海王記(12)





 第一任務部隊第三戦艦群の旗艦「メリーランド」が放った151発目の40センチ砲弾は、
第七戦隊旗艦「扶桑」に対するちょうど20発目の命中弾となった。右舷副砲郭後部を貫
通したそれは、直後方の内部装甲を突破し、艦内区画へと突入した。このまま行けば、
砲弾は第四砲塔のバーベット上部を掠めるようにして左舷側の配管区画で爆発するはず
だった。
 だが、この瞬間の「扶桑」は徹底的にツキに見放されていた。第四砲塔付近には7発
目と10発目の命中弾によって吹き飛ばされた隔壁が折り重なるように錯綜しており、こ
こに激突して進路を歪められた砲弾は、よりによって第四砲塔のバーベットそのものを
正貫してしまったのだ。揚弾リフトの支持架を叩き折りながら弾薬庫に落下した砲弾は
そのまま底面でバウンドして最下部から外に飛び出し、装薬庫にまで到達したところで
ようやくその信管を作動させた。百数十発の36センチ砲弾を発射するために必要とされ
る装薬嚢に次々と火が回り、膨大な熱量と爆圧が発生する。それらは隔壁を打ち破って
隣接する罐室になだれ込み、居合わせた要員が事態を理解するよりも早く、そこで膨大
なエネルギーを荒れ狂わせた。ボイラーが轟音とともに打ち倒され、蒸気配管が引きち
ぎられる。噴出した高温高圧の蒸気と爆炎は、罐室区画内の気圧を瞬時に急上昇させた。
そこに、第四砲塔弾薬庫で砲弾が誘爆した際に生じた爆風が流れ込み、ついにそれは隔
壁と内部装甲を引き裂いて第三砲塔の弾薬庫にまで及んだ。
 「扶桑」の第三砲塔天蓋を四分五裂に粉砕して火柱が突き上げ、続いて前檣楼が基部
からすっぽ抜けて海面に横倒しとなった。舷側の破孔からも爆風が吹き出し、全艦を炎
が呑み込んでいく。火達磨となった「扶桑」の中央部が陥没するように海に沈み、続い
て前後に分割された船体が一気にそこへ引き込まれていった。沈没寸前に海中への脱出
に成功した乗組員もいるにはいたが、彼らの大半は後続する「山城」「伊勢」「日向」
の推進器に巻き込まれる運命にあったから、どのみち幸運とはいえなかった。



「待て! 撃ち方待てェ!」
 命令が連呼され、発射を待つだけとなっていた主砲の発射プロセスが中断される。
45口径40センチ砲が睨んでいる先には、友軍の長門級戦艦。先方もこちらに主砲を指向
していたから、一歩間違えば同士討ちが現実のものとなっていた。まさに危機一髪。
 第三戦隊は完全な混乱の渦中で悪戦を続けていた。「紀伊」「尾張」「駿河」「近江」
の四隻で構成されていた単縦陣はすでに原形を留めていない。栗田少将が座乗する「紀
伊」に続航する二番艦の位置につけていたのは、ほんらい四番艦であるはずの「近江」
だったし、とうの二番艦「尾張」の位置は「近江」の右舷真横にオフセットしてしまっ
ていた。三番艦の「駿河」にいたっては、先ほどから何処に行ったものやらさっぱり姿
が見えない。
 既に四隻──目に見えるのは三隻だけだったが──は、度重なる敵艦との邂逅と交戦
によってさんざんに痛めつけられていた。五基の主砲塔すべてが健在な艦は一隻も残っ
ていない。戦艦級から駆逐艦まで、敵味方のありとあらゆる艦艇が次々と目の前に現れ
ては消えていく。友軍の駆逐艦から12.7センチ砲弾が飛んできたことも一度や二度では
なかった。
「左舷、大型艦接近!」
「左砲戦用意!」
 急旋回する主砲塔。重量千数百トン、その動きの遅さがもどかしい。
「籠状の前檣楼! 敵艦です!」
「砲術、まだか!」
 接近する艦影の艦上で無数の発砲炎。殆ど同時に「紀伊」の左舷に二つの大穴が空い
て、爆炎が噴き出す。衝撃に震える46000トンの大戦艦。艦橋の人間達の間にも動揺が
広がる。
「落ち着け! 本艦はこの程度では沈まん!」
「敵艦はサウスダコタ級!」
「主砲、射撃準備よし!」
「テェェェェェッ!」
 気合だけで敵艦を吹き飛ばしそうな勢いで射撃命令が下された。「紀伊」の健在な全
砲門が一斉に火を噴き、一瞬遅れて「近江」が続く。「尾張」は射界を「近江」に塞が
れて発砲できない。目標の艦影に次々と発砲炎以外の閃光が弾ける。刎ね飛ばされた主
砲身がくるくると宙を舞って明後日の方角に消え、簾のような有り様になった前檣楼が
自重を支えきれずに潰れるように崩落し、副砲郭が船体からもぎ取られて舷側から転げ
落ち、爆風を食らった両用砲塔が中身ごと破片に切り刻まれる。爆風に払われた黒煙の
狭間から、敵艦──サウスダコタ級戦艦「インディアナ」の明瞭なシルエットが垣間見
える。男性的な力強さの集合体として芸術的にまとめ上げられていたそれは、見るも無
残な廃墟と化していた。破孔や火災現場から濛々と湧き出した黒煙が、それらをすぐに
覆い隠してしまう。
「射撃効果あり! 敵艦沈黙と認む!」
「火災、鎮火しました! 左舷主計科室被弾、総員戦死!」
 どうやら被弾した個所がよかったらしい。あとあとの苦労が思いやられたが、とりあ
えず今のところは戦闘続行に支障なさそうだった。
「よし、『駿河』との合流に向かう! とどめは水雷戦隊にでも任せておけ!」
 幽霊船のようによろめきながら停止した「インディアナ」を尻目に、第三戦隊は進撃
を再開した。

 その頃、件の「駿河」は願ってもない好機に恵まれていた。目の前にミズーリ級戦艦。
そのマストに翻る中将旗。合衆国第二任務部隊旗艦「ミズーリ」に間違いなかった。し
かも、目標は前方の加賀級戦艦との交戦に夢中でこちらに気付いていない。となれば当
然ながら、据え膳食わぬは、ということになる。
「撃ち方始め!」
 「駿河」の8門の40センチ砲──第五砲塔が旋回不能となっていた──が火を噴いた
直後、「ミズーリ」の中央部に四本の火柱が上がり、前檣楼が中央部から引きちぎられ
て甲板上に打ち倒された。
 第二任務部隊司令部に、生存者はいなかった。



 第六艦隊旗艦「金剛」は、右舷を併走する拡大甲巡「インディアナポリス」に向けて
砲戦用意に入っていた。向こうもこちらに気付いて主砲を旋回させている。だが、気付
いてももう遅い。たとえ間に合ったとしても戦艦と装甲巡洋艦。勝負は最初から見えた
ようなものだ。それが油断になったのかどうかは、今となっては知る術もない。左舷側
の見張り員が「それ」に気付いたときには、事態はあまりにも手遅れになりすぎていた。
見張り員は、絶叫を上げることはできたが、警報を発することはついにできなかった。
左舷側の至近距離にまでたちこめた一際濃い煙幕から、巨大な艦影が全速で飛び出して
きたのだ。
 それ──第二巡洋戦艦群旗艦「レキシントン」は、回避する間もなく「金剛」の左舷
中央部に直角に突き刺さり、大音響とともに船体外鈑や隔壁、装甲、内部機器、そして
副砲郭を押し潰しながら「金剛」の船体構造そのものに深々と食い込んだ。36センチ砲
弾の直撃に耐えられるよう設計された防御構造も、43500トンの巨艦が34ノットで突進
するさいに生じる暴力的な運動量には耐えられなかった。クリッパー・バウの鋭い舳先
は艦齢34年の老嬢の舷側を砕くだけでは止まらず、高角砲座をひっくり返し、煙突を蹴
倒し、罐室を踏み潰してようやく突進力を使い果たした。

 戦闘艦橋にいた第六艦隊首脳陣が味わったのは、これまでどんな戦艦の乗組員も経験
しなかったような凄まじい衝撃と振動だった。全員が床に投げ出され、壁に打ち付けら
れ、よくても骨折や脱臼をはじめとする重傷を負った。即死したものも少なくない。そ
の中で、司令長官の草鹿少将は運がよかったほうだった。腕を骨折する程度で済んだか
らだ。
 「金剛」は、右舷に向かって傾斜していた。「レキシントン」の舳先が突っ込んだと
ころからは、高温蒸気と黒煙が入り混じって激しく噴出している。水防区画が意味をも
たないほどの深手なのは疑いなかった。
 草鹿は、旗艦をこのような有り様にしてくれた相手を睨みつけた。噴出した水蒸気を
浴びた籠マストの長大な船体が、光の屈折で揺らめいて見える。不意に彼は気付いた。
敵艦の前甲板で巨大な物体が蠢いている。右舷を向いていた主砲塔が、正面に向かって
旋回しつつあった。
「馬鹿な、この状態で砲撃だと!?」
「左舷砲戦! 奴を黙らせろ!」
 浸水対処の指示どころではなかった。36センチ連装砲塔が急旋回。通常の砲戦ではあ
り得ない“俯角”をとって「レキシントン」に狙いを定める。だが、旋回角度は90度対
180度。圧倒的に「レキシントン」のほうが早かった。
 零距離で放たれた巨弾は、「金剛」の前檣楼下部を相次いで貫通した。探照灯架がま
とめてなぎ払われ、副砲射撃指揮所が刎ねられた首のように艦橋構造物から転げ落ち、
司令塔に巨大な穴が開く。
 対する「金剛」の射撃は、「レキシントン」の前半部を正面から叩き据えた。副砲が
ちぎれ飛び、前檣楼が捻じ曲がり、艦橋構造物がばらばらになって飛び散った。第二砲
塔が正面から叩き潰されて炎を吹き上げる。「レキシントン」の前方砲力は半減した。
 だが、その直前に放たれた砲撃は「金剛」の船体各所を貫通した。第一撃で倒壊寸前
になっていた前檣楼は第二砲塔の真上に向かって崩れ落ち、これを完全に押し潰した。
後檣楼もまた、至近からの直撃に根こそぎにされて右舷側の海面に倒れこんだ。さらに
第一砲塔と第三砲塔が相次いで破滅的な喚響とともに消失し、「金剛」の健在な砲力は
第四砲塔のみとなった。
 その第四砲塔が放った射撃は、「レキシントン」の第一砲塔を正面から貫通して第二
砲塔のバーベットに命中。砲塔内部で激しく跳ね回りながら弾薬庫に落下し、信管を作
動させた。
 「レキシントン」の前甲板を下から叩き割って、巨大な火柱がたちのぼった。同時に
「金剛」の中央部からも同様の火柱が突き上げる。甲板上に噴出した爆炎は瞬時に全艦
を舐め尽くし、二隻は絡み合った姿のまま巨大な松明と化して沈黙した。
 先に耐え切れずに沈んだのは、既に船体構造に致命的なダメージを負っていた「金剛」
だった。対処指示を出す間もなく突入した砲戦によって健在な防水区画まで破壊され尽
くした彼女は、「レキシントン」の前に跪くかのように鈍い破断音を響かせて中央部か
ら二つに折れ、力尽きるように海底へ引き込まれた。
 「金剛」を踏み潰すかのようにその沈没に合わせて艦首を沈み込ませた「レキシント
ン」もまた、艦尾を高々と突き上げ、彼女の後を追って姿を消していった。



 もはや、戦場海域にある部隊で戦隊単位の統率を保っているものは殆ど残っていなか
った。とくに戦艦部隊は彼我の艦影が錯綜し、まったく収拾のつかない乱戦となってい
る。平均交戦距離は1000メートル前後。どれほど堅固な装甲を張っていようとも、この
距離では板塀ほどの役にも立たない。巡洋艦の主砲でも戦艦の舷側を貫通してしまう。

 「サヴァンナ」はムーア中佐のもと、この状況を最大限に生かして奮戦していた。
「左舷砲戦! 目標、フソウ級戦艦!」
「ファイアっ!」
 9門の15センチ砲が次々と火を噴く。目標とされた「山城」は、すでにメリーランド
級との殴り合いで気息奄々といった様子だったが、それでも生き残っている僅かな副砲
を振り上げて応戦の構えを見せた。
「いやぁ、見事なファイティング・スピリットだね」
 感心したような声をあげるムーア中佐。
「でも、残念ながらこの場は僕達の勝ちだ」
 場違いなほど爽やかな笑顔。本人にもまったく邪心はない。しかし状況が状況だけに
一種凄味さえ感じさせる迫力がある。砲術長のクラーク少佐は思わずたじろいだ。
 「サヴァンナ」が斉射をおこなうたびに、「山城」の装甲板が砕かれ、上構が粉砕さ
れ、鉄屑や人間が舞い上げられる。反撃の咆哮をあげた副砲はたちまち制圧され、ねじ
くれた鉄塊となって舷側から垂れ下がった。二隻の距離は高角砲や機銃の有効射程すら
はるかに割っていたが、これまでの戦闘でそんなものはひとつ残らずちぎり取られて消
えうせ、あるいは叩き潰されて奇怪な形状をした鉄と人体のペーストと化していた。
 さすがに身の危険を感じた「山城」は、自らが持つ最大の砲火をもって小癪な拡大偵
察巡洋艦を排除することにした。ただ一基残った第三砲塔を旋回させ、右舷に狙いを定
める。
 だがそこに、「サヴァンナ」の背後から真打が登場した。サウスダコタ級戦艦「ノー
スカロライナ」である。電気系統に受けた被害により後甲板の主砲が使用不能となって
いたが、残る前甲板の6門だけでも「山城」に引導を渡すには十分だった。
 長砲身砲の特長である高い初速は、とくに弾速の勝負となる水平射撃においてその真
価を発揮する。重量1トンの巨弾が二度、三度と「山城」を打ち据え、繰り返し舷側に
炸裂。急遽目標を変更した「山城」の36センチ砲弾が飛ぶが、射撃指揮所も砲塔測距儀
も粉砕された状態で命中など期待できるわけもなく、二発の砲弾は明後日の方向へ飛ん
でいった。
 お返しとばかりに「ノースカロライナ」の40センチ砲弾が着弾。射距離2000。正面か
ら直撃をくらった第三砲塔は、バーベットから外れて左舷側の海面に転がり落ちた。こ
れで「山城」は、右舷の敵に対抗する術を失った。退避しようにも、損傷と浸水によっ
て速力が10ノットに低下している現状ではどうにもままならない。
 結局「山城」は、水線下への命中弾による浸水が予備浮力の許容量を超えるまでの十
数分のあいだ、単なる砲術標的として「ノースカロライナ」「サヴァンナ」の二隻から
袋叩きにされるという不名誉な時間を過ごす羽目となった。



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