essay

 

「自分の棲家をつくる」ということ

 かつての日本の農村風景を偲ばせる国といわれるタイ。

その国の北に住む山岳民族の人々の家づくりは、今日でも、材料の調達から加工、組み立てまで、すべてその家に住む人の手になる、まさに手作りのもの。

各民族毎に使用する材料・構築方法に若干の違いはあるが、当然の事ながら、最も身近な手に入り易い自然素材を使う。構造材は細い丸太で、床壁の材料はほとんどが竹。

ラフな造りで、造り替えるサイクルが短いとしても、成長が早い材料を使うため問題ない。廃棄しても、もちろん土に返る物ばかりである。

この光景に出会ったとき、本来なら当たり前のこんなことが、今やできなくなってしまったということに、愕然としてしまった。

今やほとんどの人間は、自分のすむ家を用意するとき、自分でつくることはもちろん少なく、多くは「家を買う」という感覚である。こんな世の中で、たまにセルフビルドで家を建てている人がいたとしても、その材料まですべてを、自分の手で調達できる例は、ほとんどないといって良いだろう。

すぐに全てを真似することはできないが、生き物本来の営みであることを忘れないで、できることから少しずつでも、自分の痕跡をのこした棲家づくりができる人間が増えて欲しいものである。

自分が関わるということだけで、おのずと、自然環境の中での自分の位置・立場というものが、いろんな形で見えてくるものだと思うから。

  

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