吉井和哉
TOUR 2006 〜MY FOOLISH HEART〜

2006.2.28 大阪城ホール
report:えまま

SET LIST
01 TALI 13 FOR ME NOW
02 CALL ME 14 SWEET CANDY RAIN
03 SIDE BY SIDE 15 PHOENIX
04 SADE JOPLIN 16 FINAL COUNTDOWN
05 HATE 17 WHAT TIME
06 FALLIN' FALLIN' 18 BEAUTIFUL
07 BLOWN UP CHILDREN -encore-
08 20 GO en1 HIKARETA
09 欲望 en2 トブヨウニ
10 RAINBOW en3 MY FOOLISH HEART
11 MUDDY WATER -special cover-
12 BLACK COCK'S HORSE en4 バラ色の日々


今日のレポートは、いつもにも増して中立の立場では書いていない。
だから読む人によっては、あるいは反感を買うかもしれないけれど、そうなった場合は「ごめんなさい」。

ツアー最終日の大阪城ホールは、賛否両論だろう。
アンコールのラストで、吉井和哉はTHE YELLOW MONKEYの『バラ色の日々』を歌った。
そもそも、賛否両論であろうということは、言われるまでもなく吉井は―――・・・吉井とエマは、最初から覚悟していただろうし、実際数あるサイトやブログに於いて、一部では非難している人がいるのも事実だ。
敢えて反感を恐れずに私見を述べるなら、そんな非難は無意味だと思う。叩かれて萎れるような生ぬるい覚悟ではできいことだからだ。
結論から言うと、私はこの選択に対して非難の気持ちは一切無い。むしろ「よくやった!」と思っている。


私が大阪城ホールに到着したのは、15:30頃のことだった。
いつもは暖かい大阪だけど、今にも降りそうな空模様の所為もあって、とても寒かったが、既にグッズ販売の列は連なっていて、私もそれに並んだ。武道館と城ホールの限定ポスターは滅茶苦茶カッコよかったけれど、でかいので諦めた(笑)

開場して、ホールに入って、やはりまず「ああ、大阪城ホールなんだ・・・」と噛み締める。
ZEPPとは違う空気感。当然といえば当然。
10分少々押して、客電が落ちた。SEに続き『TALI』からファイナルのライブは始まった。
ステージに現れた黒いシャツ姿の吉井は、やはり髪が随分伸びたこともあって、遠目に見ているととても見慣れた往年の吉井でドキドキする。そしてエマは吉井を含め、全体が黒基調の衣装の中、一人だけアイボリーとベージュの中間くらいの色合いの衣装を着ていて、一番目立った(笑)
(いいけど、私今回2本行って、2本ともエマはあの色合いだった・・・。白い衣装なのにすごく細い!というのは、間近で見たZEPPよりも更に際立ってて可愛かった)
今回はセットリストが1つしかないので、ファイナルともなれば客席ももう次に何が来るか慣れたもの。その所為もあってか、広いホールで、客席の反応もエリアによってばらつきがあった。ライブ開始当初は、アリーナの前のほうは盛り上がっているのだが、私のいた33列目付近はかなり冷静だったような印象がある。イエローモンキーのアリーナツアーでも席が良くなかった時もあったが、それでも会場には最初から一体感があったことを思い、ふと吸引力が落ちているのかと不安になった。
だが、吉井は吉井だ。
フロントマンというのは、歌が上手いだけではいけないと思う。その点、彼は会場の空気を解す手腕に長けているような気がする。MCを挟んで、後ろのほうの席も空気が一変して盛り上がり始めた。

「6年ぶりの大阪城ホールです」
客席から歓声が上がる。吉井はエマのほうを向いて
「アンタも?」
と更に湧かせる。エマがちょっと何か言ってたけど、例によって吉井とエマの間の私語だったので聞き取れず(笑)。
「え?6年?7年?・・・あとで調べときます」
どうやら、エマはそこでつっこんだらしい。相変わらず2人は仲が良い。
そして、「今日はファイナルだから、他と同じことはしない」と言った吉井に期待が高まる。

そのMCで、吉井は「今日はチケットが800枚も余ってしまった」と苦笑交じりに嘆いていた。
―――・・・が、悪いがそれは無理もないと思う。
いや、だが吉井の所為ではないのだ。
企業の決算は3月が多い上、2月は日数が少ない。どこの会社でも四苦八苦している時期である。
その末日の平日となれば、どんなに来たくても来れなかった人が多かっただろう。
自分を引き合いに出して悪いが、2/28といえば仮に体調を崩していても、余程の高熱でも出さない限り、休んだり早退したり残業を蹴ったりできなかった。38度程度の熱なら出勤していたところだ。会社を辞めていなかったら絶対に参加不可能な日付だったのだ。
しかも吉井ももう今年で四十になる。
大多数を占めているTHE YELLOW MONKEY時代からのファンも、それに呼応して、20代後半から40代の、職場や家庭で主戦力の立場にある年齢の人が多い。
そうなれば遠方の人は言うまでもなく、大阪近郊の人でも難しいだろう。
実際、参加していた人たちも、かなりの無理を押して来ていた人が、相当数いるのではないだろうか。
まして、シビアな言い方をすれば、ソロになってからの吉井は余裕でチャート上位常連になるほどのセールスを上げている、売れ線アーティストというわけではない。(これは褒め言葉)
それが、800枚しか余らなかったのだ。800枚と言ってしまえば恐ろしい数字のようだが、城ホールのキャパから考えるとたいしたことはない。この点については、今後主催者側にもっと考慮してもらいたいと思う。それでなくても極端に平日中心のツアースケジュールで、ファンは大変だったんだから!

関係ないことを長々と力説してしまった(苦笑)

ツアーもファイナルとあって、吉井はこのツアーで開発した小ネタやパフォーマンスをふんだんに取り入れていて、各地からの報告を聞いていた中で『FALLIN' FALLIN'』の「名前なんてないぜないぜ、YOSHII-LOVINSON 古臭いね・・・いや古くない、新しい、いや古い!」というくすぐりや、エマのギターソロのときの背後に回ってのお世話(笑)など、「あっ!それ見たかった!」とか「聞きたかった!」と思ったツボをちゃんと押さえていてくれて、しっかりやってくれる。ちゃっかりしてるなぁ、と、そのへんは長年にわたって場数を踏んで成熟したステージパフォーマーの余裕だろう。

始終、吉井はご機嫌だった。

特に大笑いしたのが、『MUDDY WATER』の「ど・れ・が・お・れ・の・は・か・・・」の後の静止部分。
メンバーみんな停止していたが、ふらふらしはじめたエマを筆頭にそれは崩れ、吉井のMCが始まった。
「今日は長いよ」と前置きして客席を沸かせ、「まだまだ風邪が流行ってるから、耳鼻科の先生に聞いた正しい嗽方法を教えよう」とネタが始まった。
わざわざ水の入ったグラスを持ってきて、「こうやって、イナバウアーのように・・・」と、トリノオリンピック直後の時事ネタ混ぜながら水を含んで反り返る。・・・反れてないけど(笑)
一回は失敗したものの、2度目に成功。反れてないけど。
反るといえばエマ反りよね!と思うが、吉井はバーニーを弄った。
「城ホール初めてのバーニーにもやってもらいましょう。バーニーには特別なものを用意してある」
と、スタッフに買ってきてもらった1升瓶を突きつける・・・。月桂冠らしい。
可哀想に、バーニーは吉井にリテイクされまくり、三度も日本酒で嗽させられることに・・・。しかもバーニーは嗽というより単に上を向いて飲んでいた(笑)
「イナバウアー・・・イナバウアー・・・ば!」と、急激に演奏に戻る。場内にはまだ笑いの余韻があったが、追い討ちがきた。
次の『BLACK COCK'S HORSE』で、バーニーが酔ってしまったらしく、激しい弾き間違い。これには吉井も笑っていた。勿論エマも、客席も笑った。・・・吉井が悪いよ(笑)

このあたりになると、もう開演当初の冷静さは後ろのほうの席にも無い。笑い、踊り、歌い、すっかり一体感が支配している。
『FINALCOUNTDOWN』では、「WOO WANNA DAY TOMORROW」を客席に歌わせ、「せっかくだから!」と、期待通りエマに駆け寄った。一つのマイクで頬を寄せ合って歌ってたエマの歌声は、私は初めて聴いたが、思っていたより綺麗な声だった。密着具合は今にもキスせんばかりだった。仲良し。

武道館と城ホールでは、ステージ上に大きなハート型のオブジェが吊ってあった。
ライティングでさまざまに色を変え、陰影を帯びるのだが、『BEAUTIFUL』の途中で赤いライトがハートを照らし、銀色だったステージ背景の幕が開かれ、背景も美しい赤になった。
こういう演出は、YOSHII-LOVINSONでは考えられなかっただろう。

本編が終わり、アンコール。
『HIKARETA』は各地から聞いていたとおり、やっぱり「ひかれた〜」「君が認めた〜」などのところはエマを指差していた。ごちそうさまです。

そして、武道館に続き『トブヨウニ』。今日もやるかな?いやいや、武道館だけかな?などと思っていたから、やってくれてとても嬉しかった。この曲はやはり外せない。最初のMCで言ってた「各地とは違うことっていうのはコレなんだな」と、やや予定調和気味な興奮ではあったが嬉しかった。・・・このとき、まだ吉井の言ったことをその程度だと認識していた私が甘かった。

このツアーのラスト曲として演奏されてきた、『MY FOOLISH HEART』が美しく終わった。
だが、メンバーがステージを去らない。『MY FOOLISH HEART』ではエマはアコギなのだが、そこでギターチェンジが入った。
まさか、もう一曲やってくれるのか?と喜んでいたら、吉井が「カバーやろうか」と言った。
・・・私はこの「カバーやろうか」は、実は聞き取れていなかった。聞いていたらそこで察しがついたかもしれないが、「ん?今、何て言ったの?」と思っている間に、キーボードのイントロが始まった。
昔とは変えてあったので耳慣れない旋律。「これなんだ?」と思っていると、おもむろにマイクに向かった吉井が朗々と
「追いかけても 追いかけても・・・」
と、歌いだした。

その瞬間、会場が爆発したと思った。

それは歓声の大きさもさることながら、既にそういう問題ではない。あの場にいた群衆の、さまざまな想いが噴出したのだ。
言いたいことを言わずに溜め込んでいて、喧嘩したときや嬉しかったときなどに一気に吐き出す経験は、誰でもしたことがあると思う。
まさに、そういう想いの噴出が、歓声と共に空気になって、大阪城ホールが激震した。
あのときの光景を、なんと表現すればいいだろう?
ライブで泣く、というのはあるといえばあるが、物凄い人数が一曲で嗚咽するのを目の当たりにする機会は滅多にない。イエローモンキーのラストライブは「休止」の前だったし、メカラ15はフィルムライブのあとの『JAM』一曲で、しかも尻切れトンボな感じで終わっているので、群集の嗚咽の大きさはその2公演の比ではなかった。
さっきまで会場は充分一体感に包まれていたと思っていたが、このときの興奮はそれどころではない。
もはや、身体は思考の必要なく勝手にうごく。馴染んだリズムを刻む。
私も涙が噴き上げてきて、聞きながら、休止前後からの数年間が走馬灯のように巡った。
多分、そういう人が沢山いただろう。

あのとき、ステージで2人は『THE YELLOW MONKEYの吉井』と、『THE YELLOW MONKEYのEMMA』の顔をしていた。

ことにエマは、名古屋のレポでも書いたとおり、他の曲でも前回のツアーより格段にステージングも曲への陶酔も深まっていたが、『バラ色の日々』の時はまた別格である(当然といえば当然だが)。
水を得た魚のように思う様演奏する姿は、ファンが本当にずっと見たかった姿だったし、恐らく吉井にとってもそうだろう。
そしてその吉井もまた、同じように水を得た魚と化していた。
クリエイターにとって、作った作品は我が子そのものである。
さまざまな事情や想いの中、その子供たちを封印せざるを得なかったという苦しい呪縛から脱却した象徴か、「長い鎖に繋がれても」という歌詞は「引きちぎっても」に変えられていた。
自然に解き放たれたのではない。きっと、自ら呪縛を断ったのだろうと憶測する。

昔の通り、ラストのフレーズを三度繰り返すアレンジの余韻を客席に色濃く残し、メンバーはステージを去った。
いつもはさっと片手を上げて帰って行くエマは、吉井たちが板を降りた後、センターに残って深々と一礼した。

ステージと客席と、簡単な一言では表現しきれない、お互いの複雑な胸中を言葉もなく繋ぐ、美しい仕草だったと感じた。

終演後、例をみないほど、そのまま客席にへたり込む姿が目立った。
見る人見る人が、目を真っ赤にしていた。

つまりは、そういうことだ。



終わってしまいました、『MY FOOLISH HEART 2006』
本当に余韻の残る、ネタの尽きない(笑)、見事なツアーでした。
賛否両論に関しては本文でも書いたけど、そもそも吉井とエマだから風当たりが強い、というのもあると思う。そもそもあの2人が活動を共にしてること自体にしつこく賛否両論ありますからね。
だってヒーセのライブのときに『赤裸々GO GO GO』があったときは、別にそんな激しくなかったもんね。
でもねぇ、やっぱ吉井とエマは一緒にやるべきですよ。今回のツアーは前にも増してそう思った。
呼吸が合ってるもの。人生なんか長いようで短いんだから、呼吸の合う人はお互いに大事にするべき。
――――・・・って、すごくこのレポはクソ生意気に語ってしまったから、「え?でもウラネコなのにこんな?」と思う方もいるでしょう。
ええ、ええ。空気が粗雑になるから、ここに混ぜなかっただけです。
はい、勿論ご用意しておりますよ、ここからはロビエマレポです。


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