12月28日、京都、曼殊院
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 (小書院前の濡れ縁から、大書院方向を見る。軒が低く、深い。)

  新幹線が西に疾走するにつれて、空は曇天から雨模様になり、京都駅からは地下鉄烏丸線を松ケ崎まで北上し、地上に出てみると雨が本降りになっていました。傘をさし、ひたすら東をめざして歩き始めます。殺風景な北山通りから一本北に平行する道をたどると、落ち着いた家並みに出会いました。一軒一軒の門構えがしっかりしており、門の前を、水が勢いよく流れていました。
 白川通りからは坂道を登ります。田園風景も混じる中をしばらく行くと、左手に修学院の森が広がってきました。さらに進むと、両側に並木がある突き当たりに、高塀に囲まれた一角が現れます。曼殊院です。

 正面の急な石段から表門へと進むメインアプローチは通行止。参拝者は、左手に回りこんで、台所門から庫裏(重要文化財)へと進みます。この庫裏の小屋組みがすばらしかった。お土産品などのコーナーで、足元が冷えるので厚手の靴下を借り、右手にこけの美しい庭を見ながら進むと、大書院に至ります。その先には枯山水の庭園がひろがり、左手に小書院の建物へと、雁行してめぐってく濡れ縁が展開して、この建築の空間の大要が姿をあらわすのです。

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(大書院前の広い濡れ縁から東南方向を見る。軒も高いので明るい印象)
 
  その濡れ縁をいったりきたりしながら、あるいはそれぞれの書院に腰をおろして眺めながら、僕は建築としての構成の妙に打たれました。この建築の設計における中心的コンセプトは、大書院・小書院の空間の対比を、庭との間をとりもつ濡れ縁のスケールを主モチーフとして織り上げることだったのではないかと感じたのです。
  それぞれの書院のインテリアにおける扱いだけを見ても、パブリックの度の強い大書院は明るく、格式が高く、硬質な空間であるのに対し、プライベートな小書院は、多様な装飾や七宝の釘隠しなどに見られる湿度のある空間が実現しています。大書院が長手の平側を南の庭に向けているのに対し、小書院は妻側を庭に向けて南北に奥行きのある構成になっているのもきいています。小書院奥に位置する台目二畳敷の上段は、天井が一段低くなって、上下からスケールを下げる工夫がされているのです。

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(大書院正面。右手に庭。)

  でもそれらをより建築的に表現し、エクステリアにつないでいるのは、濡れ縁の構成なのです。大書院の前の縁側は、幅が一間なのに対して、小書院前は三尺にスケールダウンしています。高さ方向も、大書院は大屋根からの高い軒高で空間をたっぷり取っているのに対し、小書院前は下屋の軒高で押さえています。さらに、庭と隔てる高欄の高さも、大書院前では高く、手摺の上に擬宝殊(ぎぼうし)を立てて垂直性と格式を表現し、立って眺めるスケールにも対応しています。


(大書院から、濡れ縁を隔てて庭を見る。)

  それに対して小書院前の高欄はあくまでも低くおさえられて水平性が強調され、手摺上部に突出物はありません。さらに目をみはったのは、床すれすれに曲線を用いた小窓が穿たれて(格座間透嵌板・ごうざますかしはめいた)、視線と身体を、低く誘う構成になっているのです。


(小書院前の濡れ縁。床すれすれの装飾)

  この対比は、遠州好みといわれる庭の構成ともみごとに呼応しています。小書院前の奥(東)に滝石があって、そこからの流れが海にそそぎ、大書院前で大海原となって西へ開かれていくという構成です。この東から西への動きは、西につながる都上空を越えて、西海の異国、さらには西方浄土へのベクトルを考えてもいいのかもしれません。東の亀島の低い植栽と、西の鶴島の大きな植栽が対比を強調しています。鶴島にはキリシタン灯篭があって、西国を感じさせます。そういった意味を内包した枯山水が、濡れ縁の雁行に縁取られて書院のインテリアと結ばれているのです。
  実は、小書院の奥に、さらにスケールを落とした、「八窓軒」という小間の茶室があります。今回は割愛しましたが、スケールという建築の一面だけでも、この曼殊院がきわめて緻密な設計で成り立っているのかが解るのです。
(配置図;「京の茶室(東山編)」岡田孝男著、学芸出版社より)

曼殊院門跡のオフィシャルサイト


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