海王記(10)





1415時

 突入してきた日本艦隊に対し、適切な迎撃ができた合衆国戦艦はほとんどなかった。
曲射弾道の遠距離砲戦から直射弾道の中距離、近距離と急速に接近する交戦距離に、射
撃諸元の切り替えが対応できなかったためである。機転の利く艦長の中には、方位盤が
間にあわないと見るや咄嗟に砲側照準に切り替えて発射命令を出したものもいたが、命
中弾が得られたのは「コロラド」が「陸奥」の前部舷側に直撃させた一発だけだった。

 最大戦速で突進してくる日本艦隊を目の当たりにして、米艦隊の隊列は完全に乱れて
いた。阻止射撃よりも衝突回避を優先した艦長も多かった。乱れた隊列の艦と艦の狭間
を目掛けて、戦艦、巡洋艦、駆逐艦が殺到する。至近距離で炸裂する水平射撃。第二任
務部隊の「コンスティチューション」が、目の前を駆け抜けた「天城」から砲撃を受け
る。射距離250メートル。これはもう戦艦どころか戦車砲で撃っても至近距離だ。つる
べ撃ちにされた巨弾が次々と「コンスティチューション」の艦上で炸裂する。それでな
くても装甲の薄いレキシントン級戦艦はひとたまりもない。前甲板の二基の主砲塔が叩
き潰され、艦橋が空気を入れ過ぎた風船のように弾け飛び、前檣楼がひっくり返って第
一煙突を押し倒した。直撃弾に叩き割られた艦首からは大量の海水が奔入し、266メー
トルの長大な船体を前方に向かって傾がせる。傷口から黒煙を吐き出して悶える巨艦に、
さらに後続の「赤城」が通り過ぎざまに一斉射を叩き込む。三発が直撃し、うち二発は
ざっくりと割られた艦首甲板から艦内に突入して第一砲塔のバーベット下部を貫通し、
主砲弾待機所に飛び込んで即応弾を誘爆させた。主砲弾薬庫に迫る危機に気付いた応急
班長は直ちに防火シャッターの閉鎖を命じたが、砲弾の爆発によってシャッターそのも
のが破壊されており、弾薬庫最深部への爆焔の突入を阻止することは出来なかった。結
果、「コンスティチューション」の前部主砲弾薬庫内部では、350発あまりの40センチ
砲弾とそれを発射するための装薬が、一斉に誘爆することとなった。艦橋直前で真っ二
つになった船体の後半部で、16基のボイラーが爆発する。四本の煙突が次々と根こそぎ
宙を舞い、中央部が文字どおりの意味で噴火した。どういう力が働いたのか竜骨に沿う
かたちで二つに裂けた後半部船体が、左右両舷に向かって倒れるようにして先に海没。
最後に残っていた艦首が引き込まれるように没して、「コンスティチューション」は地
上から姿を消した。

 一方、第八戦隊最後尾の「霧島」は、第二任務部隊の背後を突こうとしたところで回
頭直後の「ユナイテッド・ステーツ」と鉢合わせした。直ちに主砲旋回。だが相手のほ
うが一瞬早かった。第一撃で昼戦艦橋が直撃を受け、第二斉射が前檣楼を倒壊させる。
ようやく急斉射した主砲弾のうち一発が相手の第三煙突を根こそぎにするが、第三斉射
が中央部の舷側に立て続けに炸裂。貫通されたボイラー室が大爆発を起こして「霧島」
の中央部は猛火に包まれた。なおも停止した「霧島」に巡洋艦や駆逐艦が群がり、中小
口径弾を叩きつける。垂直装甲の薄い巡洋戦艦は、これに耐えられなかった。15センチ
砲弾が舷側を抉り取り、12.7センチ砲弾が高角砲や機銃、探照灯をもぎ取っていく。嵐
のように着弾する小口径弾は水線付近にも容赦なく降り注ぎ、「霧島」の予備浮力を削
り取っていく。反撃しようにも、中央部艦内で発生した大火災と高温蒸気の噴出はケー
スメイト砲郭の内部にまで充満しており、砲座についていた要員はそれらに巻き込まれ
て死亡するか、上甲板にまで退避していた。だが、上甲板に逃げ出した彼らを待ってい
たのは、砲弾の直撃や飛散する破片によって肉体を引き裂かれる運命でしかなかったの
だが。
 そして、破局が訪れた。金剛級戦艦は1930年代初頭に受けた近代化改装によって甲板
防御を八八艦隊計画級の新鋭艦なみに強化していたが、これによって彼女たちは無視で
きないトップヘビーを生じていた。浸水による浮力の減少がバランスを崩壊させた結果
「霧島」は突然倒れこむように転覆して、甲板上で生き残っていた数少ない将兵を海上
へと投げ出した。この老嬢がもはや沈没を待つのみの運命であることは誰の目にも明ら
かだったが、降り注ぐ砲弾の雨は彼女の船底が火柱とともに裂ける瞬間まで止むことは
なかった。

 続いて沈んだのは、やはりレキシントン級巡洋戦艦の「レンジャー」だった。第二戦
隊の「戸隠」「八溝」──よりにもよって46センチ砲搭載艦──と、彼女は正面切って
殴りあう挙に出た。だが、この蛮勇の代償は高くついた。後檣根元に命中弾をうけた
「レンジャー」は、海面に向けて倒れこんだ後檣の抵抗によって速力の低下を来たし、
強引に針路をねじ曲げられた。彼女が果敢に挑んだモンスターたちは、それ以上の砲撃
を不要と見たのか姿を消したが、替わってさらに始末の悪い相手が目の前に現れた。野
放図に長大な船体の前後にずらりと敷き並べられた6基の連装砲塔。第四戦隊の「高千
穂」だった。高千穂級の手数は白根級の五割増である。砲威力がほとんど無意味となる
至近距離からの砲撃では、特に本領を発揮するクラスだ。たしかに「レンジャー」の対
応は決して遅いものではなく、新たな敵艦の発見と殆ど同時に砲撃命令が飛び、炸裂し
た高初速の40センチ砲弾は「高千穂」の前甲板に大穴を開けた。だが、これに対して
「高千穂」からは12発の40センチ砲弾が飛来し、うち5発の命中弾が「レンジャー」の
艦上を廃墟に変えてしまった。主砲塔の半数が至近からの直撃弾によって反対舷の海上
に弾き飛ばされ、舷側装甲を突破した砲弾が副砲用の即応弾を誘爆させ、中甲板以下の
階層に手のつけられない火災を発生させる。直ちに消火班が急行したが、第二斉射がふ
たたび舷側を突き破って炸裂し、彼らの行動を完全に掣肘した。さらにこの斉射で後部
主砲弾薬庫付近でも火災が発生。直ちに防火扉が閉鎖され、弾薬庫への注水が開始され
たが、それが効果を発揮し始める前に第三斉射のうちの一弾が防火扉を粉砕。火炎と熱
風が弾薬庫内に吹き込んだ。それだけならまだ「レンジャー」は助かったかもしれない
が、中甲板で炸裂した一弾が燃焼中の可燃物やバーベット内の即応弾を弾薬庫の奥に向
けて掃き込んだことによって、状況は決定的に悪化した。先程妹を襲ったのと同様の事
態に見舞われた「レンジャー」は、既に消滅した第四砲塔の開口部から火柱を上げた。
さらに、ほぼ定数一杯の弾数を残していた主砲弾薬庫の誘爆は主砲塔の開口部程度では
エネルギーを発散しきれず、余剰の熱化学エネルギーは船体内部の隔壁を吹き飛ばして
中央部に侵入すると、そこにあった主缶とタービン発電機に対して焼夷破砕効果を発揮
した。次々と発生した誘爆による被害は、もはや合衆国海軍が世界に誇る高いダメージ
コントロール能力をもってしても手がつけられなかった。その能力を発揮する主体たる
べき要員とハードウェアのほとんどが、誘爆そのものによって失われていたからだ。艦
長が総員退艦命令を出したときには、既に事態は手遅れとなっていた。1300名の乗組員
の大半が艦内から脱出するよりも先に、「レンジャー」は艦首を突き上げて海底に引き
込まれていった。


 第一巡洋戦艦群を率いるチェスター・ニミッツ少将は、この混乱の中でよく麾下部隊
の統制に成功した指揮官の一人といえるだろう。彼の指揮下にあるのは旗艦「ヨークタ
ウン」以下、「エンタープライズ」「ホーネット」「サムター」「アラモ」「ゲティス
バーグ」という長大な艦列だが、いまのところ隊列から脱落した艦は一隻もないことか
らも、彼の統制能力が伺える。
「状況はどうなっているんだ?」
 それは、この場に居合わせたありとあらゆる人間にとっての疑問だったであろう。じ
っさい、この状況を仕掛けた嶋田ですら、正確な状況は把握できていなかったといって
いい。四個艦隊に分かれていたはずの両軍の隊列は、もはや巨大な戦場海域に呑み込ま
れて見事なまでに融合していた。
「左舷前方、大型艦が炎上中!」
 戦場の視界は恐ろしく悪くなっていた。彼我の艦影が入り乱れ、水柱と煙がその間隙
を埋め尽くしている。
「艦種と艦型は何だ?」
 全員が相手を注目する。黒煙の帳をついて姿をあらわしたのは、阻止砲撃で損傷を受
け、僚艦とはぐれていた「古鷹」だった。艦橋と後甲板の火災は未だに鎮火していない
が、そのまま戦闘に巻き込まれてしまったようだ。どこの誰かは知らないが、黒煙の向
こう側に存在しているらしい相手と激しく交戦している。
「味方艦を援護する。左舷砲戦!」
 ニミッツの号令一下、「ヨークタウン」と「エンタープライズ」の前部主砲が左舷に
旋回し、直射弾道で狙いをつける。「古鷹」右舷に配置されていた見張り員が、こちら
を発見て目を剥いているのが双眼鏡越しに見えた。距離は約700メートル。
「ファイア!」
 艦長シュー大佐の号令が飛び、二隻合計6発の40センチ砲弾が全長20メートルの砲身
から叩き出される。戦艦主砲による零距離からの水平射撃。装甲巡洋艦とはいえ、「古
鷹」のような小艦が耐えられるわけがない。
「着弾!」
 水柱が収まったとき、「古鷹」の中央部には二つの大穴が右舷から左舷に貫通し、破
孔から猛烈な炎が噴き出していた。つい今まで砲身も焼けよと撃ちまくっていた連装三
基の主砲は完全に沈黙し、艦全体が右舷に傾斜し始めている。そこに左舷側から無数の
砲弾が飛来し、「古鷹」の艦上に次々と炸裂した。堪らず総員退艦が発令されたのか、
上甲板に次々と乗組員が脱出してくる。だが、それを知る由もない左舷側からの砲撃は
容赦なく降り注ぐ。無数の人間の形をしたものが空中に舞い上げられるのをニミッツは
目撃した。
「酷いものだ……神よ……」
 人一倍情の深いニミッツにとっては耐えがたい光景だった。思わず口に出る祈りの文
句。しかしそんな悠長なことをしている場合ではなかった。
「左舷、雷跡! 四番艦に向かう!」
 ニミッツは頭から冷水を浴びせられたような気がした。日本海軍の敢闘精神は侮れな
い。大破炎上して瀕死の「古鷹」だったが、右舷側に出現した戦艦群に対して果敢に雷
撃を行ったのだ。不意を突かれた四番艦「サムター」は、これを回避できなかった。艦
首に2本の水柱が出現する。「サムター」は大きく艦首を沈み込ませ、隊列から脱落し
た。その直後、「古鷹」は大爆発を起こして右舷に横転し、あっという間に海没して姿
を消した。ニミッツは、「古鷹」が姿を消した海面を呆然と見つめていた。


 その頃、ニミッツが心中で祈りを捧げていた位置から数千メートル離れた海面で、そ
んなロマンチシズムとはまるで無縁の世界が繰り広げられていた。当事者は、日本側が
第六戦隊三番艦の「愛宕」、合衆国側は、キンメル直率の第一戦艦群から脱落した二番
艦「ニューハンプシャー」である。「愛宕」は南雲第四艦隊司令長官直率の一艦として
戦場海域に突入したが、出会い頭に遭遇した「ニュージャージー」と砲火を交えた際に
左舷後部に直撃弾を受け、操舵系統が衝撃で故障したことによって隊列から置き去りに
されていた。一方の「ニューハンプシャー」もまた、乱戦突入前に十五戦隊の雷撃の流
れ弾に当たって浸水を起こし、速力が低下。僚艦が乱戦の中で最大戦速に増速するや、
あっという間にはぐれてしまっていた。
 戦闘は、半ば喜劇的な展開で始まった。立ち込める黒煙の中、両艦は「愛宕」に「ニ
ューハンプシャー」が続航するかたちで、砲火を交わすこともなしに航行していた。お
互いが、相手を味方艦と誤認していたのだ。「愛宕」は、黒煙の中で後ろをついてくる
艦影を砲塔の形状と全幅の目見当から大和級戦艦と思い込み、知らぬが仏で第一戦隊の
露払いを気取っていた。「ニューハンプシャー」は「ニューハンプシャー」で、前方を
航行しているのは味方のヨークタウン級巡洋戦艦だとばかり思っていたのだ。
 「愛宕」の化けの皮が剥がれたのは、何の気なしに出会い頭に叩き潰した駆逐艦がき
っかけだった。星条旗を掲げた駆逐艦が目の前で炎上するのを見て、「ニューハンプ
シャー」の側もさすがに何かがおかしいと思い始めた。
「通信、前の阿呆に同士討ちを止めろと言え!」
 「ニューハンプシャー」艦長のバース大佐が高声電話に向かって怒鳴る。
「艦長、あれを!」
 航海長が、炎上する友軍駆逐艦からこちらに向かって発光信号が送られているのに気
付いた。

『貴艦前方の艦は敵艦なり』

「なんだって!?」
 ちょうどそのとき両艦の間の煙が晴れ、互いの艦影が至近距離で明瞭に識別された。
「ぜ、前方、アマギ級巡洋戦艦です!」
「畜生! ジャップめ、よくも騙しやがったな! 撃て!」

 一方の「愛宕」も、今の今まで嶋田長官の旗艦だと思い込んでいた相手の正体に仰天
していた。直ちに砲撃命令が下され、後甲板に並ぶ三基の連装砲塔が狙いを定める。だ
が、先に気付いたぶん「ニューハンプシャー」のほうが早かった。「愛宕」の後部砲塔
が発砲するよりも先に「ニューハンプシャー」の斉射が着弾し、後部射撃指揮所を叩き
潰し、後檣ごと根こそぎにして飛行甲板に打ち倒した。さらにもう一発は第三砲塔の前
楯と砲身の間に突き刺さって炸裂し、装填されていた40センチ徹甲弾を暴発させた。中
央部が大破して火災を生じた「愛宕」は、それでも残った第四・第五砲塔を斉射。射距
離1000メートル。あいかわらず装甲が無意味になる距離だ。「ニューハンプシャー」の
前檣楼頂部が吹き飛び、左舷の両用砲群が火柱を上げて粉砕された。
 そこから先は血みどろの殴り合いだった。それぞれ射撃指揮中枢をうしなった「愛宕」
と「ニューハンプシャー」は、砲側照準で不毛な至近砲戦を始めた。互いに十回近い斉
射を交わした後、「愛宕」の後半部と「ニューハンプシャー」の前半部は、おたがいに
瓦礫の寄せ集めのような姿になっていた。「愛宕」は後甲板の主砲塔三基がいずれもス
クラップに変わり果て、上甲板の後半部を至るところで叩き割られ、後檣と煙突は前後
から折り重なるように飛行甲板に向けて倒壊し、破孔を含むありとあらゆる開口部から
朦々と黒煙を吐き出していた。「ニューハンプシャー」は、前檣楼が第一煙突を将棋倒
しにして中央甲板に倒壊し(艦長以下首脳陣は司令塔に退避していた)、左右両舷の両
用砲塔を悉く吹き飛ばされ、前甲板の主砲塔を二基とも爆砕された挙句、艦首を叩き割
られて大浸水を生じていた。
 こうしてお互いよれよれになった両艦だが、彼らはなおも戦いをあきらめない。「愛
宕」は右舷、「ニューハンプシャー」は左舷に回頭して、それぞれ無傷の主砲群を相手
に向け、最後の一斉射を叩き込み合う。この一撃で「愛宕」は残る前甲板の二基の主砲
塔を全損し、右舷の副砲群をなぎ払われ、完全に戦闘不能となった。一方の「ニューハ
ンプシャー」もまた、後部主砲6門のうち4門の砲身を根元から叩き折られ、後部射撃
指揮所を叩き潰され、艦尾にまで大穴を開けられて、浸水増加と火災によって戦闘続行
が不可能となった。
「くそっ! 今日のところは引き分けにしておいてやる!」
 バース大佐はボロボロの状態でよろめきながら離脱していく「愛宕」に向かって捨て
台詞を投げつけた。もっとも、ボロボロなのは彼の乗艦も同じだったのだが。



 第一任務部隊第二戦艦群は、40センチ砲12門を搭載するサウスダコタ級戦艦6隻とい
う派手な編成ながら、ここまで戦艦と正面きって戦うチャンスに恵まれていなかった。
おまけに、派手な編成ゆえに水雷戦隊から目の敵にされ、隊列が大きく乱れて散り散り
になってしまっている。
「うぬぬ……そろそろ戦艦の一隻ぐらい掛かって来んか」
 旗艦「マサチューセッツ」に座乗する指揮官のキンケイド少将がいくら歯噛みしたと
ころで、現れないものは仕方がない。そろそろキンケイドのストレスは限界に達しかけ
ていた。
「右舷、大型艦らしきもの!」
 見張り員の報告に、キンケイドの心は躍った。
「砲戦用意! 敵味方識別は後回しで構わん!」
「艦首に菊の紋章! 敵艦です!」
「ファイア!」
 高初速の40センチ砲弾が炸裂し、黒煙の向こう側で閃光が弾けた。やがて、煙の合間
から敵艦の姿が垣間見える。日本戦艦の伝統となっているパゴダ・マストをシェイプア
ップしたような太い塔状の艦橋。そして、メインマストには大将旗が翻っている。
「ヤマト級か!」
 喜色満面に叫んだキンケイドの表情は、次の瞬間歓喜以上の何かに変わった。姿を現
した大和級の前檣楼は、昼戦艦橋付近に大穴が開いていた。



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