海王記(11)





 そこは、水雷戦隊と呼ばれる機動打撃兵力にとっての楽園だった。黒煙と硝煙が立ち
込め、入り乱れる艦影。間断なく吹き上がり、視界を閉ざす水柱。彼らにとって最大の
敵であるものは戦艦でもなく航空機でもなく、ただ距離のみであったが、いまやその最
大の宿敵は、三十数ノットという高速で戦場海面を駆け回る彼らに対して完全に無力と
なっていた。
 第一水雷戦隊を率いる山口多聞少将は、許されるのであれば朗々と声を張り上げて歌
いだしたいほどの高揚感をおぼえていた。戦前から彼が精魂込めて鍛え上げてきた部下
たち──彼にとっては実の息子以上の存在だ──は、一糸乱れぬ統率と極限まで高めら
れた技量によって、我が物顔に戦場を疾駆していた。
「左舷、駆逐艦2隻並行しつつあり!」
「メインマストに星条旗! 敵艦!」
「左舷撃ち方!」
 旗艦「川内」が装備する連装四基の14センチ砲が、流れるような手際で急旋回して一
斉射をおこなう。着弾の閃光が起こり、無数の破片が飛び散った。「川内」は一撃を加
えただけで増速離脱するが、一水戦にとってはそれでもまったく問題なかった。後続の
「夕雲」「巻雲」「風雲」「長波」「巻波」「高波」「大波」「清波」が、旗艦に負け
じと12.7センチ砲を乱射し、とどめを刺してしまうからだ。彼らはこうして、これまで
に駆逐艦5隻を無傷で葬っていた。
 一水戦は、山口のような男がまさに理想とするような働きを示していた。駆逐艦を蹴
散らし、巡洋艦に砲火を浴びせ、戦艦の足元を引っ掻き回し、ときには砲撃を受けそう
な味方艦の眼前に煙幕を展帳しながら、彼らは駆け続けた。



 すべては突然の出来事だった。見張り員からの報告もなかった。ただ、突然張り飛ば
すような衝撃と一瞬の熱風が襲ってきて、「大和」艦長の森下大佐は戦闘艦橋の床に叩
きつけられた。二、三度転がった彼は伝声管でしたたかに背中を打ち、踏み潰された蛙
のような呻き声をあげた。十数秒ほどそうしていただろうか。我に返った森下が艦橋内
を見回すと、そこはまったく別の世界へと変貌していた。
 まず、床に寝転がった彼の視界に水平線がとびこんできた。さらに、艦橋内に置かれ
ていたいろいろなもの──速度指示計や海図盤、その他の計器類など──が綺麗さっぱ
り消滅していた。壁や床、天井には鮮紅色や煤けた肉色をしたいろいろなものがこびり
ついている。
「衛生兵! 衛生兵!」
 どこかから錯乱したような叫び声が聞こえてきた。身を起こした彼は、航空参謀の樋
端中佐が、反対側の壁際の伝声管に向かって怒鳴っているのを発見した。
「艦長、無事だったか」
 声を掛けて来たのは、参謀長の伊藤少将。こちらも上体だけを起こした格好だった。
「長官は?」
 伊藤少将は無言のまま視線で方向を示した。その先には、右舷の海面が見えていた。
数分前まで、確かその位置には高声電話と壁面が存在していたと思ったのだが。森下は
気の抜けたような笑みを浮かべて肩をすくめた。我ながら冗談のような反応だと思った
が、この状況では格好をつける気にもなれなかった。
「それよりも、敵艦ですな」
 森下は真顔に戻ると立ち上がった。戦闘指揮を継続せねば。樋端中佐が呼んだ衛生兵
と一緒にやってきた伝令に、後檣の副長に臨時に指揮をとれと伝えろ、と命じる。伝達
事項を復唱して駆け去る伝令の後を追うように艦橋の外へ出ようとした彼に、衛生兵が
声を掛けた。
「艦長、どちらへ──」
「司令塔だ」
「でしたら、あの」
「何だ」
「せめて手当を受けられてからにしてください。艦長の左腕は──あぁ」
 一瞬詰まってから、衛生兵は続けた。
「そこの釣り床と同じことになっておりますので」
 衛生兵の示す方を見ると、断片防御効果のために艦橋外壁に括られていたハンモック
の束が襤褸屑となって、切っ先のような破断面から垂れ下がっていた。
「──それもそうだな」
 森下は奇妙に冷静な様子で、やや顔を顰めながら答えた。わきわきと左手の指を動か
す。人差し指が第一関節から消失していた。それ以外は大丈夫。骨も折れてはいない。
もちろん、あちこちに決して浅くない切り傷ができていることを除けば、ではあるが。
指揮は継続できそうだったが、今ごろになって麻痺していた神経が本来の役割を取り戻
そうとしていた。
「頼む」
 衛生兵は、眼前の人物が連合艦隊司令長官であるかのような表情で彼を見ると、手馴
れた動作で止血にとりかかった。


「ええぃ! 運のいい奴め!」
 キンケイドは、地団太を踏んで悔しがった。「大和」へのとどめは諦めざるを得なか
った。左舷側から偵察巡洋艦の一隊の殴り込みを食らった第二戦艦群は、元々あまり整
っているとはいえなかった隊列が、回避運動のために完全に崩壊していた。とくに左舷
に5本もの魚雷を食らった「モンタナ」などは、大傾斜を生じて転覆しかけている。
「『モンタナ』乗組員の救助を急がせろ。くそっ! シマダに一泡吹かせてやったと思
ったらこれだ! まったくついとらん!」
 それから15分後、浸水と傾斜に耐えかねた「モンタナ」は多数の乗組員を内部に閉じ
込めたまま転覆し、波間に姿を消した。



 第二戦隊は、他の味方艦と完全にはぐれてしまっていた。周囲に見えるのは、次々と
突進しては小口径砲弾を撒き散らして逃げていく合衆国海軍の駆逐艦や巡洋艦ばかり。
戦隊司令部は第二艦隊司令部も兼ねていたが、もはや麾下部隊の統御をおこなえる状況
ではない。
「左砲戦、目標九時半の敵巡!」
「一番、二番、射撃準備よし!」
「テーッ!」
 轟音とともに旗艦「白根」の主砲身から重量1トン半の巨弾が発射され、目標に突進
する。悲惨なのは狙われた「ヒューストン」で、射距離わずか500メートルでの艦首方
向からの直撃弾は、彼女の第二砲塔、前檣楼、煙突、後檣をまとめて貫通し、海上へと
弾き飛ばしてしまった。無数の鉄屑と化した艦上構造物のなれの果てが、両舷の海面に
向かって降り注ぐ。火災こそ発生しなかったものの、指揮中枢を全て失った「ヒュース
トン」は完全に戦闘不能だった。
「むぅ。46センチが泣くぞ、これは」
 憮然とした顔で高須中将がぼやく。本来この艦の46センチ砲は、重装甲で知られる米
戦艦を打ち破るためのもののはずだ。こんな使い方は、造った側にとっても使う側にと
ってもまったく本意とするところではないだろうに。おまけにこの乱戦。至近距離での
殴り合いは、せっかく主砲への対応防御となっている重装甲を無効化してしまう。確か
に、味方に多数存在している36センチ砲搭載艦を有効活用する意味では悪い選択ではな
かったが、遠距離砲戦でも36センチが叩ける目標はあったはずではないのか。
 そこに、蒼白な顔をした通信参謀が転がり込んできた。震える手で差し出された電文
を訝りながら受け取り、一読した高須の表情が苦渋に歪む。だが、その中に微かに覗く
侮蔑の色に気付いたものはいなかった。
 そら見ろ、言わんこっちゃなかったんだ。あの見栄っ張りめ。ざまぁみろ。

 序列順からいえば、この時点で指揮を継承すべき次席指揮官は第三艦隊司令長官の古
賀峯一中将だったが、古賀の指揮権継承には問題があった。旗艦「加賀」の通信機能が
先程装甲巡洋艦から食らった25センチ砲弾によって破壊されていたのだ。おまけに古賀
が直率する第五戦隊は、各艦の損傷と視界不良によって完全に四分五裂の状態となって
おり、旗艦の「加賀」にせよ自分の身を守るだけで手一杯の状況だった。第三艦隊司令
部からの応答がないことを知った「大和」は、代わりに第二艦隊司令部を呼び出した。

 やれやれ、とんだ面倒を押し付けられたもんだ。
 それが、高須中将の素直な感想だった。指揮権を継承したといっても、高須にできる
ことはたいして多くはなかった。せいぜいが、戦場に存在する味方に対して指揮権の委
譲があったことを伝達するくらいだ。あとは別命あるまで現状を維持。じっさい、これ
だけの乱戦になってしまうと、どちらかが一方的に手をひくというわけには行かない。
(嶋田さん、恨みますよ……)
 高須は心中で愚痴った。これからこの黒煙と水柱に覆われた世界で、どれだけの損害
が発生することやら。その責任を負わなければならないのは俺なんだぞ。くそったれ。
「前方、大型艦複数。針路上を雁行しつつあり!」
 それは、ニミッツ麾下の第一巡洋戦艦群だった。ヨークタウン級が3隻。彼らにとっ
て不幸なことに、溜まりに溜まったフラストレーションのおかげで高須はちょうど虫の
居所が悪かった。
「前方艦、ヨークタウン級乃至ミズーリ級!」
「艦長、取舵だ。右舷砲戦用意」
 左に変針した第二戦隊は、ちょうど米艦列の後方を左舷に向かって横切る格好となっ
た。距離は1500メートル。まさに撃ち頃の好射点だ。
「撃ち方始め!」

 ニミッツにとって痛恨だったのは、先ほど「古鷹」から食らった雷撃だった。「サム
ター」が被雷したことによって隊列に間隙が空き、そこに強引に飛び込んできた水雷戦
隊(山口少将麾下の第一水雷戦隊だった)が展張した煙幕によって部隊を分断されてし
まったのだ。後方の「サムター」「アラモ」「ゲティスバーグ」がどうなったかは誰に
もわからなかった。ニミッツの手元にあったのは、「ヨークタウン」「エンタープライ
ズ」「ホーネット」の三隻のみ。あれから第一巡洋戦艦群は、さらに駆逐艦一隻を戦果
に加えていたが、ニミッツは脱落した麾下の三隻が気に掛かっていた。
「後方に大型艦!」
 ニミッツの表情が明るくなる。取り残されていた部下たちが追いついてきたのかと思
った。だが、彼の期待は最悪のかたちで裏切られた。
「数が違います! 艦影四隻! 後方部隊にあらず!」
「なんだって!?」
 殆ど間をおかず、後方で無数の発砲焔が光る。遅れて届く、明らかに40センチ砲を上
回る轟音。最後尾の「ホーネット」の両舷に巨大な水柱が吹き上がった。
「敵艦はシラネ級巡洋戦艦!」
 ニミッツは己の迂闊さを呪った。

 「ホーネット」への直撃弾は、第二斉射から発生した。艦尾の非装甲部を貫通した一
弾が推進軸を叩き折り、彼女の足を無理矢理止める。そこへ「石鎚」の斉射弾が落下。
第四砲塔がバーベットから引き剥がされ、背後に吹っ飛んで後部射撃指揮所を押しつぶ
した。さらに煙突や上構脇の両用砲群が消失し、火災が発生する。駆けつけた消火班の
奮闘を嘲笑うかのように「戸隠」の斉射が追い討ちをかける。二本の煙突の間に落下し
た一弾は、第一煙突を根こそぎにして中央部に大穴を開けた。さらに、後部に集中して
数発が炸裂し、辛うじて巡洋戦艦としての流麗な原型を留めていたそこを、完全な廃墟
に変えてしまった。乗組員達は勇敢にも、なおも諦めずに消火と復旧のための努力を払
いつづけたが、「八溝」の水平射撃が前檣楼を倒壊させて艦長が生き埋めとなった時点
で、統一したダメコン指揮が不可能となった。ほぼ同時に「白根」が後部砲塔から放っ
た46センチ弾のうち二発が水線付近を直撃し、大量の浸水が始まる。たびかさなる被弾
によって内部隔壁を散々に食い荒らされた「ホーネット」に、これに抗する術はなかっ
た。生き残っていた航海長の指示で総員退艦が発令され、乗組員の脱出が始まったが、
その直後に一気に浸水の進行した「ホーネット」は無数の悲鳴とともに突然転覆。千数
百人を呑み込んだまま大渦とともに艦尾から消えていった。



 第五艦隊司令長官の三川中将は、GFでも有数の闘将として知られていた。砲戦指揮
の勇猛さにかけては、艦隊司令長官クラスとしては随一といってよい。その彼の指揮官
として得がたいと思われていた資質が、皮肉なことに直率の第七戦隊を窮地に陥れてい
た。
 第七戦隊は、分の悪い敵を相手に苦戦していた。36センチ砲搭載の「扶桑」「山城」
「伊勢」「日向」にとって、旧式とはいえまがりなりにも40センチ砲搭載艦のメリーラ
ンド級の相手は荷が勝ちすぎた。至近砲戦であるために装甲は無意味なのだから、あと
は手数の勝負に持ち込んでしまえばよさそうなものなのだが、困ったことに扶桑級戦艦
は軍艦としての耐久力が致命的なほど低かった。重量900キロのハードパンチが、艦上
構造物を片っ端から叩き壊し、船体をいたるところで食い破っていく。艦内──とくに
可燃物の多い居住区画で発生した火災が、次第に他の区画を侵食し始める。ただちに消
火作業が開始されるが、なにしろ発生個所が多いために対処は後手に回りがちで、消火
班が駆けつけたときには手遅れとなり、閉鎖注水せざるを得ない区画も多かった。当然
ながら艦内への注水は浮力と速力の減少を引き起こし、あらたな着弾の引き金となる。
第七戦隊の各艦は、失血死の危険に晒されていたのだ。
「第四砲塔被弾! 総員戦死、兵装全壊、使用不能!」
「後部兵員室被弾! 戦死七名!」
「後檣被弾! 副長戦死!」
「艦首錨鎖庫被弾!」
 続々と戦闘艦橋に上がってくる損害報告は、旗艦「扶桑」の死期が刻一刻と迫りつつ
あることを伝えていた。「扶桑」は、控え目にいっても大破と判定すべき損害を受けて
いた。連装6基の主砲塔は半数が消失し、バーベットの開口部が甲板上に剥き出しとな
っていた。煙突は直撃弾と飛散する破片によって、握り潰した金属箔のようになってい
た。戦隊外鈑はいたるところで引き裂かれ、内側からの爆圧によって弾け、捲れあがっ
ていたし、副砲以下の火器に至っては、左舷側のケースメイトを除いて一門も使用可能
なものが残っていなかった。二番艦の「山城」以下についても、状況は似たようなもの
だった。
「各艦被害状況知らせ」
「『扶桑』被弾十九発。砲力五割低下」
「『山城』被弾十六発。第五・第六砲塔使用不能」
「『伊勢』被弾十七発。前檣楼大破、艦長戦死、砲力三割低下」
「『日向』被弾十三発。中央部に火災発生中」
 ──戦艦とは、実にしぶとい兵器であると言うべきだった。
 いっぽうで、三川はいよいよもって決断を迫られていた。ここまで闘志に任せて敵部
隊に食らいつき、至近距離で殴り合ってきたが、味方の損害はこれ以上事態が悪化する
前に離脱を命じるべきところまで来ている。むしろ、同クラスの艦の中でも防御力の高
いほうではない扶桑級で、よくここまで健闘したといってよい。それに、見たところ相
手の状況もそれほど余裕があるようには見えない。四隻とも至近距離からの巨弾の乱れ
撃ちに遭って艦上構造物を穴だらけにされ、火災が発生している。あきらかに動きの鈍
っている艦も見受けられた。
「尻をまくるには頃合か」
 そう口にしたとき、またしても被弾の衝撃が「扶桑」全艦を揺るがした。
「損害報告!」
 艦長が怒鳴った次の瞬間だった。
 これまでにない衝撃と振動が、艦橋に居合わせた人々の直下から襲ってきた。それが
意味するところに気付いた数名が顔色を変えるよりも早く、彼らの視界は180度回転し、
悲鳴の混じった轟音とともに永久に暗転した。



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