困難ですが、品質管理は作業現場におけ
るノウハウの共有で一定の水準まで持って行けます。ここを何とかすれば、いずれ技
術力を伸ばして行く上でも不安はありません」
 只野にとっては、初めて聞く話だった。技研で電波を使って何かやっていると言う
程度の噂は聞いていたが、そのときは新型の通信機か何かだと思っていたのだ。
 赤星が一礼して立ち去った後、只野と箕島は呆然とその後姿を見送っていた。
 どうやら、自分達が知らない間に戦場とはずいぶんと得体の知れないものに変化し
つつあるらしい。


 そのころ第八飛行師団司令部と高雄鎮守府は、昨夜の空襲による損害に青くなって
いた。
 来襲した敵機は三波合計で約150機。開戦前に判明していた在比米軍のB-17の保有
機数が約180機だから、これはほぼ全力出撃と言ってよい数字だ。その結果、高雄市
中心街の七割と工場地帯・軍港施設の八割が灰燼に帰し、防空戦闘機も陸軍で22機、
海軍で5機が未帰還となった。
 さらに、トラックへの集結に向け寄港中だった第五艦隊の艦艇が爆撃を受け、
第一二戦隊の偵察巡洋艦「鈴谷」が撃沈され、駆逐艦「叢雲」が大破。
 戦死者は陸海軍合わせて1800名余り。民間人にも2500名を超える死者が出ている。
 戦死者の半数近くは、沖合いで沈んだ「鈴谷」の乗組員だ。退艦中の甲板に命中弾
があったうえに、最後は艦が轟沈したため、艦内からの脱出に成功した将兵からも巻
き添えを食って多数の犠牲者が出たのだ。
 防空戦闘機隊も奮戦し、確認しただけで14機を撃墜していたが、損傷した敵機が市
街地に墜落して被害を拡大したという報告もあり、決して手放しでは喜べない状態だ。
 差し当たって、第八師団に零戦の陸軍仕様である一式戦闘機を補充する事で当座を
凌ぐ事にしたが、大型爆撃機の迎撃と言う未知の戦闘に関しては、未だ蓄積すべき戦
訓や未解決の課題が山積みだった。



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