ふわふわ



エマさんが風邪をひいた。

ツアー中に風邪ひいて、ステージのある日に高熱なんて弛んでる証拠だぞ!・・・と、怒鳴るのは簡単なことだけど、39度前後の熱を出しても寝込まない根性を見せられると、そんなことは言えない。
シャツが摺れるのも不快らしく眉を顰め、顔色を隠すためにいつもより濃い目のファンデーションを塗りながらも、上半身はあっちにフラフラ、こっちにフラフラ。
アニーが
「もうちょっとあったかい衣装にしたら?」
と促してみたけれど、
「それじゃお客さんに悪いから」
と、億劫そうながらも気丈に微笑む。

・・・なんつーか、男だ。

いや、そりゃエマさん一人が風邪だからってライブ中止なんかにしたら、損害は計り知れないし、そもそも俺らは何回もライブしてるけど、来てくれるお客さんはこれ1本だけって人も少なくない。
だからエマさんの根性は当然といえば当然なんだけど、どうにも見てて可哀想になってくる。
普通の男より線の細い風貌が、彼を少しばかり儚げに見せている所為かもしれないから、それもまた口には出せないけど。
そんなこと言ったら怒る人だし。
辛いとこに嫌な思いさせたくないし。

「吉井、今日さ、セットリスト変えないか?」
ヒーセがエマさんの様子をじっと観察した上で提案してきた。
「例えば・・・SWEET & SWEETやめてHARD RAINにするとか、SUCKやめて・・・」
「変えない!」
ぐったりとメイクボックスに突っ伏していたエマさんは、それを聞くなり遮って叫んだ。
ソロで早弾きしたりアクションの激しい曲を減らしてゆったりしたナンバーにチェンジしようという意図が見え見えだったからだろう。
「バラード多すぎたらお客さんがダレる。楽しみに来てくれてるのに・・・」
反論しながらも、息が切れてる。

ああ、もう・・・この人は。

「エマさん、できるって言うんだし、セットリストは変えなくていいじゃない。時間ひっぱらないように気をつけるよ」

ムキになったら必要以上に無理してしまう人だから、怒らせるようなことや、気を遣わせるようなことを、俺は口にしない。
優しい労わりの言葉だけが人を癒す訳ではないのだ。
予想通りエマはほっとしたような顔で、「5分前です」というスタッフの声に立ち上がった。


エマさんは風邪が嘘みたいに、いつも通りにアクションをこなした。
オープニングからの連続3曲の間、一瞬たりともヨレることなく。
アニーやヒーセが気遣うように何度もエマに視線を送るから、余計にムキになってるみたいに動きが派手になっていく。

だけどやっぱり辛いらしく、俺のMCの間にいつもの倍ほどの水を飲んだ。

こりゃ、バテるな。
そう判断した俺は、ギターを運んできたスタッフに
「エマの水、スポーツドリンクにして、できるだけ沢山用意しといて」
と頼んだ。

エマという人は、本当に不思議な人だ。
フェミニンな外見をしている癖に男っぽくて、こういう時は絶対に虚勢を張る。
だけどどこまでも強いかというとそんなことはない。
割と俺と似たような気質の部分があるから判るんだけど、強がりは弱さの裏返しってヤツで、本当は結構脆いところもある。メンバーみんなそういうタイプっちゃタイプだけど、俺とエマさんはその触れ幅が多分、他の2人より広い。
そのくせふわふわと浮世離れしてて、よく笑うのにクールで、でも頑固で、結構完璧主義で・・・。
昔はそういうのが判らなくて、「難しい人だなぁ」くらいに思ってた。
天然ボケの言動も「女にモテようと思ってわざとやってる」と思ってた。

でも付き合いも長くなってきて、だんだんそういう人となりが見えてくると、ちょっとその気質が可哀想。
ただ単純に、不器用な人なんだ。
それだけ。

暫くして、水がスポーツドリンクに変わってるのに気付いたエマさんは、ちょっと驚いたような顔をして袖のスタッフやステージを見回した。
視線がこっちに来そうなのを察知して、俺は無意識に注視してたエマから目を逸らして、MCのために声を張り上げる。
だけどそれで俺の仕業だと気付かれたらしい。
次のバラードのギターソロで俺に近づいてきて、背中を合わせたまま「ありがとう」と呟いた。

振り返ったら、エマさんはちょっと気まずそうな顔をしていた。
却って気を遣わせてしまったのを察知して、本当なら「しまった」と思うべきだったのに、意に反して俺の口角が上がった。
気遣いはさりげなくやることに意味があるのに、びょこっと脳裏に浮かんだ言葉は

・・・気付いてくれた!

アホか、俺は。
親切の押し売りは美しくない。



ライブが後半に入ってからは、エマさんは本当に苦しそうになってきた。
フロントを向いてる間は、相変わらず微笑みを浮かべて、楽しそうに振舞ってるけど、流れる汗がいつもの比じゃない。
目を閉じて弾いてるとき、いつもなら陶酔してるんだと思って微笑ましいのに、今日はなんだか視界を遮ることで少しでも身体の安楽を求めてるみたいで気にかかる。

クライマックスともいえる『SUCK OF LIFE』に突入した頃には、気丈に堪えてた足取りまで怪しくなってきた。
俺は早く絡みの時間にならないかと、そればかり考えてた。
いや、別にフラフラのエマさんにいやらしく絡みたいとかそんなんじゃないよ、当然。
絡んでるときは俺に凭れさせてあげられるから、ちょっとは楽じゃない?

漸く間奏に入って、いつもならある程度間を置くものの、今日ばかりは素早くエマさんに近づく。
お客さんは喜んで一際大きな歓声を上げた。

今日はマイクでギターをスクラッチしたりとか、そういうことはしない。
一応は形ばかりやったけど、すぐに起き上がって、ギターに触れないように注意しながらエマさんを横から抱き寄せた。

うわ・・・!
身体が燃えるほど熱い。
瞳とか完全に潤んでて、ファンデーションが汗で流れた顔は紙のように白いのに、頬のあたりだけ不自然に赤い。息遣いも荒く、殆ど立ってるだけでやっとって風情。
水を、せめて今すぐ水を飲ませてあげたいけど、このあとメンバー紹介が入る。アニーの紹介の間に水を飲む気になってくれたらいいけど、このぶんじゃ理性が働いてるかどうか・・・。

俺は少し考えてエマさんを離した。
あまりにも短いカラミ時間に、客から落胆の声が上がる。
心配するな。ちゃんと見せてあげるから。
ドラムセットの脇に置いたスポーツドリンクを取り上げ、口に含んでエマさんの元に戻った。
顔を近づけたらエマさんが抗う。
「吉井、今日はキスは・・・」
感染るから、と言われる前に唇を捉えて、口移しでまだ冷たい液体を流し込んだ。
少しばかり仰け反った喉が、嚥下のためにコクっと揺れる。
ついでに縋るみたいに背中に回してきてた左手に、ぎゅっと力がこもった。
「もっと飲む?」
「・・・うん・・・」
素直な返事にちょっと微笑んで、エマさんを抱いたまま、あえて客に見せ付けるみたいに、新しい液体を口に含んで再度口移す。
オーディエンスは完全にパフォーマンスだと判断して、エマさんの不調は悟られることなく無事に乗り切った。


アンコール前に一旦引っ込むと、待ちかねたようにアニーがタオルでエマの汗を拭き、バッグから換えのシャツを出す。
濡れタオルで額を冷ましながら、エマさんは何度も
「ごめんね、ごめんね」
と繰り返した。
うわごとめいてきてる。
俺はそろそろ限界なのを悟って、出の前に
「ラスト一曲!DOG HOUSE!」
と宣言した。
本当はアンコールは2曲の予定だったけど、どうもそこまでは保ちそうにない。
だからって「曲減らそうか」なんて相談の形をとったら、また「できる」と言うに違いない。
宣言してしまうことで、拒否の選択肢を奪い取ってやった。

なんとかアンコールを終えて、袖に降りるなりエマさんはぶっ倒れた。
「ごめん」と何度も謝るエマさんの肩を担ごうとするスタッフたちを制して、その身体を抱き上げた。
歩かせるなっつーの。
普通にライブ終わっただけでもマラソンしたみたいにフラフラなんだから。
楽屋に運ぶと、医者がスタンバってた。
ライブ中盤あたりで、病院に担ぎ込むのも時間が惜しいと思って、田中に頼んでおいたんだ。
ソファに横たえられたエマさんは、そのまま着替えのために離れようとした俺のシャツの裾をぎゅっと掴んだ。

「・・・どうしたの?」

荒く浅い息を乱しながら、エマさんは俺をじっと見つめた。
涙が落ちそうなのは、熱の所為なのか、責任感ゆえか。
謝罪してもらう必要はないと思って、俺はエマさんの熱い手を握った。

「ごめん、とか言うんなら、聞かないよ」

だけど、俺の言葉にエマはかぶりを振った。

「ありがとう。・・・吉井、ホント、ありがと・・・」

言い終わると目を閉じて、だけどまだ俺の手は離さない。
俺はソファの隣に座り込んで、冷たいタオルを額に置きなおしてやりがてら、そっと汗に濡れた額髪を払った。

片目を覆う前髪を退けると、エマさんの顔は本当にあどけない。
医者に「点滴しますから」と言われてやっと我に返り、自分の着替えのためにその場を離れながら、ちょっとした自分の異変に気がついた。

あれ?
なんか、足元がふわふわしてる。
エマさんの風邪が感染ったか?

やばいな。
あとであのお医者さんに風邪薬貰っとこう。

そんなことを考えた1分後、着替え始めた俺の頭の中をぐるぐる回っていたのは、エマさんの容態への懸念とかライブの出来への反芻とかじゃなくて。

背中合わせに「ありがとう」と呟いたエマさんだとか。
うるうるの目で口移しにスポーツドリンクを飲んでるエマさんだとか。
離れようとしたのに俺のシャツを掴んだエマさんだとか。
俺にだけは「ごめん」じゃなくて「ありがとう」と何度も言ったエマさんだとか。

とにかく沢山のエマさんで満員になってて、エマさんの人口密度で平衡感覚を失った俺は、ますます全身がふわふわしてくるのを、意識したかどうかも。

実はよく憶えていない。


end



153.静寂に続く

back