大晦日。今年最後の絵を描きに、鹿児島の家のある武町の同じ町内にある、「西郷屋敷跡」を訪ねました。遣韓使節をめぐる政争で東京を退去した西郷隆盛が、西南戦争勃発までの4年を過ごした屋敷の跡です。彼はここで畑を耕し、自らを「武村の吉」と名乗っていたそうです。当時の家は無く、井戸と、西南戦争の弾の跡のあるモミの木が残っていますが、今は公園として整備され、その中心に、「徳の交わり」という銅像が鎮座しています。右が西郷隆盛、左が庄内藩士菅実秀(すげ・さねひで)です。この二人の「交わり」がきっかけとなり、菅実秀の生地鶴岡と鹿児島市は姉妹都市となっているのです。左後方には、九州新幹線の高架が見えています。象の台座に由来が刻まれていたので、書き写してみます。 | ||
徳の交わり |
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平成三年十一月吉日 |
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西郷屋敷銅像建立委員会 |
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西郷さんの銅像というと、上野の森にあるものと、鹿児島の城山の麓のものが有名ですが、僕はこの座像が好きです。彼が犬を連れて散歩していたのは上野ではなく鹿児島の野山だった訳だし、城山の記憶は痛々しい・・・。かつての住いの場所に、こうして座っているのが、西郷さんに最もふさわしい感じがするからかもしれません。 | ||
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