-BEAUTIFUL-
誰?



指先をほんの少し動かすのも気だるい。
部屋に帰るなり、ソファに置きっぱなしの新聞やスコアを払い退けて、ぐったりと倒れこんだ。

どんなことにでも、オーバーワークがいい結果を生み出すことは無いと知っているのに、このところ、もう取り憑かれたようになってしまってる。

何に取り憑かれてるのか。
それが最近見えてきた。

THE YELLOW MONKEY時代の『EMMA』だ。

この間のステージに立つまでは、その亡霊はもう追い祓うつもりでいた。
同じことの繰り返しでは、環境が変わった意味が無いから、と。
だけど。
あのステージで『EMMA』が持つ、本人を超えた魔力を、まざまざと見せ付けられてしまった。

このことは、むしろ俺自身よりもファンの子たちのほうが正確に捉えていたんだと思う。
俺にとって『EMMA』は自分以外の何者でもなく、腹が減ったら飯を食って、苛立ったら八つ当たりをし、気楽な一人暮らしでトイレに新聞持って入ったりもすることがある現実に他ならない。
だけど、ファンの子達にとっては違う。
ステージで思う様陶酔して、どこまでも自由に自分の音を表現する、リードギタリストなんだ。
俺はサポートだから、と、『EMMA』は殺さなきゃいけないと思っていた。
これからは今までと違う、と。
だけど・・・夏に久しぶりにステージから見たファンの子達の情熱。
俺に対する歓声は、悪いけど他のサポメンとは一線を画し、場合によっては吉井へのそれさえも凌駕してしまうことさえあった。

―――『EMMA』は、殺してはいけない。

そのときに感じ、認識を改めたこと。
ただ、だからといって、『EMMA』でありすぎてはいけない。
それは、YOSHII LOVINSONの音とは違ってしまう。

どうすればいい?
どうしたらいい?
俺は一体、『EMMA』でありたいのか、『菊地英昭』でありたいのか。

俺は誰だろう?
どっちに転ぶべきなんだろう?

いっそ吉井から離れてみようかと思った。
もっと違う誰かの後ろで弾いたら答えが見つかるかと思った。

・・・でも、実行する前に気付いた。
それは結局同じこと。
誰の後ろで弾いたって、俺自身がTHE YELLOW MONKEYのEMMAという過去を持つ以上、どこまで逃げてもついてくる。
それに。
やっぱり俺にとって、吉井以上のヴォーカリストは考えられない。
どこでも弾けるだろうけど、一番弾きたいのは吉井の音楽なんだ。
それが偽らざる本音である以上、俺には最も過酷な結論しか残されない。

吉井の隣で、『EMMA』に打ち勝つ。『EMMA』を殺さないまま、勝負する。

それは吐き気がするほど苦しい道程だ。
実際、逃げてしまいたい。

解散の時、吉井が雑誌で「エマを連れて行って、一緒に苦汁を舐めてもらおうと思う」と言った意味が、今になって痛いほど突き刺さってきていた。

そんなジレンマがオーバーワークに駆り立ててる。

俺はいつまで足掻くのかな。
何日たっても出口が見つからない。
そんな俺を、吉井はいつまで気長に待っててくれるだろう?

吉井の目つきが、いつか俺に対する絶望に変わったら――――・・・俺、死んじゃうかもしんないな・・・。


そう思いついたら、涙が出てきた。
涙でぼやけた俺の部屋はぐちゃぐちゃ。
ほんの数週間前まで、吉井が入り浸ってた間はそれなりに片付いていたのに、今はもう酷い有様。
俺の心の中と一緒。

隣で吉井が笑ってたら、苦しいなりにもどっか落ち着いた。
だってそこに、『まだ大丈夫』という確認の術があったから。
でも今度のシングルへの参加を断ったことにより、吉井は今回きちんと他のギタリストと組んだ。
当たり前だけど、それも怖い。
「もうエマはいいや」って思われる日が近づいたんじゃないかと思って怖い。

そして今、吉井はここにいない。

「・・・怖い」

口に出して呟いた。
その声を、自分の耳で聞くと、もう止まらない。

「・・・怖い、怖いよ・・・」

ドカッと音がして、俺の脚がソファから落ちる。
誰も見てない。
声を上げて泣こう。

「怖いよ・・・」

嗚咽が止まらない。




「吉井・・・」



泣き声に、吉井の名前が混じって、俺はびくっとした。

待て。
目を逸らすな。
怖いのは。

何?


怖いのは。


誰?



ぼたぼたと床に涙を散乱させて、その結論に戸惑う俺の耳に、不意にチャイムの音が飛び込んできた。




end



109.クチビルノスルコトハ(BEAUTIFUL完結編)に続く

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