8月10日、広島、世界平和記念聖堂

  広島駅から歩いて、世界平和記念聖堂を目指します。広島の街は三角州に立地しているので、川が多く、川は水運に使われているので、橋を渡るのに、平地からかなり登らなければなりません。この街の特徴だと思いました。
  しばらくして、ビルの間に荒々しいコンクリートの大きなボリュームが現れました。村野藤吾設計、昭和29年建築の世界平和記念聖堂、重要文化財です。



  壮大でありながらつつましやかで、端正でありながら荒々しく、幾何学的でありながら有機的表現に満ち、ロマネスクのようで現代の建築であり、西洋的で日本的でもあり、これほど、対立や矛盾を内包しながらゆるぎない建築に、かつてどこかで会ったことがあったでしょうか?死と生、地獄からの再生という広島の歴史に向き合い、かつ包み込んで、この建築は静かに建っていました。
  ちょっと放心したように身廊の椅子に座っていると、ボランティアの方が案内して下さるとの事。まず、塔の上へ!荒々しいコンクリート打ち放しの階段を登り、最後は急で細い螺旋階段をつたった先にあったのは、平和の鐘でした。ドイツから運ばれてきた巨大な四つの鐘が鉄骨のフレームにつるされ、機械仕掛けで、街に鐘の音を響かせる発信地です。



  さらに登って地上45mの屋上に出ると、すっかり近代都市に成長した広島の街が広がっていました。写真中央の方角、およそ1.2キロ先が爆心地です。



  くらくらするような高みから降りてきて、パイプオルガンのある聖歌隊席、洗礼室、チャペル、地下聖堂まで案内していただきました。特にチャペルは、小さいながら凝縮した空間ですばらしかった。



  また、裏周りの階段などにも注意深い細部がほどこされていて、戦後のあの時期に、これだけの建築が実現したことが奇跡に近いように感じました。
  ボランティア・ガイドの方にすすめられて、この建物の献堂50周年記念誌を買い求めました。読んでみて、聖職者や信者たち、地域の人々のなみなみならぬ思いが、この稀有な建築を生んだということの片鱗に、少しは近づけたでしょうか。
  下の写真は、その本の中から使わせていただいた、竣工当時の航空写真です。やっと家並みで埋まり始めた広島の街で、いかにこの建築が特別な存在だったかが想像できます。



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