essay

 

土佐沖ノ島にて ―バリアフリーの生活を思う―

  夕暮れの中、ゆっくりゆっくりと、果てなく続く石段を登っていく島の人。眼下に広がる集落を見渡すと、あちらこちらで夕げの煙が立ち昇り始める頃である。
 四国最南端にあるその沖ノ島には、いくら島国の日本とはいえ、これほどまでに高密度にかつ急勾配にひしめき合っている所はそうないのではと思えるような集落がある。人の多く通る新しく補強された所は、コンクリートで平らに固められているものの、上へいくほど、自然石のままの石段が危なげに縦横に続く。
 こういう土地の条件があるからこその家のたたずまいであるが、敷地の境はもとより、公私の区別もほとんど分からないような集落のなかで、心の垣根も取り払って皆がうまく譲り合い共有しあって生活を営んでいる様子がうかがえる。
 我々が今考えているバリアフリーとは一見無縁のバリアフルなこの島で、人々は、自らの生を、その地にへばりつくように建てられている家とおなじに、なるべく自然に逆らわず全うさせようとしているかのようだ。
 住まいの話とは少しずれてしまうが、本来生き物は、自分で歩けなく(動けなく)なったときが、死を迎えるときであり、また多くはその直前まで、歩けるものである。医学の進歩により、我々人間は、なかなかそうはいかなくなってきてしまったが。
 現代の都市の生活は眼に見える障害をなくそうとはしているが、新たな眼に見えない障害を生みつつあるのではという思いが、一層強くなるひとときであった。

  

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