海王記(7)
1941年12月16日 マーシャル諸島東方沖
対米戦が本格的に検討され始めた1920年代に日本海軍が策定していた漸減邀撃計画
は、マーシャルやカロリンと言った島々に基地航空隊や水雷戦隊を配置し、来寇する
合衆国太平洋艦隊に波状攻撃をかけて消耗を強いて行き、マリアナもしくはパラオま
で引きこんだところで主力による決戦を挑むと言うものだった。
ところが、八八艦隊計画が進行して対米戦力(とはいえ太平洋艦隊限定)が対等か
それ以上になってくると、作戦部内ではさらに強気の意見が台頭してくる。すなわち、
これだけの戦力があれば、なにもみすみす南洋諸島を明け渡す必要などないのではな
いかというものだ。
確かに最初期の計画では、太平洋艦隊はハワイを出撃後まっしぐらにフィリピンを
目指してくるものと思われていた。だが冷静になって考えてみると、大艦隊が地球を
半周する距離を一気に踏破するような作戦計画が、はたして合理的と言えるだろうか。
設営能力に優れた合衆国ならば、途中の島々の中で適当な場所に前進基地を設け、そ
こで補給と休養を行ってからおもむろに攻めてくると考えた方が筋が通っている。そ
れでは、わざわざ敵を内懐に引き込むメリットは大きく薄れてしまう。
こうして、邀撃作戦計画は徐々にその姿を変えて行った。1930年代に入って18イン
チ砲搭載艦が配備されたことでその動きはいっそう加速され、いつしか対米戦計画は
最前線マーシャルの外側で全力を投入した決戦を強要し、一撃で勝負をつけるという
ものへと変質していた。これはこれで問題のある計画だったのだが、一応の筋は通っ
ていた。戦力の集中と言う原則に沿っていたからだ。
第一次マーシャル沖海戦──連合側公称マロエラップ島沖海戦と呼ばれる戦いの開
幕は、その艦隊決戦の筋書きにおおむね沿ったものとなった。太平洋艦隊主力は、ま
ずパルミラ北方沖でピケットを張っていた潜水艦に発見された。次いでこの日755時、
マロエラップ島所属の九六式陸攻が西進中の第一任務部隊を発見。彼らは上空直掩の
F4Fに撃墜されたが、その直前に貴重な情報を打電することに成功していた。
──敵艦見ゆ。オハイオ級四、サウスダコタ級六、メリーランド級四、装甲巡以下多
数。方位0度、320浬。敵針180、18ノットにて進撃中──
主隊後方60浬
図体に不釣合いなほど大きな増槽をぶら下げているにもかかわらず、九六式艦上戦
闘機の機動性は見事なものだった。もっとも、増槽を抱えたまま格闘戦をやる阿呆は
戦闘機乗りには存在しない。
ひとたび増槽という空気抵抗と重量の元凶を排除すれば、九六式は全金属製単葉機
らしい重量感のある速度性能と天才的な空力設計のみが為しうる運動性能によって、
おそるべき空の凶器へと変貌する。
編隊は空中集合を終えようとしていた。大型増槽を装着することによって航続距離
を本来の二倍にまで延ばした九六艦戦が各空母から一個小隊ずつ、計18機。250キロ
爆弾を抱えた九九式艦上爆撃機が三個中隊27機。そして、40センチ砲弾を改造した
800キロ徹甲爆弾を吊り下げた九七式艦上爆撃機が八個小隊24機。総勢69機という数
は、第一航空艦隊全搭載機の四割に当たる。空母が一度に運用できる機数を考えれば
これは全力出撃に等しい。
(残る問題は……)
「龍鳳」から発進した戦闘機小隊を率いる金子辰一中尉は、CAPに割り振られた機
体が眼下の飛行甲板に引き出されてくるのを目にして、ふと不安を覚えた。
(こいつらがまだ通用するかってことだ)
本末転倒な話だが、日本の母艦航空隊は一般に基地航空隊よりも練度が低い。無論、
これは彼らの操縦技術が未熟だという意味ではない。むしろ、着艦という難行を宿命
的に抱えている以上は母艦航空隊の方が操縦技術では上といってよい。
だが、この優れた操縦技術が彼らにとっては仇となった。
英国とともに国府軍に肩入れした日本は、兵器・物資の供与を行うのみならず、軍
事顧問団として陸海軍の基地航空隊を派遣していた。ソ連、そして合衆国から大量に
送られた戦闘機・爆撃機を装備した中共軍との戦闘で、彼らは実戦経験を積み、精鋭
に磨き上げられていった。だが、戦場が内陸に限定されている状況では母艦航空隊の
出る幕はなかった。航空隊を陸に上げて戦闘に投入すべしという意見もあったが、優
秀な操縦士が揃っていた母艦航空隊を陸上戦闘で消耗する無駄をおそれた航空本部や
GF上層は、これを行わなかった。
こうして、日本軍内においては航空隊練度の奇妙な逆転現象が生じていた。確かに
彼らの操縦者としての技量は並外れて高い。だが、実戦経験と言う点においては彼ら
は基地航空隊の同僚の足元にも及ばない。さらに──
(頼むぜ、おい。もっとマシな機体はなかったのかよ……)
もっと大きな心配の種は、彼らが装備している機種にある。今回の決戦に当たって
第一航空艦隊は、165機の搭載機のうち102機を戦闘機で固めているが、そのうち66機
が複葉羽布張りの九五式艦上戦闘機で占められている。確かに発動機を三菱「瑞星」
に換装した四一型は最高時速360キロを誇る高速機に生まれ変わっていたが、いくら
なんでも昭和16年の戦場に投入してよい機体ではない。
──もっとも、それは現在彼が搭乗している九六艦戦にしても同じことなのだが、
とりあえずそれに関しては彼はどうこう言える立場にはない。
0820時
古めかしいと言えばこの機体も古めかしいのだが、こちらは半ば不可抗力だ。
OS2Sキングフィッシャーは、水上観測機OS2Uキングフィッシャーの設計を元に、エン
ジンを高出力と信頼性に定評のあるP&Wワスプに換装し、燃料タンクを増設。三座の
長距離索敵機に仕立てた機体である。本当ならこうした任務には艦爆クラスの高性能
機を充てたいところなのだが、太平洋艦隊全体の艦載機をかき集めても72機にしかな
らないのではどうしようもない。逆に戦艦と巡洋艦を全部合わせた水上機は74機。
特設水上機母艦や揚陸指揮艦、一部の輸送船に搭載された機体まで含めれば100機は
下らない。
「水平線まで雲ひとつない快晴。絶好の偵察日和、っとくらぁ」
「機長、歌ってないでしっかり海面見てくださいよ、もぅ」
「おうっ、俺の目はいつでも皿だぞ。そら見つけた! 9時方向!」
「おぉ!?」
確かに機長の言う通り、右舷の海面に無数の航跡。
「戦艦が全部で16隻。間違いない、ジャップの主力艦隊だ!」
「後席、ぼさっとしてるな! 大至急本隊に打電だ!」
「イエス、サー!」
「出迎えが来てますよ」
「複葉機だ、気にするこたない。全速で一気にぶっちぎれ!」
キングフィッシャーは、ワスプエンジンの全力1000馬力を振り絞り、時速340キロ
まで一気に加速する。おっとり刀で駆けつけた複葉の九五式艦戦は、初動の出遅れが
災いしてキングフィッシャーに追いつけない。
「どうやら振り切ったか。やつらの新型機の噂はやはりデマのようだな」
そのとき。
「上空、敵機!」
「なにっ」
機長が叫ぶのと殆ど同時に、7.7ミリ機銃の火箭が降ってきた。右主翼に火花が散り、
機体が大きく揺れる。
「は、速い!」
通信士の悲鳴。思わず振り返った機長の目に飛び込んできたのは、九六式とは似ても
似つかない引込脚の機体だった。機首に閃光が瞬く。送り込まれた火箭はキングフィッ
シャーの左主翼に着弾。今度は先程よりもコクピットに近い位置で火花が爆ぜた。主翼
上面の装甲板は大活躍だ。しかし、こんなものが活躍するのはできれば願い下げにした
い。
「くそっ、振り切れ!」
いくら重防御の米軍機とはいえ、風防までは防御されていない。このままでは火花で
はなく、自分たちの頭が爆ぜることになる。後席の旋回機銃にかじりついた通信士は、
切れ目なく弾丸を送り出す。スロットルは既に全速だ。緩降下する機体は位置エネルギー
を速度に変換し、時速380キロオーバーを記録した。しかし敵機はその機動に悠々と追従
し、距離を詰めてくる。恐怖に歪んだ表情で後方を見つめるクルーたち。その彼らの目
の前で、敵機の両翼が赤く光った。着弾はまたも主翼だった。だが、命中弾は装甲板を
叩き割って炸裂し、翼内部に増設されていた燃料タンクを誘爆させた。桁を吹き飛ばさ
れた主翼が中途で真っ二つに折れ、爆燃を起こしたガソリンの雲が機体を包み込む。
轟音と、そして衝撃。肉体が四散するその瞬間まで、彼らは自分たちの目にしたもの
が信じられなかった。
0851時
第一任務部隊上空で空中戦が勃発したのは、日本側の攻撃隊が発進してから約50分後
のことだった。露払いの九六艦戦18機が一斉に増槽を切り離し、巨大な輪形神の外郭を
固める直掩戦闘機群に突入する。目に付く直掩機は約15機程度。このくらいならば互角
の戦いが期待できるだろう。金子中尉も、そんな希望的観測を抱いて、九六式の本分で
ある格闘戦を挑むべく突進したうちの一人だった。この敵機を排除する、あるいはそれ
ができないまでも拘束しておけば、攻撃隊は問題なく敵艦隊に突入できるはずだ。
その目論見を打ち砕いたのは、低空から後方に残置された攻撃隊に向かって一気に突
き上げてきたもう一隊の直掩機だった。ハルゼーは32機のCAPを16機ずつに二分し、二段
構えの防御体勢を組んでいたのだ。レシーバーに飛び込んできた攻撃機隊の悲鳴を聞い
て、金子は愕然とした。
直下方からの第一撃で、九七式6機と九九式8機が叩き落とされた。突き上げてきた
16機のワイルドキャットは、今度は急降下からの一撃を加えるべく反転に掛かる。
そこに7機の九六式が殴りこんだ。囮と交戦していたうちの一部が、強引に乱戦から
抜け出して飛び掛ってきたのだ。横合いからの一撃を浴び、コクビットに被弾した一機
が裏返しになって落ちていく。たまらず応戦する直掩隊。だが、2対1の機数差では全て
を阻止することはできない。6機がそのまま急降下で攻撃隊に向かう。さらに九七式4機
が落とされた。残った攻撃機の搭乗員たちも、再度の銃撃を覚悟する。低空に護衛戦闘
機はいない。
その頃、上空の制空隊もまた苦戦を強いられていた。確かに九六式は現在でも第一級
と呼んで間違いないほどの空戦性能を誇る息の長い傑作機だが、対するF4Fは実戦配備
から一年も経っていない最新鋭機だ。最高速力で時速100キロ以上の開きがある。おま
けにF4Fは重厚な防弾装甲を誇り、九六式が装備するヴィッカース7.7ミリ機銃では容易
にはダメージを与えられない。だが、ここは両軍の搭乗員の練度の差が顕在化していた。
左後方からの銃撃を余裕を持ってかわしながら、金子中尉はこれなら大丈夫だという
確信を抱いていた。確かに敵機は高性能だが、どうやら敵の搭乗員は新前揃いらしい。
機体の高速性能に胡座をかいて単調な一撃離脱を繰り返すだけなので、九六式の運動性
能を以ってすれば造作なくかわすことができる。残る問題は、九六式の火力の低さだけ
だった。
一方そのころ、攻撃隊は九九式17機、九七式9機にまで討ち減らされていた。そして、
米艦隊の防御砲火は26機の攻撃機に対してまったく容赦がない。高角砲弾の破片と対空
機銃弾の嵐。九九式が立て続けに2機、火を噴いて石のように落下して行った。さらに
九七式1機が機銃弾に腹の下の爆弾を直撃され、巨大な火球に変わる。爆発は僚機を巻
きこみ、あらたな誘爆を発生させた。
攻撃隊総指揮官の淵田中佐は、これ以上の突入を断念した。対戦艦打撃力を持つ九七
式が7機しか生き残っていない現状では、このまま輪形陣中央部への攻撃を強行しても
大きな戦果は期待できない。かえって損害が増加するだけだ。
結局攻撃隊は、輪形陣外周の護衛艦群に爆弾を投下して帰路についた。戦果は、偵察
巡洋艦「サヴァンナ」と駆逐艦一隻に損傷を与えるにとどまった。対する日本軍攻撃隊
の損害は、九六艦戦7、九九艦爆12、九七艦爆17に上った。
0938時
いっぽう、日本艦隊上空。目論見が外れたのは、米軍も一緒だった。日本軍の直掩機
は、攻撃隊の総数の二倍以上もいたからだ。だが、一度は緊張した表情を浮かべた制空
隊を率いるVF-2隊長のマクラスキー少佐は、現れた直掩隊の陣容を見て失笑を漏らした。
数だけはこちらの倍以上いるようだが、その大半が複葉機だったからだ。
「旧式のタイプ95だな」
マクラスキーは敵機の正体にそう中りをつけた。九五式艦上戦闘機の性能は、戦前か
ら知られている。合衆国では10年も前に退役したボーイングF4Bのデッドコピー。最高速
力は時速300キロ程度。武装も貧弱だ。
「ならば、恐るるに足りん。爆装したドーントレスでも十分振り切れる」
今度は自信に満ちた笑みを口元に浮かべた彼は、通話器に向かって命令を下した。
「全機、突撃! ジャップをやっつけろ!」
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