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  『テクスト 分類No.11-24』
               著:不明




 何から始めれば良いのだろう。
 思考は千々に乱れまとまりを成さぬ。
 ――――現状を少し語ろう。
 私は今、とあるホテルの一室でこのテクストを記載している。格は 中の下と言ったところか。一見豪奢に見えるが汚れの染みた絨毯。所 々奇妙に変色した壁紙。頑丈だが飾り気のない書き物机。  場所は………フランス中西部とだけ記しておこう。  最上階だが、スイートルームなどと言う気の利いたものは無い。地 上から離れた場所に逃げ込んだ私を、嘲笑うかのような夜のとばり。 熟れた頭がひしひしと感じる。  そこで私はこのテクスト冒頭部分を作成している。  このテクストはこの数日……ほんの数日……の私の日記を1つにま とめ物語的に再構成したものである。  この行為に何らかの意味があるのか私には分からない。だが、この 恐怖を紛らわす為、テクストに取り組んだ。いっそ気が狂ってしまえ ばどれほど楽だったのであろう。だが、責任が私を逃さない。  しかしそれもお終いである。  あの、音が、  *****(判別不能)が這いずり回る音が聞こえる。  扉の向こうに聞こえる。窓の外で聞こえる。足の下で聞こえる。頭 上から聞こえる。私の中で聞こえる。私の血流の中で聞こえる。私の 脳の中で聞こえる。  このテクストに封をした後、やるべきことをやるつもりだ。友人の 研究室から盗んだものが役にたつだろう。  おお、神よ。私にはすでに祈る資格もない。だが、****(判別 不能)を救いたまえ。  壁が崩れた。  私が洞窟壁に寄りかかった時である。いかな力が働いたものか、3 0センチ四方はあろう一つの岩が、洞窟壁より私の右にまろび出た。  壁に穴が空き、冷ややかな、それでいて湿り気を帯びた空気が肌を 撫でる。  私の目は穴をかすめ、岩に吸い付いた。  花崗岩だろうか? くすんだ灰色。排出された岩は丸みを帯び、明 らかな人工物であった。  しゃがみ込み、岩を仔細に点検する。 「おうっ……」  細い声。私の口から驚きの喘ぎがもれる。 「田中! 何やってるの。置いていくわよ!!」  英語でのハスキーな呼び声。マリだ。パリ大学古代宗教学教授マリ ・エフィル。その響き通り、可憐な乙女だった。20年前は。  現在は肥えた豚の風情。  憎しみが沸き上がる。先を越された論文はゴミだ。長い時間が一瞬 で無に帰る。そんなことが2度あり、決裂は決定的なものになった。  まこと理不尽な感情だと思う。その自己嫌悪がまた憎しみを生み出 す。止まることのない悪循環。   一瞬の停滞。喘ぎの後に続く筈の言葉がうち切られた。報告の言葉 が。  ここで、私が岩に見たものを描写しておこう。描かれた五芒星。そ の中心には両端の開いた目のごとき楕円の紋。その楕円のなかに炎の 塔のようなものが刻まれている。  洞窟壁画での、象徴的図形の使用。心臓が嵐に翻弄される。  私たち3カ国6大学の合同調査団はここ数日、仏に点在する洞窟の センサー調査を行っていた。  洞窟壁画を知っているだろうか? ラスコー、ニオー、トロワ・フ レール。旧石器時代の偉大なる宗教芸術。  壁画が描かれている場所――つまり、聖別された場所は辿り着くの が難しい。場合によっては隠された場所にある。見落としがないか、 発見はないか、確認する為の調査であった。  今日の調査最終日、私たちは…………いや、私はついに当たりを引 いたのだ。センサー調査では何も見付からなかった場所。  だが、事実、そこには何かがある。  私の興奮がお分かりだろうか。旧石器時代において、すでに図形レ ベルのシンボル化が行われていた………場合によっては教科書に名が 残る発見である。私の心は躍った。発表は疑惑を呼ぶかもしれないが、 センサー調査で見付からなかった以上、何とでも釈明のしようがある。  ホテルに帰投後、はやる心を抑え付け調査隊解散のパーティに出席 する。気もそぞろに挨拶を交わし、すぐさま酔った振りをして退席し た。  なに、奇妙に思われてもかまうものか。  ホテルを飛び出す。  幹線道路を外れ、GPSを見ながら道無き道を行くこと数分。名も なき洞窟にたどり着く。  漆黒の森の中央にその洞窟はあった。  完全に装備を固め、ランドローバーを降りる。小石を踏む音がいや に大きく響いた。新月の夜。生き物の瞳のような洞窟。  何かが見つめている。そんな原初的恐怖を感じさせる。  ―――ここで引き返せば良かったのだ。私は今、身を焼くような後 悔をしている。だが、現実には私の歩みは止まらない。過去とは何と 残酷なものか。  私はヘッドライトを灯すと発見場所に急ぐ。  洞窟の闇は質が違う。優しさの全くない、光を喰らい尽くす闇。  反響する息づかい。足音。  そして私は大きく息をつく。幻ではなかった。偉大な発見が私の目 前にある。  私は穴の空いた壁面から慎重に岩を取り除いていった。1個1個確 認しながら外していく。  不思議なことに岩は簡単に動いた。1つ2つ3つ………。小2時間 が過ぎるころには、足元には小山と化した岩が積まれ、壁には私が何 とか入れるだけの穴が空いていた。  この時点で私は僅かながら失望していた。取り外した岩には、人為 的痕跡が全く感じられなかった為である。  気力を奮い起こして覗き込む。  深淵。  小石を投げ入れる。耳を澄ますと、随分下のほうから床の存在を示 す音が聞こえた。  どうやら、大きく穿たれた穴になっているらしい。  気はすすまなかったが、マッチを擦って下に落とす。  ぞっとした。気付かずに入れば5メートルは下。同時に期待も膨れ 上がる。何かが照り返す赤光の中にあった。  ザイルを岩に結び下へと降りる。緊張のためか震える手が煩わしい。  漆黒の子宮。そんな言葉が微かに浮んだ。  5分後、私は判別しがたい感情に支配され、聖堂の中央に立ってい た。  そう、そこはまさしく聖堂であった。丸く削られた天井。全面赤黒 い岩で構成されている。一目でそれと分かる祭壇。  だが、私を何よりも魅惑し、捉え、翻弄させたのはその壁画であっ た。  それは祭壇の向こう側、壁一面に描かれていた。  文字。未だ発見されざる、奇妙な感覚を与える文字。  10の10倍の10倍。聖性を示す数、神話の定型表現である10 00を示すであろう記号。  明らかに大地を示すであろう、シンボル。  だが、私を何よりも恐慌に陥れたものは、神。  神の絵であった。  おお、何という禍々しさであろう!  私も、学徒の端くれとして数多、獣形の随伴神や守護神の絵姿を見 てきた。  だが、それは今まで見た総てと根本的に違った。  雲のごとき塊。爛れ、泡立つ体表。体より数多伸びる触肢。黒き蹄。  忌まわしき恐怖。根元的狂気。いかな言葉でも表現しえない、腹が 膨れたその絵姿。  私は恐慌状態に陥った。  痙攣するかのごとく、写真を撮って、撮って、撮りまくった。すで に意識さえ定かでは無い状態。精神の平衡を失った状態。転げ回るよ うに石をリュックに詰める。  何かがいる。  何かが見ている。  後ろにいる。  足をならす音、つぶやく声、床をする音。 「いあ! いあ!」  叫び声、悲鳴。  暗闇に呑まれていく…………。 「田中、大変だね」  ここ1週間の通い詰めで、顔馴染みになった守衛に軽く手を挙げる。  ここは、マサチューセッツ州アーカム、ミスカトニック大学付属図 書館。宗教学関連の書籍について世界1の蔵書量を誇っている。  朝。  いかにして辿り着いたのだろうか? 私は車の中で目覚めた。全身 が痛い。青痣と切り傷に包まれた顔がミラーに映った。  未だ怖気が残っていた。しかし、光の中ではいかに巨大な恐怖と言 えど半減する。  私はパリ大学、知り合いの研究室に急ぎ、分析に入った。  写真の現像、確認。私が困惑したことには、あれほど多数撮った写 真中にあの神――おそらくは地母神――を撮ったものが一枚たりと存 在しなかったことである。まるで、夢を見ていたような気分であった。 だが、私は今でも凶しきあの絵をハッキリと思い出すことが出来る。 それどころか………いや、止めておこう。   そして洞窟から持ち出した岩石の年代測定。  結果は私を大いなる困惑に突き落とした。炭素年代測定法による3 つの資料の9度に渡る測定。岩石に付着していた有機物――人血によ り、約5万年前まで遡ることが分かったのだ。  5万年前に地母神信仰が存在するわけがない。文字が存在するわけ がない。  地母神信仰と農耕は密接な関連がある。大地からの収穫、つまり農 耕の存在がその根底にある筈なのだ。  そして、文字。今までに発見された最古の文字は、エジプト南部。 先王朝時代の遺跡から発見された線刻文字。それでさえ、約5400 年前のものなのだ!  もはや、怪しげな異端にその類似例を探すしかなかった。  そしてもう1つ。苦し紛れに私が思いついたことがある。  <クトゥルー神話体系>を知っているだろうか。H.P.ラヴクラ フトが創案した小説。宇宙的恐怖を扱った作品群たち。  遙か太古<旧神>との戦いに敗れ、惑星に追放され、あるいは地球 奥深くに封印された邪悪な<旧支配者>が復活を目指し、怖るべき戦 いを始める様を書いた一連の恐怖小説。  神話を元にあの恐怖小説が書かれたとしたら? あの忌まわしき絵。 そこに私は山羊の蹄を見た。  <クトゥルー神話体系>にも、邪悪なる地母神が――山羊の蹄を持 つ地母神が――記載されていた筈である。細い糸だ。だが、私に選択 肢が無いことも事実だった。  私はその日のうちにパリ大の研究室を出、米に飛んだ。彼の小説に 何度も言及されるミスカトニック大学付属図書館。私の推理が正しい としたら………彼が未だ発見されざる神話の資料を入手した場所は、 そこしかあり得ない。  そして、今日も手掛かりは見付からない。まるで、何者かが総てを 隠しているように。私は確実に追いつめられていた。  もはや、退路はない。  ここで私は書き記すべきなのであろう。  夜になると、聞こえる。  声が聞こえる。太古からの声が。  私を求めているのが……わかる。始めは幻聴だと思っていた。しか し、毎夜明瞭になっていく。  扉の向こう。近づいてくる。  館員に話しかける。 「未公開の資料を見せていただきたい」 「またあなたか。そんなものは存在しない」  目を背けて館員は言う。私の目は血走っているのだろう。ここ数日、 全く眠っていない。 「あるはずだ、あるはずなんだ!」  私の声は静まった図書館内に響き渡った。周囲の視線が集中する。 「出ていってくれたまえ」  館員の視線が泳ぐと同時に、馴染みの守衛が私の腕を掴む。振り払 おうとした私を止めたのは、守衛が呟いた言葉だった。 「外で」  彼と共に外に出る。  強烈な光に目を細めた。私にとりもはや光も安息の地ではない。闇 への恐怖を倍加させる存在。  と、彼の右手が空気を掴むかのように小さく動く。 そこに私はありったけの紙幣を握らせた。  彼は私の耳元に口を寄せる。 「ロッカールームの窓を開けておきます。私のロッカーを見て下さ い」  夜。紅く染まった月。粉塵が理由と人は言う。  それは嘘だ。  血だ。人血で染まった色。  聖堂全体を染めたあの量、いかほどの人間が犠牲になったのか。  私はロッカールームの窓から館内に侵入した。耳を澄ます。ここ 数日、どこからともなく聞こえるあの音が聞こえないか……。  今は聞こえない。  細く息を吐くと、ロッカーを開けた。  ナンバーが打ち付けられた1つの鍵がぶら下がっている。手を伸 ばし、握りしめる。そして暗闇へと足を踏み出した。  その部屋はすぐに見付かった。ドアに打ち付けられた五芒星の印 には見覚えがある。ルームナンバーを確認、鍵を開ける。  古書の匂い。そこは禁断の知識の王国。  そして私は再び仏にいる。総ての決着をつけるために。  狂えるアラブ人。アブドゥル・アルハザードの示した「ネクロノ ミコン」を読んだ。「隠蔽されしものの書」の凶しき知識に触れた。 「ナコト写本」を「探求の書」を「無名祭祀書」を狂ったごとく求 めた。  ラヴグラフトは真実を書いていたのだ。  今ではその言葉がハッキリと分かる。夜ごと聞こえる祈りの言葉。 「いあ! いあ! しゅぶ=にぐらす! 千匹の山羊を孕みし森の 黒山羊!」  私は贄なのだ。どこかの地に、どこかの次元に存在する太古の邪 神。わずかに開いた扉を大きく開け放つ為の鍵なのだ。  フランスに来てからは幻影が見えるようになった。明瞭な像を結 びえない影のような姿。例えるなら曇り硝子の向こう。  それが近づいてくる。   最後にもう一つだけ語らねばならない。私はマリ・エフィルを殺 した。昨日、彼女が私の部屋を訪問した。その手に仏国立図書館所 蔵の「ネクロノミコン」を持って。  青白い顔をしていた。  昔と変わらぬ顔は、束の間の幻影。 「出てけ!!」  凶暴的なまでの怒りにかられ、彼女を部屋の外に叩き出す。  その瞬間、私は扉の向こうに見た。  シュブ=ニグラスに仕える種族。「ネクロノミコン」において黒 い子山羊と称させる生物。  のたうつ巨大なる塊。一見、樹木状の体。しかし、その醜悪な口、 緑の涎、ロープのごとき腕。  墓場を開いた時のような臭気が鼻につく。  そして私は扉を閉める。  腕を振り払い。その瞬間、私は人である資格を失った。  彼女の口が恐怖の余り異常なほど巨大に開くのが見えた。  彼女は喰われた。  その叫び声を聞いたのは私だけだろう。  彼女がこの話の中でどのような役割を果たしていたのかは、想像 する他ない。  手が……………震える。         フランス地方紙からの抜粋。       *月*日、夜**時頃、***地方の洞窟で小規模な爆      発があった。洞窟内に堆積した何らかのガスが引火したも      のと思われる。この件に関する負傷者はなし。



作品感想 大変良い うん、読めたよ まあまあかな 精進せい ダメダメじゃん

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