essay
豊かな棲み家 −秋月にて−
 雨の合間の一息つけそうな空の下、普段は何気なく見過ごしている街並みに、じっと目を凝らしてみませんか。
 この春、福岡県甘木市の城下町、秋月を訪れた時のこと。ちょうどほころび始めた桜の花びらのもと、そのちいさな城下町をそぞろ歩く人々は、地元の人であり、観光客であり、と様々ではあるものの、花よりだんご(これが必ずしも悪いとはいわないが)といったよく見られる喧噪さとは全く無縁の、しっとりしたお花見を楽しんでいました。
 古都とは言え、さびれて活気が無い訳ではなく、昔の名残を充分にひきつぎながら、それでいて、生き生きとした今を生きる人々の生活が、深い自然に囲まれるなか、そこかしこにあふれているのです。北にひかえる山々から、緩やかに傾斜した大地を、清らかな水が網目を縫うように流れていきます。その水に潤いを得て、人々の暮らしや、畑や、生き物たちが、春を謳い始めているのでした。
 つくづく思うことですが、真の豊かさとは何か。哀しいことに物が溢れかえっている都市の中で暮らしている我々にとって、これは最も見失いがちな事です。豊かな自然があってこその生き物の生活であるということを、いつも忘れずに、街を歩いてみれば、きっと何かがみえてくるのではないでしょうか。


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