『携帯電話<Pi>』
著:内神
<Pi> 「はい、もしもし」 「あー、井部ー。今どこー」 </Pi> <Pi> 「留守番電話サービスセンターに接続いたします」 </Pi> <Pi> Zaaaaa。 Zaaaaa。 </Pi> <Pi> 「福ちゃんかい?」 「そうですけど」 「いや、さっき非通知で変な電話があってさ。ノイズだけが聞こえるんだよねー。 それはそうとしてさ、今度………」 </Pi> 「よ、田中。久しぶりだな」 山田幸夫は男に声をかけた。 喫茶店の一番奥の席。少し暗がりがかった色合い。気怠い雰囲気。彼は男がそん な席に好んで座ることを熟知していた。 椅子を引き、向かいの席に座る。彼の方が少し見下ろす形になる。田中は猫背だ。 座るとそれが際立つ。 「山田。そこそこに元気そうだな」 不思議な笑みを浮かべて田中。男の名は田中光男。影のある風貌、半端に伸ばし た髭が年齢に重みを加えている。それは、何というか、確固たる重みであった。首 から分銅を吊り下げた様な男なのだ。 対照的に山田は明るい男だった。派手なネクタイ。派手なワイシャツ。 しかし、派手さに嫌みが無い。そういった服を着慣れた男だ。 「お前も変わらんなァ。何でこんな暗がりが好きなんだか」 山田は昔を思い出す。時間という名の、紗がかかったガラスの向こう側。田中は 学生のころから一番奥の席に好んで座った。しかも、古い店が好きだった。フラン チャイズの店などは間違っても行かない。講義の隙間が出来れば近場の古びた喫茶 店でたわいもない会話をしたものだ。 「それに付き合うお前も、人がいいさ」 言って、コーヒーを一口すする。 「それじゃ、仕事の話でもしようか」 上着を椅子にかけ、アメリカンを注文した山田が言う。山田は学術系出版社の編 集者。田中は在野の宗教、哲学研究家としてそこそこ名が知られた存在だ。今回、 原稿依頼という形で久々の出会いとなったわけだ。 「何でお前は携帯持たないんだよ。不便だな」 仕事の話も終わり、二人はくつろいだ会話を交わし始めていた。昔に戻ったよう な気分。心地よさ。わずかな違和感。博学な田中の話を聞くだけで、山田は十分に 楽しむことが出来た。いや……山田は心中思い直す。田中は博学とは違うかもしれ ない。妙に独創的なのだ。 「携帯は体の波動を乱すからな」 「おいおい。神秘主義は止めとけって」 「ふん……。そんなんじゃ無いさ。人間の体をミクロレベル、量子レベルで見たと き何が起こってるか分かったものじゃない」 「だからと言って……」 「まあ聞けって。電子が波動と粒子の性質を持つことは知っているだろう? 『人 体は、初めに、量子力学的な波動という目に見えない強い振動の形態をとる。そし てそれが集まって、エネルギーの振動や物質の粒子になっていく』とディーパック ・チョプラも言っている」 「誰だそれ?」 「マハリシ・アーユルヴェーダ。つまり、アロマテラピーの専門家だな」 流石に呆れ顔になる山田。 「そんな顔するなって。実際、振動。つまり波動は生命本質の一部を担うものなん だよ。混沌性と秩序性の間にあるものが波だ。適当な秩序と適当な混沌。これが生 命の本質ってやつさ。だから、電磁波は勘弁してくれ」 「そんなんじゃ生きていけんぞ」 「波は波を打ち消す。こんな世の中じゃ、形を維持するのも大変なんだぜ。電磁波 による病巣はこのせいだと俺はにらんでる。形態形成場理論もこれで証明できるだ ろ」 曖昧な笑みを浮かべる田中の顔からは、どこまでが冗談なのか判別出来ない。 「おいおい。そんなことを言う前に、コミュニケーションこそが生命の第一歩だぞ」 「誰と誰のコミュニケーションだい? 携帯電話との?」 「わかったわかった。………じゃ、ま、再会を祝してどっかで一杯やろうか」 さりげなく側に寄せていた伝票を掴むと山田は立ち上がった。 二人の姿は街並みに呑み込まれていく。 <Pi> 「ああ、すまん。聞こえんかったわ。もう一度頼むぅ」 「13日のことだよ! 最近変なノイズ多すぎだぞ。中継局がいかれてるんじゃね えの」 </Pi> <Pi> Zaa、Zaaaaaa、ZaZa。 Zaaaaa。Zaaa。 </Pi> <Pi> 「Zaaaaaaaa……………………」 「よう、新型機の話聞いたか?」 「いや、初耳だけど………」 「データ処理量が何倍にもなるらしいぜ。詳しいことはふせられてるけど、PC並 みかそれ以上だってさ」 「そんなにして意味あんのか? 今でも不都合が多すぎる」 「それでも携帯は手放せないからだろ……現に俺達も使ってるじゃん」 </Pi> <Pi> 「…………工学部の山本いますか?」 「俺だよ」 「よ、例の話だけどさ、個々の携帯が故障してるらしいぜ」 「ソフトとハードどちらの問題なんだ?」 「詳しくは知らんけど、連鎖反応的に不都合が増えてるんだってさ」 「両方かな? 新手のウイルスかも」 「冗談になってないぜ。プログラム使用化の弊害が今更でるなんて」 </Pi> 微かな音楽。それに踊らされるよう、山田はディスプレイのコールナンバーを見 る。 <Pi> 「はい、もしもし……………………………………おお、田中か!? 間違い電話か と思ったよ。しっかしお前もついに携帯持つことにしたか」 「あ、Zaa、ああ。Zaaaaa」 ノイズのひどさに山田は眉をひそめる。さらにわずかな違和感に。 「それにしてもお前、声おかしいぞ。風邪ひいたか?」 「ZaZaそうかもしれないな…Zaaaa」 電話に集中する山田。前から歩いてきた人間にぶつかりそうになる。 「おっ、すみませ………えっ!?」 携帯持たずに田中がいた。 </Piーー> ・ ・ ・ ・ ・ 「で、田中と山田は本当にいるのか?」 「さあ」 </Pi>