本当言うと、今日は絡みたくない。
足元フラフラ、動くのさえ辛いのに、もしも吉井がいつもみたいにしつこく絡んできたら、苛立って引っ掻いてしまうかもしれない。
どうせ吉井は手加減なんかしてくれない。
ヒーセがセットリスト変えようって言ったときも、そりゃ俺は「できる」っつったし、変えてくれなくてありがたかったけど、
「エマできるっつってんだし、いいんじゃない?」
って言い方は、なんかちょっと怖かった。
怒ってんのかな。
怒ってるだろうな、そりゃ。
ライブんときに熱出してフラフラなんて、自分でもプロとしてどうかと思うし。
どうやらスポーツドリンクを手配してくれたのも吉井みたいだけど、嬉しかった反面、そこまでヤバそうなのかなってビクついた。
どうしよう。
俺、なんかミスしたかな。
したかもしんない。
わかんない。
ああ、吉井がまたこっち見てる。
見てる、と思ったら近付いてきた。
俺は我に返って今何を弾いてるのか認識した。
そうか。
もうカラミの時間だ。
嫌だ。
嫌だ。
触れたくない。
吉井が足元に蹲った。
今日ばかりは、マイクスクラッチのノイズも耳障り。
はやくやめて、頭が痛い。
願いが通じたのか、吉井はすぐに立ち上がった。
そしてすぐさま抱き寄せられる。
吉井の体温がいつもより冷たい。
俺はそのままぐたっと身体を預けそうになるのを堪えるのに必死だった。
不意に離されてバランスを崩しそうになる。
いけない、もうそんなに長いこと凭れてたっけ?
慌てて体勢を戻したら、また目の前が暗くなった。
あれ?
吉井が戻ってきてる。
顔が近付いてきた。
いけない!
「吉井、今日はキスは・・・・」
言いかけたところで唇を塞がれた。
そして冷たい液体が口腔に流れ込んでくる。
スポーツドリンク・・・?
キスにかこつけて、吉井が俺に水分を与えてくれたことに気がついた。
飲んだおかげで一瞬気分がすっきりして、探るような目が至近距離から見下ろしているのが見えた。
「もっと飲む?」
「・・・うん」
いつもは何とも思わないんだけど、そのとき、まるで吉井が俺を一番近くで守ってくれるガーディアンみたいに感じられて、安心して束の間目を閉じた。
本編が終わって袖に下がると、あっと言う間に何人もに取り囲まれた。
誰も彼もが俺を気遣って「大丈夫?」「できる?」「無理しないで」と声をかけてくれる。
本音を言うと、もうこのまま倒れてしまいたかったけど、チケット代払ってわざわざ来てくれてるお客さんのことを思うと、「できない」とは言えない。我侭な思考回路だとは思いながらも、しんどさも相俟って、心配してくれてるみんなに、胸のうちで悪態をついた。
大丈夫じゃないことくらい、見りゃ判るだろう。
できないって言えないことくらい判るだろう。
無理だってしなきゃしょうがないじゃないか!
だから今は余計なことは言わないで、さっさと出させて。
早く全部終わって安心したい。
でもアンコール前は、くたくたの状態に、ラストスパートかけるための、大事な時間でもある。
俺ひとりのために、そんな我侭は言えない。
俺は持て余した泣き言を、「ごめんね」と繰り返すことで誤魔化していた。
パン!
と、誰かが手を打った。
「ラスト1曲!DOGHOUSE!」
周りでざわついていた誰もが黙る。
言った吉井だけが平然と立ち上がってシャツを直し、さっさと楽屋を出て行った。
ラスト、1曲?
全身が、ほっと安堵の息をつく。
英二が俺を支えながら
「まだ兄貴フラフラなのに、そんなに急いで出なくても・・・」
と文句を言ったけど、吉井の仕業のほうが俺の気持ちを的確に察してくれていて、泣きたいほど嬉しかった。
アンコールは殆ど記憶にない。
気がついたら、大きな歓声に包まれていて、肩からストラップを外してもらってるところだった。
吉井の背中が小さくなる。
俺も板を降りなきゃ。
・・・そう、笑って。
いつものように片手を上げて、殆ど習慣で客席に投げキスを贈って、袖の暗闇を視覚に捉えるなり、すぐさま床が迫ってきた。
え?
床?
と、思う間もなく、力が入らない全身が重力に従う。
誰かが助け起こそうとしてくれてるけど、足が立たない。
恥を忍んで、隣を歩く英二におんぶでもしてもらおうかと頼みたかったけど声が出ない。
泣きたい気分でへたりこんでいたら、ふっと身体が持ち上げられた。
肩と、膝のあたりに細い腕。
押し付けられた胸は汗まみれ。
そこに馴染んだコロンの匂いが混じった。
・・・これって・・・。
恐る恐る目を開けて、その身体が誰なのか確認した。
それはやっぱり、ガーディアンだった。
憮然とした顔で、煩そうに頭を振って金髪を払いながら、吉井が俺を抱き上げて廊下を歩いてる。
吉井って、すごいかも。
そろそろ長いつきあいになってきてるこの男の凄さを、俺は今日初めて思い知った。
さっきから、なんで俺が一番何をして欲しいのか判るんだろう。
吉井はすぐに「エマさんは大人だね」とか言うけど、俺にはこんなに的確な気働きはできない。
吉井の鼓動のリズムに合わせて、安堵と一緒に自分に対する情けなさが込み上げてきて、俺はソファに降ろされたあとも、吉井のシャツを離す気になれなかった。
額に濡れたタオル。気持ちいいけど、少しぬるくなってきた・・・と思った途端、吉井がそれをひっくり返して、乗せなおしてくれた。
さっきから俺の望むことを的確に施してくれる吉井の顔はずっと仏頂面で、他の人たちが貼り付けてる、子供を見るような心配そうな視線がないから、余計に自己管理の欠落を責められてるような気がして気が引ける。
迷惑かけたこと、謝らなきゃ。
だけど「ごめん」って言ってしまうのも口惜しくて、じわっと涙が出そうになった。
この年下の男に、男として負けたような気がして。
「ごめん、とか言うんなら、聞かないよ」
そして吉井は俺の謝罪の言葉さえも封じた。
・・・・・・・・。
そうきたか。
そこまで察知するか。
・・・もしかしたら、こいつってエスパーかもしれない・・・。
高熱でフラフラした頭で、俺は少しばかり暢気なことを考えてる自分がちょっと可笑しかったけど、それでももしかしたら本当にエスパーだってことも有り得るかもしれないと思うと、ちょっと怖かった。
「ありがとう・・・」
謝罪を封じられたから感謝を述べながら、吉井が俺の手を握ってるのに気がついた。
もしかして、こうして心を読むんだろうか。
それだったら、カラミとかで普段くっついてるぶん、俺の心を読むのは、他の人のを読むよりもやりやすいかもしれない・・・。
なんて、アホなことを考えたのは、
熱の所為なのか、本気で吉井の察知能力が怖かったのか。
そのへんはよく判らない。
end