-BEAUTIFUL- クチビルノスルコトハ |
ノブを握ったら、既に鍵は開いている。 これはいつものことだ。 オートロックだけ解除したら、あとはエマは玄関を開けて、もう好きなことをしている。 そこに俺は勝手に入っていく。 だけど・・・流石に今日は驚いた。 リビングに足を踏み入れた途端、いやに散乱した室内を見回して。 ビールの空き缶とか、寝室から持ってきたらしい毛布とか、3週間ぶんの新聞とか、スコア、雑誌、コンビニの袋、スペア弦、携帯の充電器・・・。 色んなものが散らばってる。 もともと掃除は得意じゃないってことは知ってたけど、ここまでなってることは滅多にない。 その中で、エマは俺に背を向けて、床にぼんやりと座っていた。 「どうしちゃったの、コレ」 とりあえず新聞の類を適当に纏めながら話しかける。 「別に。めんどかっただけ」 どうやら随分機嫌が悪そうだ。 「こっちに戻るの、明後日じゃなかったっけ?」 「その予定だったんだけどね、打ち合わせが入ったから」 「・・・・・・・・・」 その上、問いかけてきておいて返事をしない。 流石に不審に思って、エマの隣に回りこむ。 「エマ?」 隣に座って顔を覗きこんで、驚いた。 「泣いてたの?」 「―――――・・・見んな」 慌ててエマは立ち上がり、キッチンに行く。 冷蔵庫からビールを2本取り出して、1本を俺に差し出し、自分はソファに座った。 「メシ、無いから、それで我慢しといて」 「いや、メシなんていいけど・・・」 別にご飯が食べたくて来たわけじゃない。 「じゃあ、何しに来たんだよ」 エマはどこまでも機嫌が悪い。 ・・・っていうか、深く傷ついてるような顔をしている。 俺は、シングルの入ったCD-ROMを取り出せるような気配でもないことを察し、何も言わずにエマの隣に移動した。 ほんの少しの間で・・・随分痩せちゃったな。 そう思うと、なんだか心臓がきゅっと掴まれたような気分になって、俺は思わず指先を伸ばして、エマの涙の跡を拭った。 エマが驚いて目を瞠る。 「・・・なに、してんの・・・」 「さあ?何だろ?」 訊かれても、俺にも判らない。 ただ、そうしてあげたいと思っただけだ。 苦笑しながらビールを開けたら、エマも同じように自分の缶を開けた。 暫く2人で黙って飲んだ。 時計の秒針の音だけが、部屋の中で響く。 この部屋に入り浸るようになって何ヶ月も経つのに、こんなに静かに2人して沈黙してるのは初めてだった。 やがて、缶の中身が半分くらいに減った頃、やっとエマが口を開いた。 「どうだった?上手く行った?」 「え?」 「新曲」 「・・・うん。上手く行ったよ、とても」 正直にそう告げると、やっとエマは微笑した。 だけど、俺はその微笑の奥にある本音を見逃さない。 ・・・やっぱりだ。 思った通り。 その所為で荒れてたんだね。 気付いたから、俺はやっとCD-ROMを取り出し、デッキにセットした。 エマは慌てて制する。 「吉井、悪いけど俺、今・・・」 「いいから。黙って聴いて」 イントロが静かに流れ出した。 エマは痛いのを我慢するような顔をして聞いていた。 俺の声が混じる。 『草原で揺れている小さな花 僕たちの純粋な愛に咲いた 波打って遠くまでつづいていた 雨が降り風が吹き育っていった 公園で散歩もいいじゃないか 簡単な格好でいいじゃないか コンビ二の菓子パンでいいじゃないか 永遠の太陽に照らされた 君の横顔は BEAUTIFUL 髪を撫でて 手を握って 目を閉じて 小さな祈り知って I WANT A HAPPY NEW DAY AND A BEAUTIFUL DAY WANT A GOOD FEELING DAY 惑わされずに寄り添っていて 公園の噴水は何時までか? 僕たちがそれを知ったって意味ないか 人類の愛情は元気か?とか 結局人間は一人かとか わからないほうが BEAUTIFUL 愛とはなぜか きびしくて 苦しいって 恋との違い知って 草原はたまに土砂降り 光見失うけど 雲はかならず いつか切れてく 髪を撫でて 手を握って 目を閉じて 静かな願い知って I WANT A HAPPY NEW DAY AND A BEAUTIFUL DAY WANT A GOOD FEELING DAY 惑わされずに寄り添っていて 微笑む日まで TODAY, IT'S A BEAUTIFUL DAY』 歌詞が進むにつれ、エマの顔が驚いたような色を帯びていく。 最後の音が消える。 「なんかね、この曲、エマは弾いてないのに、フィーリングを感じるでしょ?」 くどくどは説明しない。 そんなことしなくても、言いたいことは伝わった筈。 果たしてエマは、俺の言葉を正確に捉えた様子で目を伏せ、戸惑いに抵抗するように 「・・・日記?」 とか、可愛くないことを言った。 「はは、日記って。何だよ、いい歌詞書いたのに」 「だって・・・コンビニで菓子パン買って公園で食べた覚えが。・・・吉井が」 「あら、まだ根に持ってるの?」 「食い物の恨みだから」 「あんたはヒーセか」 そう言って笑うと、エマもやっと泣き笑いの顔になった。 その顔は、色んな深みが出たぶん、やっぱり昔よりも綺麗で。 手を伸ばして、エマの髪に触れる。 そっと撫でて、そのまま抱き寄せた。 ・・・あれ?俺、何をしてるんだろう? ふとそんな疑問は浮かんだけど、俺の口は勝手に言葉を紡ぐ。 「・・・日記・・・って思ってもらっても、いいかな」 「え?」 戸惑ったエマの声は、きっと。 転機の前の、最後の声。 俺の唇が、エマの唇に触れた。 |
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