海王記(13)
キンメルが直率する第一任務部隊第一戦艦群は、序盤で「ニューハンプシャー」の脱
落という計算違いこそ起きたものの、まずは無難に戦っていた。隊列に残った「オハイ
オ」以下、「メイン」「ルイジアナ」とも機関や主砲など深刻といえる部分への損害は
生じておらず、次々とあらわれる日本軍艦目掛けて40センチ砲弾を送り込みつづけてい
る。撃沈こそ旧式の偵察巡洋艦一隻に留まっていたものの、金剛級、長門級、加賀級、
天城級、紀伊級、高千穂級、と一通りのクラスとは砲火を交え、そのうちの何隻かから
はあきらかに有効弾と思われる手応えが得られていた。
「前方、大型艦らしきもの!」
先頭を進む「オハイオ」の見張り員が報告してきたのは、第一戦艦群があらたに装甲
巡洋艦「青葉」を撃沈戦果に加えた直後だった。
「艦形知らせ!」
「不明です! しかし……大きい!」
「まさか……」
煙幕に浮かび上がる巨影。それは、正確な艦影を推し量るまでもないほどに強烈な威
圧感と存在感とを放っていた。
「ヤマト……」
キンメルがそう口にした瞬間、黒煙の向こうから音速の二倍を超える速度で9個の鉄
塊が飛び出してきた。「オハイオ」に乗り組んでいた人間達にはそれを知覚することは
出来なかったが、それらは彼女の全身に、1.5トンの自重と前述の速度によって備わる
にふさわしい運動エネルギーを叩きつけ、艦上構造物や舷側外鈑をつぎつぎと爆砕して
いった。
「第二砲塔、使用不能!」
「右舷両用砲群全滅!」
「艦首被弾! 火災発生!」
怒号のような報告が乱れ飛び、対処指示があわただしく下される中、キンメルはただ
呆然と立ち尽くしていた。
「ばかな、煙幕越しの射撃だと……」
いささか格好のつかないひとことだが、それが彼の遺言となった。きっかり40秒後に
飛来した第二斉射が「オハイオ」の戦闘艦橋を叩き潰し、キンメルや幕僚達の肉体を周
囲の鉄材もろとも微塵に粉砕して海上へと掃き捨ててしまったからだ。
「『青葉』の犠牲には報いられたかな」
戦艦「武蔵」艦長──もっとも、現在では第一戦隊司令官も代行していた──の高柳
大佐は、心中で合掌した。煙幕越しの艦影に向かって砲撃を行ったはいいが、さすがに
正確な弾着まで見えるわけではない。敵戦艦の接近を通報してくれた「青葉」が健在な
らば観測をやってもらうこともできたのだが、あいにくと彼女はいちはやく撃沈されて
しまっていた。
もっとも、砲術科としての彼の長年培った感覚は、確実な手応えがあったことを感じ
取っていた。こちらの正体をあるていど暴露したにもかかわらず反撃が飛んでこないこ
とも、それを物語っている。
「さて……取舵だ。止めを刺しておこう」
そのとき、報告が飛び込んできた。
「戦隊後方に敵艦! 『大和』が叩かれています!」
第一戦艦群を救ったのは、第三戦艦群の「サウスダコタ」だった。彼女は第一戦隊最
後尾の「大和」に背後から忍び寄ると、3000メートルの至近距離から40センチ砲12門の
猛射を浴びせた。たちまち、「大和」の後半部が爆炎に包み込まれる。後檣はそこで指
揮をとっていた副長のもろとも轟音を上げて崩壊し、第三砲塔が砲塔測距儀をもぎ取ら
れてのけぞるように傾き、艦尾の航空設備が吹き飛んで航空燃料に引火、さらにもう一
弾が艦底まで届くような大穴を貫通させたことによって艦尾艦内区画に発生した猛烈な
火災が一気に延焼し、舵機が機能を停止した。
後部砲塔が使用できず、転舵も不可能となった「大和」に対し、嵩に掛かったように
「サウスダコタ」の砲撃が集中する。四番副砲塔がバーベットから脱落してひっくり返
り、主檣がちぎれ飛び、左舷の補助火器群が薙ぎ払われた。耕作されたという表現が似
つかわしいほどの痘痕面と化した後部は次々と発生する貫通弾によって笊のようになり、
無数に発生した艦内火災が後部区画を侵食して行く。
「大和」の指揮系統唯一の中枢となった司令塔では、対処指示で砲戦指揮どころでは
なかった。後方の指揮系統は壊滅、艦内電話も半数近くが使用不能で、後部艦内配置と
はまったく連絡が取れない。おまけに次々と発生する被弾は火災に対処している応急班
に甚大な被害を与えており、すでに全乗組員の三割が行動不能となっていた。注排水系
統も破壊され、最後の手段である注水による消火という措置も取れない。あらたな着弾
があったことを示す衝撃。もはや被害報告すらも届かない。この斉射によって艦載艇の
収容口が叩き潰され、煙突の上半分が消滅し、右舷の高角砲と機銃群が全滅した。
「舵機の復旧いそげ!」
森下大佐が失血で意識不明となったために指揮を代行している砲術長の黛少佐が絶叫
する。このままではGF旗艦が撃沈されてしまいかねない。それだけはどうにも腹に据
えかねる事態だった。一砲術科員として、彼は大和級戦艦に心底惚れ込んでいた。火砲
のプラットフォームとして、これほど理想的な船はふたつと存在しないだろうからだ。
そして、搭載する46センチ砲の圧倒的な破壊力は白根級戦艦の運用経験によってすでに
実証されたもの。大和級戦艦は名実ともにまさしく史上最強の艨艟だった。それが、指
揮系統と操舵系統の麻痺によってたんなる巨大な射撃標的に成り下がってしまっている。
そんな馬鹿な話が罷り通ってたまるか。
「『常陸』が転舵しています!」
見張り員の歓声が、頭に血が上っていた黛を現実へと引き戻した。三番艦の位置につ
けていた「常陸」が本来の位置を外れ、左舷に大きく転回して砲戦体勢をとっている。
「急げ! 『大和』を見殺しにするな!」
艦長の黒島亀人大佐が叫ぶ。「常陸」もまた第二砲塔が旋回不能となっていたが、す
くなくとも後方砲力と操艦能力は無事だ。ならば、サウスダコタ級のごとき旧式戦艦の
一隻や二隻などなんとでもなる。「常陸」は不関旗を掲げるやいなや、一杯に取舵を切
って「大和」の援護に回った。型破りで強引な指揮で知られ、ともすれば上層部から睨
まれがちな黒島だが、このときばかりは彼の強引な性格がGF旗艦にとっての救いとな
った。
とにかく今は迅速な行動が第一だ。第一戦隊の隊列の外に踊り出た「常陸」は、左舷
に向けた6門の主砲で「サウスダコタ」を撃ちまくった。「サウスダコタ」は、それま
で自分自身が敵にもたらしてきた打撃をそっくりそのまま身を以って味わうこととなっ
た。
まず、第一撃のうち二発の砲弾が舷側のアーマーを叩き割ってヴァイタルパート内部
に突入し、左舷発電機室を全壊。主砲旋回および注排水系統を始めとする各種電気動力
系に対して無視できないダメージを与えた。
それとほぼ同時に、第一斉射のうちもう一発が煙突脇に着弾し、艦載艇や両用砲塔を
一斉に消滅させ、付近の上甲板に火災を発生させた。
続いて第二斉射のうちの一弾が浅い角度で前甲板に命中し、100ミリという比較的薄
い装甲を突破して右舷船体外鈑のすぐ内側で炸裂、破孔から500トン余りの海水が流れ
込んできた。
だが、それ以上に致命的な打撃は艦の後部で発生した。艦尾舷側の水中部分をほぼ同
時に貫通した二発が舵機室で炸裂し、彼女の主舵を根元から吹き飛ばして艦底部に大穴
を開け、同時に副舵の作動機構にも大きな損傷をあたえたのだ。
結果、「サウスダコタ」の針路は面舵方向に固定され、ただひたすらその場を時計回
りに周回する以外の運動が不可能となってしまった。唐突に開始された旋回運動は彼女
を「大和」から引き離すことに成功していたが、彼女にはすでに、離脱することによっ
て温存すべき戦闘力が残されていなかった。
高千穂級戦艦四隻で編成された第四戦隊が殴り合っていた相手は、「ルイジアナ」
「メイン」「ウィスコンシン」「サラトガ」「コンステレーション」という、もはやど
この戦隊が母体なのやら訳がわからないような集成部隊だった。
こういうときアメリカは便利だよな、と相手の陣容を見ながら西村司令は考えた。主
砲の口径や砲身長が統一されているおかげで、クラスの違う艦を臨時に指揮下に編入し
ても砲戦指揮が混乱しない。
もっとも、この所見は買いかぶりというものだった。実際オハイオ級やミズーリ級の
主砲発射速度は、給弾装置の関係でレキシントン級のそれよりも相当速い。臨時指揮官
役の「ルイジアナ」艦長ロードン大佐も困っていた。麾下部隊の半数が統一射撃できな
いというのは案外に不便なものなのだ。部隊の行動というのは、常に一番遅いものに合
わせなければならない。ほんらい第三次三年計画で建造された戦艦が搭載する50口径40
センチ砲は毎分二発という高い発射速度を誇るのだが、そこに一発40秒のレキシントン
級が混じったおかげで、集成部隊は不本意な戦ぶりを強いられていた。
勘弁してくれ。悪夢だ、こりゃ。ロードン大佐は心底そう思っていた。
一方の西村は、本気で感心していた。生還したら、主砲口径と年式の統一について意
見具申してみようかな、などとまで思っている。まぁ、それも「阿蘇」が「レキシント
ン」「サラトガ」の砲撃を水線下に食らって沈黙するまでの間だったが。
「阿蘇」の被弾は、言ってみれば「不幸な事故」の類といってよいものだった。斉射
八発中四発が直前の水面に着弾して、あまつさえその全弾が舷側水中部を叩き破るなど
と誰が考えるだろう。この一撃だけで、それまでほぼ無傷で乱戦を潜り抜けてきた幸運
艦は一気に3000トン以上もの浸水を生じ、最大速力が10ノットにまで低下。さらに右舷
側に十度以上傾斜し、主砲の使用が不可能となった。さらに致命的なことに、発電機が
主副両方とも停止した。これによって注排水ポンプが使えなくなったことが直接の原因
となり、戦闘から取り残された「阿蘇」は火災と浸水に苦しんだ挙句、三時間後に沈没
した。彼女が沈んだ当時付近には敵味方とも艦船はおらず、二千名余りの乗組員のうち
生存者は救命艇で数日間漂流した挙句に合衆国軍の潜水艦によって収容された十数名の
みだった。
そのころ、司令部を失って混乱する「オハイオ」に対して後方から狙いを定めている
艦がいた。艦位を失ったまま第二戦隊から脱落して単独行動していた「戸隠」である。
射距離6000メートル。多少これまでよりも遠いが、水平弾道で十分狙える距離だ。
だが、彼女が発砲した瞬間に「オハイオ」は大きく転舵して方向を変えた。左舷から
突入しつつあった五水戦の雷撃を回避するためだったが、これが別の悲劇を生むことと
なった。「オハイオ」がいなくなった「戸隠」の射線上には、大破炎上して漂流中の
「愛宕」が位置していたのである。
「愛宕」は、日本が世界に誇る46センチ砲の威力を身を以って体験した初めての日本
戦艦となった。その破壊力は、艦齢19年の老巡洋戦艦に対して揮われるものとしてはあ
まりにも強大に過ぎた。
命中の瞬間、拡大しつつある被害と必死の応急の努力とが拮抗することによってかろ
うじて保たれていた「愛宕」の命脈は、ソフトウェアとハードウェアの両面にわたって
完全に粉砕された。
後甲板に滑り込むような形で着弾した一発は、スクラップと化していた三基の主砲塔
をまとめて吹き飛ばし、甲板そのものにまでざっくりと亀裂を入れた。
中央部に着弾した一発は、堆積していた残骸を薙ぎ払うように爆風を巻き起こし、そ
こを何もないスペースに造り替えた。
さらに前檣楼下部と司令塔に命中弾が発生し、それぞれを右舷から左舷に貫通して内
部に夥しい死と破壊を振り撒いた。
そして艦首水線直下を貫通した一弾によって、「愛宕」は一気に2000トンもの浸水を
生じ、復元不可能なほどの傾斜を起こした。ただちに隔壁閉鎖と注排水を命じるべき状
況だったが、その命令をくだすべき人々は直前の艦橋への直撃によって全員即死してい
たし、閉鎖するべき隔壁や注排水を行うべきポンプは、夥しい命中弾によって破壊され
るか、機能の発揮に致命的なほどの支障をきたしていた。なによりも、それらの作業を
おこなうべき人間の六割以上が、既にこの世からいなくなっていた。
機転の利く数名の士官に率いられた内務班が浸水現場に急行するまでの間に、迅速な
対応がおこなわれれば2000トンそこそこで済むはずだった浸水量は、5000トン近くに及
んでいた。急速に拡大しつつある「海中」と化した現場に辿り着いた彼らは、既に「愛
宕」を救う術が失われたことを身を以って知る結果となった。
一時間後、「愛宕」が姿を消すまでに脱出できた乗組員は485名だった。
「旗艦が応答しないだって?」
合衆国艦隊の指揮権は混乱していた。本来迅速に通報されるべきパイ第二任務部隊司
令官戦死の報が、どういうわけか発信されておらず、おまけにそのことが発覚する前に
キンメル長官までこの世から消え去ってしまったために、次席指揮官達の誰もが、自分
よりも上級の司令部が消滅したことに気付いていなかったのだ。
「どういうことだ、トム?」
ニミッツ少将は、思わずTBSの通話器に向かって訊ねかえした。
「どうもこうもあるかよ。『オハイオ』も『ミズーリ』も、いくら呼び出してもウンと
もスンとも言ってこないんだ」
第二戦艦群のキンケイド少将が憮然とした声で応答してくる。
「ひょっとしたら両方やられてるかもしれんぞ」
「まさか、縁起でもない……」
乾いた笑みを浮かべたニミッツの表情は、次の瞬間凍りつくように引き攣った。
「おい、どうした!?」
すぐ耳のそばから発せられているはずのキンケイドの声が、随分と遠く聞こえた。
ニミッツの目の前には、前檣楼が消滅した「ミズーリ」がいた。
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