12月31日、西郷屋敷跡
西郷屋敷跡

 大晦日。今年最後の絵を描きに、鹿児島の家のある武町の同じ町内にある、「西郷屋敷跡」を訪ねました。遣韓使節をめぐる政争で東京を退去した西郷隆盛が、西南戦争勃発までの4年を過ごした屋敷の跡です。彼はここで畑を耕し、自らを「武村の吉」と名乗っていたそうです。当時の家は無く、井戸と、西南戦争の弾の跡のあるモミの木が残っていますが、今は公園として整備され、その中心に、「徳の交わり」という銅像が鎮座しています。右が西郷隆盛、左が庄内藩士菅実秀(すげ・さねひで)です。この二人の「交わり」がきっかけとなり、菅実秀の生地鶴岡と鹿児島市は姉妹都市となっているのです。左後方には、九州新幹線の高架が見えています。象の台座に由来が刻まれていたので、書き写してみます。

徳の交わり
 西郷隆盛(南洲・なんしゅう)と菅実秀(臥牛・がぎゅう)が対話している対話しているこの座像は、ここ西郷屋敷において両翁が親睦を深め「徳の交わり」を誓いあったことを記念して製作したものである。
 臥牛は庄内藩(山形県)の有力な家老であった。
 庄内藩は戊辰戦争で官軍に激しく抵抗したため厳しい処分を覚悟していたが、南洲翁の暖かい取計らいにより処分は極めて寛大なものとなった。
 この南洲翁の人徳に感服した臥牛翁は、明治八年自ら七名の旧庄内藩士と共に来鹿し南洲翁の教えを受けた。
 後に臥牛翁はこれらの人々の手記を集め「南洲翁遺訓」を発刊し全国に頒布した。
 南洲翁の偉大さが全国に知れわたったのは実に臥牛翁の人徳がその一翼を担ったものといえる。
 ここに両翁の遺徳を偲び幾多の教訓と敬愛の精神を後世に伝えるため有志と相諮り浄財を募り対話の座像を建立した。

平成三年十一月吉日
西郷屋敷銅像建立委員会

西郷さん座像

西郷さんの銅像というと、上野の森にあるものと、鹿児島の城山の麓のものが有名ですが、僕はこの座像が好きです。彼が犬を連れて散歩していたのは上野ではなく鹿児島の野山だった訳だし、城山の記憶は痛々しい・・・。かつての住いの場所に、こうして座っているのが、西郷さんに最もふさわしい感じがするからかもしれません。
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