-BEAUTIFUL-



食事が終わると、いつもの習慣でポケットから煙草を取り出す。
今読み始めたばかりの雑誌から目を離さないまま、手を伸ばしてロー・チェストの上の灰皿を取った。
TVの雑音が気になるから、消してしまおう。
机の上のリモコンを取る。
視線は雑誌のまま。

キッチンの水音が止まった。
それを合図に、ふとした違和感が襲ってきた。

視線を上げて、部屋を見回す。
ここは、俺んちじゃない。
エマの部屋だ。

なのに、いつの間にか、何処に何が置いてあるのか、見なくても判るようになってる。

山奥に引っ越した俺だったけど、やっぱりこの首都圏中心の日本では、また一線に戻る覚悟のミュージシャンとして活動するのには如何にも支障があり、すこし前に東京に仕事場兼仮住まいを構えた。
仕事の絡みもあって、その所為でエマと2人で夕食を外で済ませたりする機会が増えて、やがて一緒に行動してない日でも、どっちかの部屋で食べるようになった。

その所為で、ここ最近の日常に、エマがいることが当たり前になってる。
昔みたいに。
いや、昔以上に。



皿を洗ってたエマが、コップに入れた水と、錠剤を手にリビングに戻ってきた。

「どうしたの?頭痛いの?」
「ちょっとね。肩が凝ってるからかも」
「揉んであげようか?」
「いいよ。吉井の肩が凝っちゃうよ」
「遠慮しなくてもいいのに」
「・・・・・・素人に揉んでもらうと、揉み返しが来るんだよ」

眉を顰めて、プチっと錠剤をシートから取り出すエマは、今は不調を隠さない。
自宅なんだから当たり前と言えば当たり前なんだけど。

だけど、知り合ってからもう20年近くの歳月が経過して、やっとその素のままのエマを、最近初めて見るようになった気がする。
こんなにプライベートなエリアに入り浸るようになったのは、最近の出来事だからだと気付いた。

「煙草、ベランダで吸うわ」
「いいよ。大丈夫。慣れてるから」
「そう?」
「まだ蚊が来るよ、外じゃ」
「うん」

それじゃ遠慮なく。
9月。
秋がすぐそこまできてる。

「あのさ、俺が言うのも何だけど、根詰めすぎじゃないの?」
「・・・・・・・・・まだだから」
「え?」
「まだ、違うんだよ。思ってる音と」

錠剤を飲み下して、半分水が残ったグラスを机に置き、ぱたっとエマがソファに横になった。
俺は床からそこに凭れかかって雑誌を閉じる。

「もうちょっと待って」

言いながら目を閉じたエマは、最近の彼の出す音で、まるで命を削ってるように見える。

可哀想に。

ふと、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
次のシングルでは弾きたくないと言い出したエマの、そこにある深い憔悴が見て取れる。
同じように深みに嵌ることが多い俺には、今のエマの苦痛が自分のことのようによく判るから。

中腰で、ソファに座りたい仕草を見せたら、エマはずり下がって俺のぶんのスペースを空けてくれた。
エマの頭の横に腰を降ろして、黙ったままのエマの髪を撫でてやる。

「・・・なに?」
「ううん」

この行動は、ヘンか?

――――・・・変かな、やっぱり。

すこし苦笑が込み上げた。
なんだか最近、エマを見てると、こうして理屈のない安堵を与えてあげたくなる。
なんでもいい。俺ができる、そういうことを。

答えになってない答えに、だけどそれ以上は聞き返すこともなく、気持ちよさそうに再び目を閉じたエマに、きゅっと心臓が握られるような疼きを感じることもあって、その感覚はとても恋に似ている。

恋・・・って。

なんだそれ、ってそんなこと考える、自分がちょっと可笑しい。
以前はステージで散々「恋人だ」とか吹聴してみたり、キスしまくったりしてたけど、現実問題、本当にそういう関係な訳ないじゃない。
エマのことは大好きだし、擬似恋愛みたいな芝居を楽しんだりもしたのは事実だけど。
まぁ、だからこそ、どっか感覚の上で友達の域をちょっと出ちゃってる部分は否定しないけどね。

って、そんなことを考えてること自体が変だ。

でも―――――・・・なんでだろ?
そういう思考が、今は顔に出ない。
ただ黙ってエマの髪を撫でてやっている。


「なんか、喉乾く」
ぽつんとエマが言った。

「水、もっと飲む?」
「うん」

起き上がったエマにさっきのグラスを差し出すと、また眉を顰めながらエマはそれを飲み干した。

「もっと」
「熱でもあんのかな?触ってた感じじゃそんなことないけど」
「んー・・・。熱っぽくはないけど」
「じゃあ、疲れてるだけかな。食欲もあったしね」

言いながら俺はグラスを取り上げ、キッチンに水を汲みに行った。


傍らの棚に、きちんと洗われた皿が2枚。
茶碗がふたつ。
箸も二組。
ビールの空き缶もふたつ。
そうだ。
俺の部屋にも、昨日洗った同じ数の食器が並んでる。


ああ、ほらまた。
違和感。

東京滞在の間の、一時的な日常だと判ってるのに、どっかでこれがずっと続けばいいと思ってる俺への。
何だろう?この気持ちは。


レバーを下げたら、蛇口から勢いよく水が流れ出した。
レバーを上げたら、水はグラスの形になった。
だけどゆらゆらと揺れてる。
手を離してこのまま落としたら、グラスと一緒に水もその形を変えるんだ。

それが普通。
飲むためには、グラスを離してはいけない。
判ってるけど、本当は自由なのに、グラスの形に固定されてる水が、いつも少しだけ可哀想。

グラスを壊さないで、水を自由にしてやるにはどうすればいい?


「吉井、俺、もうカラカラ」

リビングで喚く声が聞こえたので、俺はつまらない思考を中断してエマのもとへ急いだ。

グラスはもう、外側までびしょ濡れになってた。



end



106.光に続く

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