海王記(9)





 第一任務部隊の戦艦数は戦場に存在する四個部隊の中でもっとも少なかったが、キン
メルは別にそれをハンデとは考えていなかった。なぜなら、第一任務部隊の戦艦14隻中
10隻が、40センチ砲12門を搭載する重武装艦だったからである。合計の砲門数は152門。
多少の隻数の差は如何ようにでもなる数だった。
 これに対する日本側第一艦隊の砲門数は、46センチ砲36門、40センチ砲76門、36セン
チ砲48門。総門数は多少有利に見えるが、口径のばらつきが存在するために有効射程に
差が生じており、常に最大火力を発揮できるわけではない。
 太平洋艦隊総旗艦「オハイオ」の右舷に、超特大の水柱が奔騰する。その数、9本。
第一任務部隊司令部の幕僚たちとて戦艦の砲撃を受けたことはなかったが、それでも水
柱の大きさが尋常でないことははっきりと見て取れた。驚嘆とも畏怖ともつかないどよ
めきが起こる。
「驚くことはあるまい。日本軍の18インチ砲のことは6年も前から知れていたことだよ。
しかし、なるほど大したものだ。これが噂に聞くヤマト級戦艦か」
 悠然と構える態度は、艦橋内の緊張を和らげる効果があった。
「しかし、初弾を全門斉発とはな。連中、砲術のセオリーを知らんのかな」
 キンメルは、自分が敗北することなど考えていないらしい。

 いっぽう、嶋田は突撃命令を下すタイミングを計っていた。敵主力の脇を固める補助
艦艇の層は、装甲巡洋艦12隻、駆逐艦32隻という分厚い陣容だ。これを排除しない限り、
その背後の主力に対する突撃は十分な衝力を得られない。だが、日本艦隊にはこれを叩
き破る必殺の一撃が用意されていた。


「突撃、我に続け」
 木村昌福少将率いる第十五戦隊は、重雷装巡洋艦5隻の強力な編成だ。各艦とも61セ
ンチ魚雷発射管を四連装十基装備し、片舷20射線という抜群の対艦攻撃力を誇る。第十
二戦隊の拡大偵察巡洋艦3隻の支援砲火のもと、5500トン型偵察巡洋艦を改造した五発
の破城槌が33ノットの最大戦速で突進する。
「距離18000!」
「取舵一杯!」
 先頭の「球磨」に続いて、「多摩」「木曾」「大井」「北上」が次々と変針。必殺の
九三式魚雷100本が海中に叩き込まれた。
 一方、第十四戦隊を率いる田中頼三少将の指揮は、木村少将よりもいっそう攻撃的な
ものだった。彼は、米第二任務部隊護衛の偵察巡洋艦11隻の阻止砲火をものともせずに
12000まで肉薄すると、一隻あたり28射線、「米代」「黒部」「隅田」「吉井」の4隻合
計で112射線の魚雷を叩き込んだのである。重雷装艦9隻合計で212射線というとんでも
ない数の魚雷が、10000メートル彼方の艦列へと殴りこんだ。

 第二任務部隊の直衛を行っていたのは、ブルックリン級拡大偵察巡洋艦「ブルックリ
ン」「サヴァンナ」「ウィチタ」「ボイス」「ホノルル」「ヘレナ」と、オマハ級偵察
巡洋艦「オマハ」「トレントン」「デトロイト」「ラーレイ」「メンフィス」だった。
 このうち酸素魚雷が直撃したのは、「ボイス」「メンフィス」「デトロイト」の3隻
だった。なにせ酸素魚雷は、航跡が極めて判別しにくい。被雷した艦の乗組員はもちろ
んのこと、周囲にいた艦でも、いったい何が起きたのか理解できないものがほとんどだ
った。
 「サヴァンナ」副長のムーア中佐も、その一人だった。つい今しがた突入してきた旧
式偵察巡洋艦からなる小部隊を15センチ砲の猛射で撃退したと思ったら、今度は味方の
陣形内で僚艦の舷側に巨大な水柱が奔騰したのだ。まず前衛の駆逐艦のうち2隻が火柱
を上げて真っ二つに折れ、続いて内陣の巡洋艦にも次々と水柱が立った。
「触雷か!?」
 咄嗟に口をついて出た一言だった。一瞬の後、「しまった」と少し後悔する。ここは
太平洋のど真ん中だ。機雷など敷設されているわけがない。
「雷撃……しかし、いったい誰がどうやって」
 砲術長のクラーク少佐が、信じられないといった調子でつぶやく。

 ブルックリン級艦列の最後尾に位置していた「ボイス」は、左舷中央部に二本の魚雷
を受けた。彼女にとって真に運の悪いことに、二つの被雷個所は互いに数メートルと離
れていなかった。これが命取りだった。ほぼ同一の個所に命中した魚雷の相乗破壊力は、
単発の被雷ならば水圧を持ちこたえたであろう内部の水密隔壁に、爆圧という第二の力
を加えた。設計時に想定されたよりもはるかに大きな力を受けた隔壁はひとたまりもな
く崩壊し、主機械室が水没する。発電機が停止したことで、合衆国製艦艇のアイデン
ティティともいえる桁外れの発電量によって与えられていた高い注排水能力が消滅し、
「ボイス」のダメージコントロール能力は限りなくゼロに近づいた。同時にそれは、彼
女の死期のあまりにも急速な到来をも意味していた。
 「メンフィス」と「デトロイト」にとって、魚雷の命中はより直接的な意味での致命
傷となった。艦齢30年近い彼女たちの水中防御力やダメージコントロール能力は、「ボ
イス」ほど高くない。また、予備浮力のバロメーターとなる排水量の点でも、オマハ級
はブルックリン級の三分の二がせいぜいだ。最新鋭艦ですら耐えられなかった打撃に、
抗堪しようはずもなかった。「メンフィス」は艦尾を吹き飛ばされて航行不能となり、
「デトロイト」は被雷によって艦内区画に生じた火災の消火に失敗し、後部弾薬庫の誘
爆で瞬時に砕け散った。

 第一任務部隊でも、状況は似たようなものだった。第十五戦隊が放った100射線の魚
雷のうち、9本が動作不良によって航走前に沈下し、8本が信管の調整不良や機関の故障
によって到達前に動きを止めた。残る83本のうち、敵艦への命中コースに乗っていたの
は16本。このうち8本は、不発や過早爆発で有効弾になりそこねた。だが、日本軍はそ
れでもまったく構わなかった。残りの8本だけでも、米艦隊の前衛となった補助艦艇群
を蹴散らして主力の突入口を打通するには十分だったからである。
 まともにどてっ腹に食った駆逐艦「ヤング」が倒れこむように横転し、僚艦の「ハマ
ン」は艦首を食いちぎられて脱落した。そして巡洋艦に次々と酸素魚雷が食らいつく。
 真っ先に“破城槌”の直撃を食ったのは、巡洋艦部隊の中で最も外側に位置していた
「ポートランド」だった。彼女に命中した魚雷は一本。いくら酸素魚雷の破壊力が大き
いとはいえ、基準排水量15000トンに達する艦船を一撃で沈めるのは容易なことではな
い。だが、彼女は合衆国巡洋艦という一族にとっての遺伝病とも言うべきトップヘビー
をもっとも重症に発現したインディアナポリス級に属していた。理由は、彼女が建造時
にたどった経緯にある。
 インディアナポリス級が建造された当時、合衆国の装甲巡洋艦の設計方針には二つの
選択肢があった。すなわち、当時続々と竣工しつつあった日英の装甲巡洋艦に対抗して
20センチ級の中口径砲をそこそこの数装備し、雷装も重視するという意見と、雷装を最
初から度外視して船体設計を拡大し、従来よりも大口径の主砲──かつて戦艦に中間砲
として搭載されていた25センチ級のもの──を搭載するという意見である。
 両者の意見はなかなかまとまる様子を見せず、次期装甲巡洋艦の設計案は長年の懸案
となっていた。だが、当時世界は一大建艦競争の真っ只中にあり、諸外国との巡洋艦保
有量の開きは設計の遅れを待ってはくれなかった。こうしたなか、やむを得ぬ妥協の産
物として建造されたのがノーザンプトン級だった。比較的大型の船体に20センチ砲を三
連装三基搭載し、軽雷装を施して防御力を重視するという冗長性のある設計で、合衆国
巡洋艦としては珍しくまともな重心を持った艦となった彼女たちは、駆逐艦についで艦
隊の手足となって働く存在として重宝された。そしてノーザンプトン級の拡大改良型と
して設計された「インディアナポリス」「ポートランド」の姉妹は、より安定性を増し
た航洋性能の高い船体と十分な防御力、そして重武装を誇る傑作の称号を約束された艦
だった。
 ところが、彼女たちの建造中に次期装甲巡洋艦の建造方針が決定したことから、運命
は急転する。インディアナポリス級の主砲は、急遽20センチ砲から25センチ砲へと変更
された。確かに冗長性のあるノーザンプトン級の設計を拡大した彼女たちの船体には、
それを可能とするだけのキャパシティが確保されていた。だが、基本的にインディアナ
ポリス級の設計は20センチ砲の搭載を前提としたものだった。主砲の大口径化による砲
塔の大型化や、射程距離の増大にともなう前檣楼の高層化によって、彼女たちの上部構
造物は船体に不釣合いなほど大きなものとなった。とうぜんながら、宿阿ともいえる
トップヘビー病が再発する。荒天時の最大傾斜は20度を超えた。少々海が荒れただけで
駆逐艦なみに揺れる装甲巡洋艦という冗談のような存在が、インディアナポリス級だっ
た。
 そして、トップヘビーの弊害は耐候性の低下にとどまらなかった。重心が高いという
ことは、転覆の危険が大きいということでもある。日本軍が装備する酸素魚雷は、通常
の魚雷を遥かに凌ぐ規模の破壊力を「ポートランド」の舷側水中部に叩きつけた。船殻
に開いた大穴から一気に流れ込んだ海水は、彼女の浮力バランスを一瞬のうちに崩壊さ
せた。「ポートランド」は被雷の水柱が消えるか消えないかのタイミングで急速に横転
すると、主砲弾薬庫の爆発で四分五裂の状態となって沈んでいった。
 さらに「ヒューストン」に1本、「シカゴ」に3本が続けて命中した。艦首舷側に水柱
を出現させた「ヒューストン」は、前方にのめるほど急減速して黒煙を吹き上げた。彼
女は艦隊決戦で日本軍の装甲巡洋艦と砲火を交えるより先に、自分自身が生き残るため
に浸水との戦いを始めなければならなくなった。一方、3本の魚雷に船体を砕かれた
「シカゴ」は救われようがなかった。彼女の注排水能力は、大電力のバックアップを受
けた多数のポンプによって巡洋艦とは思えぬ量に達していたが、数分というごく短い時
間のあいだに自らの排水量の三分の一になんなんとする浸水を生じたのでは、どうにも
ならなかった。

 こうして巡洋艦3隻と駆逐艦2隻を撃沈破した十五戦隊の雷撃だが、これには意外なお
まけがついた。補助艦艇による防御陣形を突破した一本が4000メートル向こうの戦艦群
に到達し、「ニューハンプシャー」の左舷中央部に命中したのである。浸水そのものは
ごく微量で、「ニューハンプシャー」は最大速力が25ノットに低下する程度の損害です
んだ──もとより最低速のメリーランド級に合わせて21ノットしか出していない──が、
この一撃はキンメルを始めとする第一任務部隊首脳陣を驚かせた。
「潜水艦か!?」
「対潜警戒!」
 防衛ラインを形成していた駆逐艦が持ち場を離れ、存在しない潜水艦を追って駆け回
る。がっちりと組まれていたはずの防御隊形はあちこちに脱落・離脱した艦による大穴
が開き、突入阻止ラインとしての機能を失っていた。

 その様子を見た嶋田は、最大の戦機が到来したことを悟った。
「全艦隊に命令。全軍突撃、最大戦速!」
 この瞬間、艦橋内に一種異様な空気が張りつめた。声にならない歓声が爆発する。
「両舷全速、面舵一杯!」
 旗艦「大和」の森下艦長が、待ってましたとばかりに転舵命令をくだす。
 それは、日本海軍がいかに戦闘的な練度の高い軍であるかを示す端的な例であるかも
しれなかった。彼らは突撃にあたって、単縦陣の変針という手段をとらなかった。一斉
旋回頭し、横陣に近い隊形で合衆国軍の艦列目掛けて突進したのだ。


「敵艦隊、変針しました。針路330──いや、300」
「?」
 キンメルは訝った。
「こっちとの距離を詰めるつもりか?」
 そう言って双眼鏡を覗いたキンメルは次の瞬間、背中をぞっとするほど冷たい何かが
駆け抜けるのを感じた。
「一斉旋回頭だと!?」
 彼は、日本軍の指揮官が意図するものを瞬時に悟った。
「ネルソン・チャージか!」
 幕僚陣の顔面からいっせいに血の気がひいた。
「全艦、全砲門咄嗟射撃! 急げ、何でもいいからとにかく奴らの突撃を阻止しろ!」
 キンメルの命令は怒号に近かった。
 ほぼ同時に、突進しつつある日本艦隊各艦の甲板上で次々と発砲焔が沸く。両者の距
離は、もう20000メートルを切っていた。後の合衆国公刊戦史で「シマダ・スタンピー
ド」と呼ばれることとなる鋼鉄の狂奔は、駆逐艦の隊列の残骸を踏み越えんばかりの勢
いで驀進する。戦艦を追い越して突出した装甲巡洋艦や偵察巡洋艦たちが、至近距離か
ら主砲を乱射して最後の抵抗を試みる駆逐艦を制圧していく。
 第十一戦隊の側面に強引に割り込んだ「ニューオーリンズ」の25センチ砲が、水平射
撃で「古鷹」を捉える。横っ面をしたたかに張り飛ばされた「古鷹」は、艦橋側面と後
甲板を粉砕されて破孔から黒煙と炎を吹いた。これに対して、「ニューオーリンズ」に
は「山城」の砲撃が向けられた。36センチ砲から放たれた巨弾の着弾が、巡洋艦の主砲
とは比べ物にならない水柱をあげて迫る。一発が艦の中央部に炸裂し、煙突と水上機カ
タパルトがちぎれ飛んだ。19000トンの巨体が悲鳴をあげた。「山城」が、戦艦主砲と
しては信じられないペースで第二射を送り込む。今度は2発が着弾。前檣楼の上半分が
木っ端微塵になった。もう一発は水上機格納庫に突入し、格納甲板を貫通。25ミリと
90ミリ、二重の内部装甲をやすやすと突破して後部主砲弾薬庫に突入し、信管を作動さ
せた。
 「ニューオーリンズ」の第三砲塔が、ボンと音を立てて宙天たかく跳ね上げられた。
同時に、水上機格納庫周辺のハッチを吹き飛ばして火炎が噴出し、彼女の後半部を舐め
つくす。艦内で発生した爆発は、上甲板そのものを船殻から引き剥がして捲りあげた。
力なく傾いて炎に包まれつつある「ニューオーリンズ」の脇を、第七戦隊の戦艦4隻が
駆け抜けていく。

 キンメルは歯噛みした。日本艦隊は、戦闘力を失った味方艦のそばをすり抜けるよう
に突進してくる。同士討ちを恐れた各艦は、効果的な阻止射撃ができていない。後方の
第二任務部隊でも、状況は同じだった。日本軍の第二部隊もまた、全艦全速で第二任務
部隊の隊列に斬りこんで来ていた。だめだ。突撃阻止は失敗した。
 キンメルは、もう一度状況を確認すると命令をくだした。
「全艦、至近砲戦に備え。来るぞ!」
 数分後、日本艦隊は合衆国艦隊の隊列と文字どおりの意味で接触した。



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