僕、根岸孝旨は、長いキャリアで、業界でもある程度の立場を得ていることは自負していた。
我ながら百戦錬磨だと思っていたし、正直、YOSHII-LOVINSONのファーストツアーに参加することが決まっても、そのときは「うんうん、楽しそう」というような気持ちで余裕風を吹かせていた。
僕はロックには『華』と『毒』が不可欠だと思っている。吉井和哉はその両方を持っている男だと聞いていたから、単純に楽しみにしていた。

そんな具合で、吉井和哉という、あれほどの大きなライブバンドを率いていた人物のサポートであれば、お互い楽しんで演れるとばかり思っていたから、リハーサルを合宿でやると聞いてまず驚いた。
まさかそんな、若造の新人バンドみたいなことが今更必要だとは思ってもいなかったんだ。
サポートミュージシャンというのは、固定のバンドとは違って、それぞれに他の仕事も抱えている。
サポートも大事な仕事ではあるけれど、僕や、ドラムの金子くんのように主体のバンドが他にある人間にとっては、優先順位では2番目にならざるを得ない。おかげで倍忙しくなるスケジュールを思うと、ここまで縛るのは如何なもんかと思った。
そこへ更に、イエローモンキー時代からの花形ギタリスト、エマまでも参加するのだと聞いて、意外と吉井という男は甘ちゃんなのかと、若干の軽侮を感じたことは否定しない。

だけど。
僕のそういう認識は間違っていたらしい。
合宿初日で、自分が受けたのが、予想を遥かに超える大変な仕事だったと知って戦慄することになった。


初日。
僕とバーニーと金子くん、そしてエマが先にスタジオに揃った。
それぞれに面識のある同士だったから、今更くどくどしい自己紹介は要らず、主役の登場を待つ。

その数分の間に、僕はまずエマに対する認識を改めた。

同じバンドのメンバーとして、長い間吉井と活動を共にしていたエマは、当然ながらその場に馴染みのスタッフも多い。サポートとはいえ、彼だけがゼロからのスタートではないのだ。
この世界では、異常なほどにプライドが高い人間が珍しくない。
音楽において高いのは評価するべきことだけれど、残念ながらそうではなく、自分の地位に固執する奴は掃いて捨てるほどいるものだ。
しかもスタジオミュージシャンと違って、若い頃からアイドルなみにキャーキャー言われるのを当然としてきた、所謂大手バンドの花形は、もはや天狗になっていて当たり前だ。だから僕は実は、そういうことでトラブルがあった場合の、年長者としての対処の仕方まで考えていたほどだった。

だから、緊張しきった面持ちで早速ギターを抱えてコードをさらってるエマの佇まいは意外だった。

僕はちょっとした探りを入れる気持ちで
「僕も結構緊張してるんだよ。これからヨロシクね」
と笑いかけてみた。
するとエマは、ふ、と表情を崩し
「こちらこそ」
と、にっこり笑った。
その笑顔は本当に邪心がなくて、・・・・妙な例えだけど、知らないところにつれてこられて怯えてる、まだ人見知りする年齢子供が、優しく話しかけてくれる人を見つけて嬉しそうに笑ったみたいに見えた。

・・・なんか、思ってたのと・・・違うかも・・・。

それまで、吉井やヒーセと面識があるとはいえ、エマとはそれほど話したりしたことは無かった。
吉井とヒーセと三人で話したとき、頻繁に「エマ」の王子様っぷりの話が出ていたこともあり、僕はエマに関しては、それまで勝手に鼻持ちならない我侭男を想像していたんだ。

思いがけないエマの印象に、思わずにこにこと笑いながら見つめてしまっていた。エマは多分、なんで見られているのか判らないのだろう。困ったような顔で、それでもにこにこ笑う。

そんな時間が数秒あった。
吉井が
「お待たせしました。どうぞよろしくお願い・・・・」
と言いながらスタジオに入ってきたときも、まだ僕たちは顔を見合わせながら互いににこにこしていた。
不意に吉井の言葉が途切れ、僕は慌ててフロントマンに視線を移し・・・・・・・・・。
その表情に肝が冷えた。

恐ろしいほど剣呑な目つきで、ギッと睨まれていたからだ。
そしてその視線は次にエマにも向けられる。
エマは小さく
「ゴメン」
と言って肩をすくめた。

それで、僕はこの仕事の大変さを思い知ったのだ。
吉井が睨んだのは、きっと初日のリハーサルを目前にして、フロントマンの話も聞かずに視線を逸らしていたからだろう。
彼は、こと音楽に向かうと、こうまで厳しい男になるのかと、まるで体育会系のような厳しさに、幾許か辟易すると同時に、清々しい好感を持った。

とはいえ、最初の音あわせの間は、とてつもない緊張感が支配していて肩が凝った。
「1時間ほど休憩しようか」
という吉井の提案がどれほど嬉しかったことか。こんなに気の張るリハーサルは久々だった。
休憩は、スタジオで継続してぼけっとしているだけでは休まらない。
吉井は別の部屋に休みに行ったようだ。
最年少の金子くんは早速廊下で携帯を片手にしている。・・・いやぁ、若いね。
ふとエマを捜したが、そのへんにはいない。彼もまたどこかで休んでいるのだろう。
僕は缶コーヒーを片手に、煙草を吸ってるバーニーと話した。
彼は僕と同じような年齢でもあり、メンバー間でも醸す雰囲気が近いこともあってすぐに馴染んだ。
「中々厳しいね」
と僕が言うと、
「そうだな。吉井くんも、やっぱり相当悩んでるんだと思うよ」
と返してきた。
「バンドはバンド、ソロはソロ、って区別しようとしてるんだろうね。彼は年の割にはまだ若いから」
そういう意見は、やはり同じように熟練した立場の人間同士だからこそ通じる。
更にバーニーは分析した。
「菊地も、自分のポジションをどう取るべきかで悩んでる様子だね。いや、菊地と吉井、2人ともだな。吉井、本当は菊地にリードをもっと振りたいんだと思うけど、敢えてそうしてないような気がするな」
だが、その分析は最初、バーニーの謙虚な視点から出ているのだと思った。
「そうかな?それは2人の特性に合わせてるんじゃない?テクで比べたら、バーニーのほうが上っていう気がするんだけど、僕は」
「いや、そういうことじゃないと思うよ。ほら、僕もテクで負けてるとは微塵も思わないけど、むしろ吉井とエマはフィーリングだよ。吉井の声とエマの音は、両方重なって歌になるんだな。あれはね、もう相性の問題」
そう言われると、そうかもしれない。
まだリハも始まったばかりだから何とも言えないけど、確かにもっと思いっきりやればいいのに、と、エマに対して思う部分もあった。

そのうち休憩が終わり、エマがスタジオに戻ってくると、程なく吉井も戻ってきた。
もしかしたら、2人は2人で話していたのかもしれない。
最初の厳しさとは雰囲気を変えて、今度は随分リラックスした、いいフィーリングが生まれた。


リハーサルは順調に進み、音も随分まとまってきた。
だからこそ、3日目に新しい心配要素が、僕とバーニーと金子くんの3人の間で持ち上がり始めた。
「ステージングの研究はいいんすかね」
言い出したのは金子くんだった。
そう言われてみれば、僕はイエローモンキーのライブを見たことがない。
確認すると3人ともそうらしく、急激に心配になってきたのだ。
なんせ、今度のツアーは、数あるライブの中でも最もやりにくい、『バンドが解散した後の、ヴォーカリストの初めてのソロツアー』だ。しかも、解散したバンドからギタリストを伴っている。感情を抜きに冷静な視点で言えば、それは厳密に言えば『ソロ』というカテゴリーでは括りきれない。当然ながら客は殆どがイエローモンキーのファンで、吉井とエマには、往年のステージングを期待してくるだろう。
吉井はどうやら依怙地に、ソロとバンドの区別をつけようとしているが、恐らくステージでそういう期待を目の当たりにしたら、応えてやりたくなるであろうキャラクターだということは、合宿中に知った彼の人となりで察しがついた。
そして、同じだけの不可が、サポート仲間であるエマにもかかることは、子供にでも予測できる事態だ。
僕たちは、事実上、吉井とエマ、2人のサポートをすると思っておいたほうがいい。
そして客の反応を見て、吉井がリハーサルで醸している雰囲気とステージングを変えた場合、菊地は吉井の癖も何もかも熟知している訳だからすぐに合わせることができるが、僕たちはなかなかそうはいかない。それだけに温度差は歴然とする。それぞれがサポートを経験しているから、そういうのが1本のライブの・・・ひいてはツアーの致命傷になりがちなことを知っている。
ステージングにはそれぞれ癖があり、いいサポートをするには、それを知っておくのは不可欠だ。
それには過去のステージ映像を見ておくのが一番なんだけど、彼らはまだ大事なバンドを解散して1年も経っていないという事情があるだけに、ちょっとなかなか言い出せなかった。

だが、どんなに悩んでも答えは一つ。
僕たちは2人には告げず、3人きりでビデオ鑑賞をしようと、こっそり画策した。
エマにまで気を遣うのは立場の違いとかそういう嫌らしい感情ではなく、彼があまりにもいい子だから、僕たちはどうも彼に嫌な思いをさせたくなくなってしまうからだ。
エマには、そういう珍しい特性があった。

夜は常に酒盛りが繰り広げられる。
合宿の醍醐味といえば醍醐味だ。
ソロアーティストとしての経験がない吉井は、やはりバンドメンバーというものに結束を期待するんだろう。
絆を深める為か、宴会は大抵スタッフ抜きでメンバーだけになった。
酔っ払っては冗談を言い合い、そういう場では吉井も子供のようにはしゃぐ。
長い付き合いからか、酔ってくると吉井はエマに甘えようとする。自分から僕たちに振った被虐に大げさに嘆き、慰めてもらおうとエマに抱きついてみたりしては、軽くあしらわれて拗ねたりしてみせて。
一方、エマはそういうときも若干控えめだ。いや、はしゃぐのだが、むしろ僕たちのとコミュニケーションを重視し、吉井とは敢えて距離を置こうとしている。
そこまで気を遣わなくてもいいのに・・・と、僕は思うようになっていた。
彼らが本当はすごく仲がいいのだろうというのは容易に察しがついており、本当はエマも吉井とじゃれたいような顔をしている。恐らく、自分とフロントマンの関係性を誇示しないことで僕たちの間を円滑にしようとしているのだろうが、それは傍目にも徒労だ。
何しろ、吉井がむしろエマとの絆を誇示するのだから。
聞いていたキャラクターとは真逆のエマの振る舞いに、僕はますます好感を持ち、少しでもリラックスさせてあげようとじゃれかかったりもしてみた。
まぁ、そうすると吉井の反応が面白いのだ。
ムキになってエマの隣の座を死守しようとしたり、僕をなんとかエマから遠ざけようとしたり・・・むしろ、その遣り取りに共に興じることで、メンバー間に急速に隔たりがなくなったと言ってもいい。

その夜は、僕たちは吉井の部屋で飲んでいたのだが、DVD鑑賞会という目論見があったので、徹底的に吉井とエマに飲ませることにした。
量でいえば、吉井は僕たちの倍近くを飲まされ、やがて同じように程よく酔っているエマの膝を枕に眠ってしまった。
身動きできないエマを吉井の部屋に残し、
「ここで騒いでたら眠れないだろうから、僕たちももう寝るよ」
と、退席した。
エマは
「あ、じゃあ、俺も・・・」
と言いかけたが、なんせ吉井がエマの足首を掴んで離さない。
「悪いけど、介抱してやってくれる?」
バーニーがそういう言い方でエマを留めたから、エマはそれ以上逆らえずに、大人しく頷いた。
それはエマについてこられたら困るという意味とは別に、僕たちの配慮でもある。
積もる話もあるだろうに、僕たちに遠慮して2人だけでいることが殆ど無い彼らにも、僕たちとの間とはまた別のコミュニケーションが必要だと、常々思っていたからだ。


そのときの気持ちは、本当に他意のない、純粋に親切心だった。
彼らは長年を共にしてきたのだから、という、大人の配慮。
だが実は、その行為にはもっと重大な意味があって、翌日吉井にものすごく大きなリアクションで感謝されることになるのだが、そのときはまだ、そんなことは思ってもみなかった。




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