昭和47年6月3日 土曜日 曇
準備すべてOK。
もうすぐ注射されて手術室へ。
お母さん、お父さん、ひろしくん、
一慶さん、つねよさん、MSさん、ゆうこさん。
私、がんばってくる。
昭和47年6月15日 木曜日 曇
注射をして寝ると4時だった。
目を覚ますと、ひろしくんと、父、母と、ゆうこさんが見えた。
がんばってねの声に首をふった。
ベッドからストレッチャーに、病室を出る。
麻酔の注射はこの間の時よりよく効いているよう。
両手をしばられて手術台へ。
あの、ひんやりした冷たさは忘れられない。
麻酔の先生が数を数えてと言われた。
これで眠りから覚めたら、もう私の病気治る。
そう思って十数えた。
あとはもうわからない。
目が覚めたら朝だった。
足が痛い。下半身が麻酔のためか動かせない。
涙が出た。
6月3日のこと。
昭和47年6月16日 金曜日 曇
起床8時10分 就寝6時 体温37.2度 体調悪快
足のガーゼを取り替える。
その痛いの何の、もういやだ。こんな姿で生きてるなんて。
睡眠薬でも飲んで静かにしていたい。
でも、今の私にはその薬を取ってくる足さえない。
昭和47年6月22日 木曜日
起床6時20分 就寝9時20分 体温36.5度 体調普通
7月から東京の病院に移ると、きょう先生から言われた。
東京の病院の方が先生としても都合がいいからと言われた。
私にはそれしか言わなかったけど、お母さんたちは移ること知っている。
別に気にしない。
今は先生に従っていなくちゃ。
昭和47年6月25日 日曜日 曇
起床6時10分 就寝8時20分 体温36.5度 体調良好
午前中、身のまわりの整理をする。
いろいろ余計なものがあるのにびっくり。
このノートを読み返して、まあずいぶん成長してきたなあと思う。
午後からひろしくん来院。
来て早々アルバムのことでけんか。怒って帰っちゃった。
いま思うと馬鹿みたい。なぜ?
あーあ、寂しい夜。
あしたの朝、電話であやまろう。
昭和47年6月30日 金曜日 曇
起床6時 就寝9時 体温36.3度 体調良好
きょうでこの病院ともお別れ。
ゆきこさんや、前、部屋が同じだったので気が合うみどりさんや、
さっちゃんたちに送別会をしてもらった。
ああ、これが退院の送別会だったらなあなんて思っちゃう。
送別会を終えて、窓から見慣れた夜景を見ていると涙が出てきた。
あしたからこの景色も見られなくなる。
昭和47年7月1日 土曜日 晴れ
起床9時 就寝8時 体温36.8度 体調普通
きょうから東京の病院。
車でゆられて1時間半。
横浜の病院より小さいけれど、それだけにかわいくてきれいな病院。
来て早々、新しいこっちの先生に今までの病気のことを聞かれた。
先生が替わるたびに同じことを言わなければならないので、
おっくうで仕方がない。
きょうは、飯岡先生は来られなかった。
夜になって窓を開けると星が少ししか見えない。
きたない空なんだなあと思う。
横浜の空が妙に懐かしい。
きょうは眠れそうにない。
ゆうこさん、ひろしくん来院。
昭和47年7月2日 日曜日
起床6時 就寝8時5分 体温39.2度 体調不快
朝から熱がある。
こっちに来て早々なので、上がったんだろうと先生は言ってらしたが、
多量の鼻血を見た。
三度も。どす黒い血。
私のからだ、どうなっているのよ。
昭和47年7月4日 火曜日 晴れ
起床6時15分 就寝8時20分 体温37.5度 体調普通
きょうからセシウムをかける。
何のためかよくわからない。
通いのおじさんがセシウム室の前の待合室で
「今はこの病気を恐れません。きっと良くなって見せます。」
と言ったのを聞いて、ここに誰もいなかったら声を出して泣き出したかった。
あのおじさんの明るさがこわい。
心の支えがほしい。
昭和47年7月5日 水曜日 曇
起床6時20分 就寝10時 体温37.2度 体調普通
院長先生の診察を受ける。
これはいかんと言われた。
先生のことばを、何の感情もなく聞いた。
部屋に帰ってベッドに入ったまま過ごす。
一人部屋だと、考えないでいいことまで考えてしまってやり切れない。
そんな気持ちでいっぱいだ。
ひろしくん来院。
いつものようにすらすら話しができず、苦しい。
このごろ、みょうに二人とも黙りこくってしまう。なぜだろう。
生きるって、大変なこと?
でもその尊さを知りたい。
昭和47年7月11日 曇
起床6時25分 就寝9時10分 体温36.2度 体調普通
初夏のころ、雨だれの話をしてくれましたね。
あの頃の日記に記してありました。
一人でいるとね、
何でもないことまで気がめいってしまうの。
例えば、雨だれがね、
ぽつんと落ちるでしょ、
するとだめなのよ。
気をつけないといけない、
一人はね。
寂しくないことまで
寂しくなってしまうんだもの。
昭和47年7月18日 火曜日 晴れ
起床6時20分 就寝7時5分 体温37.2度 体調普通
久しぶりにゆうこさん来院。
学校がお休みだそう。
話がつきなくて、一日とっても楽しかった。
ありがとう。
いまごろ、足がひどく痛む。
夕方、涼しい風が吹くころなんか特に。
めまいもする。
私のからだ、大丈夫なのかしら。
昭和47年7月20日 木曜日 曇
起床6時25分 就寝8時10分 体温37.5度 体調普通
このごろ、手足のむくみが気になる。
先生に言うと、薬の副作用だろうと言われた。
こんなぶくぶくになっちゃって、私だって女の子なのに。
昭和47年7月28日 金曜日 晴れ
25日午前1時ごろ、意識不明。
ときどき意識が戻ると、お母さんとお父さんと、まりとしげると、
そのほかたくさんの人たちの顔が見えた。
目を覚ましたのが26日の夜だった。
みんなが、先生が、もうだいじょうぶだよと言った。
それから今もベッドの中。
どうしたっていうのよ。みんなそんな顔をして。
私は平気よ。
死ぬの? いや!
私は死にたくない。
私はまだ死んじゃいけないのよ。
神様、私はみんなに迷惑をかけてきた。
だから、この病気を早く治して、
迷惑をかけた分みんなにつくさなきゃいけないの。
死んじゃいけない。
昭和47年7月29日 土曜日 晴れ
涙ばっかりぽろぽろ出て、一人が妙に寂しくて
涙ばっかりぽろぽろ出て、一人が妙に悲しくて
愛と死を見つめてという本を読む。
死んでいったミコは本当に幸せだったんだろうか。
人は死ぬ直前まで、
自分の人生が幸せだったのか、不幸だったのかわからないものだと、
誰かに聞いたことがある。
死んでもいい。
でも、今はだめ。
もっとしなくちゃいけないことがあるんだもの。
しなくちゃいけないことが。
昭和47年7月30日 晴れ
私はあとどれくらい生きられるんだろう。
私のからだのこと、お父さんもお母さんも、
そしてひろしくんも知っているんだろうか。
一日中ベッドの中で過ごす。
先生に聞いてみようかなと思う。でも、何を言われるかこわい。
あと一年の命。いえ半年。
ううん、3か月。
考えただけでもぞっとする。
きょうは寝られそうにない。
昭和47年7月31日 晴れ一時雨
朝の回診のとき先生に言った。
「私、いつまで生きられるんですか?」
そしたら先生は笑いながら、
「人の命は誰にもわからないんだよ。
心臓も強いし、事故でも起こさない限り、
90歳くらいまでは生きられるんだろうな。」
と、軽快に笑っておられた。
でも、私にはわかっている。
私の命がもうそんなに長くないということが。
きょうはいやに心が澄み切っていてこわい。
自分でも驚くほど冷静だ。
昭和47年8月1日 火曜日 晴れ
週刊誌をペラペラとめくる。
華やかなファッション。
普通ならこんな服がいいなあ、欲しいなあとため息をついているころなのに。
すてきな恋愛小説に胸をときめかしているころなのに。
こんなことは夢だと思っても、ふと悲しくなる。
ああ、健康がほしい。
昭和47年8月3日 木曜日 晴れ
ひろしくん来院。
気を使ってくれている彼。
そんな姿を見ていると涙がこぼれそうになる。
私は死ぬってこと知らないふりしなくちゃいけないと思う。
それが私にできる、
彼への、そして父母たちへの最大の、
そして最後のいたわりなんだ。
お父さんへ
小学校のとき、お母さんが入院して、
遠足のお弁当のお寿司を、4時から作ってくれたお父さん。
私は、あのおいしかったお弁当を、今でもはっきり覚えています。
とってもこわかったけど、一番優しかったお父さん。
由里は幸せでした。
さようなら。
昭和47年8月4日 金曜日 晴れ
お母さんへ
お母さん、わがままばかり言ってた由里を、許してください。
そして今、お母さんの願いをよそに、永遠の眠りにつこうとしています。
私が今一番心残りなのは、親孝行ができなかったということです。
お母さんが家に来たのが、私が3年生のとき。
子供だった私は、お母さんを知らず知らずのうち、悲しませたことでしょう。
あの頃、庭のすみで泣いていたお母さんの姿が、今でも思われてきます。
ごめんね、お母さん。
でも、私とっても幸せでした。
私が死んで、私を産んだお母さんのそばへ行っても、
やっぱり私のお母さんはお母さんしかいません。
ありがとう。お母さん。
昭和47年8月5日 土曜日 晴れ
妹へ
まり。その後、いさむくんのことはどうなりましたか?
何の力にもなれないお姉ちゃんが、とてもいやです。
ごめんね。
でもね、まり。おねえちゃんからの最後のアドバイス。
自分の心に素直になりなさいね。
絶対、自分の心に、うそをついちゃだめ。
そして、この人だと思ったら、死ぬまでその人を信じなさい。
それが、お姉ちゃんからのまりへのプレゼントです。
そして、お父さんとお母さん、そしてしげるを頼みます。
さようなら。
何もしてあげられなかったお姉ちゃんより。
昭和47年8月7日 月曜日 雨のち晴れ
ゆうこさん来院。
東京でアルバイトをやっているそう。
これからたびたび来るねの一言が、妙にうれしかった。
ひろしくんへ
きのうはごめんなさい。私、何も知らなかったもんだから。
今まで、こんな私とおしゃべりしたり歌ったり、励まされたり、
本当にありがとう。
私はとっても幸せでした。
あなたとめぐり逢ってなかったら、私の人生は変わっていたでしょうね。
私の命が短い代わりに、神様はきっと私に、最大の友を授けてくれたのです。
本当にありがとう。
だから、私が死んでも、泣かないでくださいね。
きっといつか、すてきなお嫁さんをもらって、
幸せな家庭を築いてください。
ひろしくんはそれができる人です。
それがひろしくんらしいんです。
それが、私の一番好きなひろしくんです。
私の分まで幸せになってください。
由里
昭和47年8月10日 木曜日 晴れ、風強し
ゆうこさんへ
ありがとう。
あなたにはそれしか言う言葉がありません。
私がここまで生きられたのも、
あなたのおかげですもの。
本当にありがとう。
一度私が本気で死んでやるって言ったときのこと、
あなたは覚えていますか?
あなたは私に、
「そんなに死にたいなら、
あなたの命をもっと生きたいと思っている人にあげて。
死ぬってことは簡単だけど、生きるって大変なことよ。
あなた、そんな弱虫だったの。」
って言ったんです。
そのとき、私涙がぽろぽろ出てしまって、
今までの自分がとっても恥ずかしかった。
それから私一生懸命生きてきたけど、やっぱりだめでした。
でもね、私本当に有意義な4年間だったなって思うの。
あなたがいたからね。
だからお願い。
私が死んでも絶対泣かないで。
また、私のような病人の心の支えとなってあげてください。
かげながら応援します。
昭和47年8月11日 金曜日 晴れ 風あり
一慶さんへ
いつも楽しい放送ありがとうございます。
ご結婚なさったとのこと、おめでとうございます。
私、もう長くはない命なんです。
それなのに、今はとても冷静でこわいくらいです。
こうなって、17年の私の道を振り返ってみて、
本当に自分が何にもしないうちに死んじゃうんだなあって感じて、
ちょっと寂しい気もします。
私が初めて入院したのが、中学2年のとき。
そして、一慶さんの放送を聞き出したのが去年の12月。
いろんないやなこと寂しいこと、たくさんありました。
でも、そんなときいつもラジオの向こうで笑っていたのが一慶さんでした。
そして一慶さんが読まれる手紙やはがきの中に、励まされるものや、
ああ私も頑張ろうと思わされるものもたくさんありました。
私がもっと生きられたらずっと一慶さんの放送を聞いていたい、
そう今思っています。
でももう、それは無理ですね。
それから、
いろいろご心配かけたパックメイトの人たちに
ありがとうと言いたい。
私は本当に幸せな人間ですね。
こんなに大勢の人たちに見守られながら死んで行けるんですもの。
ありがとうございました。
一慶さん、そしてパックメイトさんたち。
追伸
このノートを一慶さんに。
こんなひどい私の手記で
一人の人でも生きる勇気を持ってくれてる、と思います。
死ぬのは簡単です。
でも、生きるってことは勇気がいります。
私は病気に負けたけど、
生きるってことに負けたくはなかった。
昭和47年8月12日 土曜日 晴れ
きょうも一日過ぎていく。
ぬるま湯につかったような生活。
ああ、本当に私は、
いつまで生きられるんだろうか。
つねよさんに手紙を書く。
ゆうこさんが長野に行くって言っていたから、
彼女に向こうから出してもらおうと思う。
それで私は旅に出たつもり。
ふふふ、びっくりするだろうな、つねよさん。
昭和47年8月13日 日曜日 晴れ
きょうは終戦記念日に先がけてマスコミが騒いでいることに、
耳を傾けてみた。
原爆の後遺症で苦しんでいる人、その子供、何と無惨な。
まだまだ、日本の戦後が終わっていないことを思い知らされた。
そしてこれは、私が一番嫌いな人間の癖なんだが。
あの子らに比べて私は、父母も兄弟も家もある。
それで幸せじゃないかと思った。
そしてあの子らの力になってあげたい。
自分の幸せをたくさんの人に分けてあげたい。
昭和47年8月14日 月曜日 曇
暑い。口がかわく。
ご飯がおいしくない。
ああ、何もかもいや。
このまま、死ぬのがこわい。
昭和47年8月15日 火曜日 曇
ゆうこさん来院。
私が九十九里に行きたいなあって言ったら、
じゃあ、あなたの代わりに私が行ってきてあげるよ、って言った。
25日から一人で行くつもりだったんですって。
ああ、一年前を思い出すなあ。
8月25日に、九十九里へ行こうって約束したこと。
2回目の8月25日、
またゆうこさんとの約束果たせなかった。
彼女は来年また行こうって言ってくれたけど、
私はそれまで生きていられるのか。
九十九里が見たい。
昭和47年8月16日 水曜日 晴れ
ひろしくん来院。
私は彼が好きだから、もうこれ以上、彼を悲しませたくない。
私は死んでもいい。
でも、あとに残るひろしくん、泣かないでほしいんだな。
私のことなんか早く忘れてほしいんだな。
だって、本当に好きなひろしくんだから。
昭和47年8月17日 木曜日 晴れ
からだが震えて、
何もすることができなくなった。
私はもう、これで死んでしまうの。
昭和47年8月19日 土曜日 晴れ
朝起きたら太陽が上っていた。
私はあと何回この太陽が上るのを見ることができるんだろう。
今は不思議に落ち着いている。
昭和47年8月20日 日曜日 曇
きょうも日の出が見られた。
一日をありがとう。
夏を閉じる日 鈴木由里
夏を閉じる日
散っていく花びらに 少しの言葉がほしい
空回りしている詩に 確かな鼓動がほしい
夏を閉じる日
ブランコの揺れる あの日に戻りたい
開かれた白いページに 瞳を埋めていたい
夏を閉じる日
心を閉じて 一人でいたい
昭和47年8月21日 月曜日 雨
きょうも日の出が見られた。
雨の中に、私ははっきり。
もう1ページでこの「ともしび」も終り。
ここまでよく頑張ったぞ、由里。
きょう、母に
「ともしび」の2冊目にするノートを買ってきてもらった。
少し熱がある。
きょうは一日中雨で、寒さのためかな。
秋も、もうすぐそこまで。
がんばらなくちゃ。