海王記(8)





 40機の攻撃隊は、隊長マクラスキー少佐の威勢が乗り移ったかのような勢いで日本軍
機の群の只中に踊りこんでいった。ワイルドキャットが突入路を打通し、ドーントレス
が機首の12.7ミリを乱射しながら斬り込んでいく。48条の矢襖。不用意にドーントレス
の正面に飛び出した九五艦戦が、火箭にひと薙ぎされて火を噴いた。他の九五式が一瞬
怯んだような挙動を見せる。制空隊に優秀な搭乗員を集中した弊害だった。直掩隊の大
多数を占める九五式の搭乗員たちは、まともな実戦経験がなかったのである。敵機に肉
薄して機銃弾を叩き込むための技術や、基本的な戦闘機動は確かに猛訓練によって彼ら
の血肉となっていた。だが、訓練と実戦では決定的に違うことがある。訓練には、自分
に向かって飛んでくる弾は存在しない。
 九五式の編隊に生じた間隙目掛けて、ドーントレスが一斉に突入していく。闘志旺盛
な数機が反転して追撃に掛かるが、複葉機の速度性能では追いつけない。ワイルドキャ
ットは少数存在している九六艦戦と激しい空中戦を演じ、艦爆隊への接近を許さない。
さらに、一部機がドーントレスの追尾に移って編隊の乱れた九五式が次々と食われ始め
た。日本軍の搭乗員にしてみれば、これは悪夢以上の何かだった。彼らは自分たちの半
数以下の小勢を食い止めることに失敗したばかりか、自分たちの五分の一の数しかない
敵機にいいように翻弄され、制圧されつつあったのだ。
 そしてドーントレス隊は、九五式を中心とする直掩機の層を突破することに成功した。
搭乗員たちは歓声をあげて、目標とする艦の物色に掛かった。彼らの行く手を阻むもの
は何もないように思われた。

 母艦での補給作業を終えてCAPに復帰した零式戦闘機二個小隊が戦場に到着したのは、
まさにその瞬間だった。ドーントレス隊が日本軍直掩隊による最終防衛ラインの存在に
気付くよりも早く、彼らは突撃を開始していた。
 一瞬のうちに2機のSBDが火球に変わり、4機が炎や黒煙の尾を曳いて落下を始めた。
事態を把握した艦爆隊が散開に移る前に、零戦隊はさらに4機の撃墜に成功していた。
ドーントレスの搭乗員たちは、これでパニックに陥った。散開したことでまとめて犠牲
が発生する事態は回避できたが、だからといって落とされない保障はどこにもない。現
に、散開機動にもたついた一機が7.7ミリ弾の直撃を胴体下の爆弾に受けて消し飛んだ。
 散開では助からないと見た各機は、一斉に急降下での離脱に掛かった。その先に敵艦
がいるかどうかはこのさい問題ではない。今は自分たちの生還が第一だった。
 そのうちの一機が運よく「龍驤」の直上に照準を合わせることに成功し、1000ポンド
爆弾を飛行甲板中央部に叩きつけた。木張りの飛行甲板を貫通した爆弾はギャラリーデ
ッキと格納甲板を貫通し、機関区画の二層上で信管を作動させた。衝撃波と爆風に乗っ
て、破片や火炎が撒き散らされる。「龍驤」の飛行甲板は見事に下から隆起することと
なった。これが、この海戦において合衆国海軍航空隊があげた唯一の対艦攻撃の戦果だ
った。


1000時

 帰還した淵田中佐は、「龍驤」の姿を見て「しまった」と唸った。
「なんで気付かなかったかな、俺は」
 米軍の空母は輪形陣の外寄りでのうのうとしていたというのに。
(どうせ叩くなら空母にしとけりゃよかった)
 淵田美津夫、一生の不覚。帰艦したら小沢長官に一言進言しておかねば。

 攻撃隊の収容はつつがなく行われていた。「龍驤」が大破して艦載機の収容が不可能
になっていたが、幸か不幸か攻撃隊と直掩隊の双方に少なからぬ未帰還が生じていたた
め、健在な五隻に全機を着艦させてなお余裕があった。全体の喪失機数は、九六艦戦11、
九五艦戦21、九九艦爆12、九七艦爆17の計71機。搭乗員の戦死・行方不明は100人に上
った。損耗率43パーセント。第一航空艦隊の再建には、相当な手間と苦労が予想された。


「やはり小物は小物か」
 嶋田長官は、やれやれと言わんばかりだった。航空参謀の樋端中佐は渋い表情で押し
黙っている。
 嶋田は、ふん、と鼻を鳴らすと航海参謀に話を振った。もともと空母6隻の小勢に大
した期待は抱いていない。やはり戦争の主役は我々だ。
「会敵予想時刻は?」
「1330の予定です」
「よし。全艦隊を戦闘陣形に移行!」
「宜候」
 嶋田は、燃えていた。海軍軍人として誰もが憧れる綺羅星のごとき偉大な将星たちの
末席に、自分が序せられる日が来たのだ。男児としてこれほどの本懐があろうか。

 梯子状の警戒陣形で進撃していた日本艦隊は、戦闘即応の単縦陣へと隊形を変更して
いた。左翼に戦艦を中核とする奇数番、右翼に巡洋戦艦を中核とする偶数番の艦隊が並
び、それぞれ16隻ずつの艦列を形成する。その後方に装甲巡洋艦や拡大偵察巡洋艦が控
え、それぞれ三個水雷戦隊が周囲をがっちりと固めている。
 正午過ぎまでに布陣を終えた日本艦隊は、一路東北東を目指して進撃を再開した。


 肩をすくめているのはキンメルもまた同様だった。ハルゼーの空母部隊から上がって
きた報告は、大規模な艦隊に対する航空攻撃が自殺行為以外の何物でもないことを如実
に示しているように彼には思えた。戦闘機の損害は全体の二割といったところだが、艦
爆隊は半数を失っている。これだけの被害と引き換えに挙げた戦果は、空母一隻大破。
実に割の合わない取引だった。キンメルにしてみれば、空母などよりも装甲巡洋艦、せ
めて駆逐艦あたりを叩いてくれたほうが、よほど助かったのだが。
「規定の方針通り、空母部隊を切り離す。直衛任務の駆逐隊を配置につかせろ」
「イエス、サー」
 艦隊中核を構成する戦艦群から見ると、まるで筏か艀にしか見えない基準排水量8000
トンの空母四隻が、護衛の駆逐艦16隻に囲まれて輪形陣から離脱していく。その上空で
は、数機のF4Fが手持ち無沙汰に飛び回っていた。

 空母の分離を確認したキンメルは、艦隊決戦の段取りに関する最後の仕上げに掛かっ
た。
「陣形変更。全艦隊は既定の方針に従って分離せよ。以降、偵察部隊の指揮権は第二任
務部隊司令部に移行する」
 その眺めは、一種壮観なものだった。120隻の艦艇で構成された巨大な輪形陣が、ま
るで不定形生物のようにその姿を変え、二本の単縦陣へと再編成されていく。数十年後
の人間ならば、そのプロセスを見て遺伝子配列を紹介した映像資料を思いうかべたかも
しれない。右翼に決戦砲撃部隊たる第一任務部隊、左翼に遊撃部隊を務める第二任務部
隊を配した二本の長槍は、西方の決戦海面目指して18ノットで驀進しつつあった。


「旗艦、左舷に変針」
「取舵30度」
「宜候」
 第三巡洋艦戦隊二番艦の位置につけている拡大偵察巡洋艦「サヴァンナ」の艦橋で、
副長のラルフ・ムーア中佐は臨時に指揮をとっていた。艦橋の窓ガラスは殆どが綺麗さ
っぱり消失し、強い潮風が吹き込んでくる。他にも艦橋前面の外壁には何箇所か大穴や
亀裂が開き、内側からキャンバス布で目張りされていた。真下の第三主砲塔は見事に天
蓋中央部に貫通孔を空けられ、焼け焦げた内部機器を覗かせている。
 「サヴァンナ」は、先程の日本軍機の攻撃によって艦の前後に各一発の500ポンド爆
弾を受けていた。これによって第三砲塔と第四砲塔が使用不能となる被害が生じたが、
この他に艦橋に飛び込んだ破片で艦長が重傷を負い、医務室に運ばれていた。副長のム
ーア中佐が繰り上がって代行指揮官となっていたが、本人は艦艇の指揮はこれが初めて
だった。
 もっとも、「サヴァンナ」乗組員の士気は極めて高かった。無思慮で独善的な行動が
多く部下から不評を買っていた艦長が医務室に担ぎ込まれたことによって、状況判断に
長けていると評判の副長が繰り上がりで指揮をとることになったためだ。
「なに、主砲だって9門も残ってるんです。ジャップ相手にそうそう遅れをとったりは
しませんや」
 と、砲術長のクラーク少佐などは豪快に笑って見せたものだ。確かにそうだった。軍
艦の配置というのは、艦長はおおまかな方針決定を行って現場の判断を部下に委ね、副
長がそれを監督した場合に、おおむねスムーズに運用が進む場合が多い。率先して現場
の些事に首を突っ込み、文句をつけていた艦長よりも、それを諌める側に回っていたム
ーア中佐のほうが指揮官として適任ではあった。主砲塔の数は四割減となってしまった
が、むしろこちらのほうが艦内の軍務が円滑に進む分、「サヴァンナ」の戦闘力は増し
ているかもしれない。
「後続、変針終わりました」
 見張り員の報告。第三巡洋艦戦隊は、新鋭のブルックリン級大型偵察巡洋艦6隻で構
成された有力な部隊で、各艦合計で15センチ砲90門という重火力を誇っている。
「サヴァンナ」の被害によって多少の砲力減少には見舞われたが、指揮官のスコット少
将は大した問題とはならないと見ていた。



1325時

 先に会敵を果たしたのは、わずかの差で双方の巡洋戦艦部隊だった。水平線上に現れ
た艦影というのは、意外と目立つものである。すぐに見張り員から報告が飛び、全艦隊
に合戦準備が発令された。
「Z旗一旒!」
 旗艦「大和」の主檣に翻るのは、日本海海戦以来38年ぶりのZ旗だ。目にした各艦の
甲板上で、一斉に沸きあがる歓声。士気高揚の効果は確かにあった。
 いっぽう、旗艦艦上の嶋田長官は必勝を確信していた。彼の頭の中には、ジュットラ
ンドで欧米列強を驚愕せしめた「長門」以下の活躍が焼きついていた。あのとき日英を
勝利へと導いたのは、機を見て敵艦隊へと戦隊単位で突撃した積極性である。嶋田は、
その先例に倣うつもりだった。長門以下6隻の戦艦が突撃を行うだけで、あれほどの打
撃力を発揮できたのだから、今回嶋田が予定している全艦隊規模の突撃ならば、当時を
遥かに上回る強大な衝力が発生するはずだ。

 嶋田は、野心的だが堅実な男だった。だが、その堅実さは先例主義と紙一重のものだ
った。彼は、先達に倣ったつもりの自分の思いつきがどれほど危険なものであるか理解
していなかった。



1335時

「合戦準備、昼戦に備え」
 巡洋戦艦部隊に遅れること10分、今度は戦艦部隊がお互いを発見した。巡洋戦艦部隊
は既に前進全速まで増速し、相手との距離を詰めに掛かっている。
「第二艦隊、変針しました」
「彼我の距離知らせ!」
「距離、41000!」
 見張り員からの報告に、嶋田は口元を緩めた。よかろう、同航戦を装うにはそろそろ
いい頃合だ。
「取舵一杯!」
「宜候、取舵!」
「信号! 『突撃、我に続け』!」

「敵艦隊、取舵に変針!」
「こっちの頭を抑えるつもりらしいな」
 キンメルにとっては予測済みの事態だ。
「面舵一杯。同航戦に食らいついて出血を強要してくれる。そうそうムシのいい思いを
させてたまるものか」
 キンメルもまた敵手に似て堅実な指揮官だったが、一面で彼はセオリーを重視する男
だった。彼は、正々堂々と同航戦による正面からの殴り合いで、日本海軍と決着をつけ
るつもりだったのである。
 同航する二本の単縦陣が距離を詰めていく中、先に砲撃の火蓋を切ったのは後方の巡
洋戦艦部隊だった。



1339時

 第二・第四・第六艦隊から成る遊撃部隊を率いているのは、第二艦隊司令長官の高須
中将だった。彼は嶋田長官からおおまかな決戦計画を説明されていたが、はたしてそう
うまくいくだろうかと一抹の不安を覚えたうちの一人でもあった。しかし、現実は彼の
思案を待ってはくれなかった。彼我の距離は、既に35000を切っている。
「水雷戦隊、突撃せよ」
「距離、32000!」
「よし、撃ち方始め!」
 高須の号令から一拍の間をおいて、遊撃部隊に所属している16隻の巡洋戦艦が装備す
る46センチ砲32門、40センチ砲88門、36センチ砲32門が一斉に火を噴く。一瞬遅れて、
合衆国第二任務部隊の40センチ砲162門が応射をはじめた。



戻る