静寂 |
だからエマさんの風邪が感染ったと思ったんだ。 思ったのに、結局薬を貰い忘れた自分が悪いんだ。判ってるよ。 でも寝込んだのはちゃんと移動日だ。ライブじゃない日だ。偉いだろう。 などと自慢してみても、ホテルの部屋には誰かいるわけでもなく、静寂が虚しい。 東京を出るときから怪しかったのが、新幹線の中で居眠りから目覚めて本格化した。 ガンガン頭が痛くなって、気がついたときには体温は38度。3日前のエマのことがあるから、大事をとってラジオ出演はヒーセとアニーに代わってもらって、俺はホテルに直行して、無駄にツインの広い部屋でこの通り寝込んでる。 2時間前に医者が、大っ嫌いなぶっとい注射を打ちやがって・・・いや、打ってくださって、そのお陰で頭痛は消えて、今となってはちょっと暇だ。 暇になると、ここんとこどうにも一つのことに思考が集中してしまう。 今も、瞬時に頭に浮かんだのは、「エマさんもちゃんと寝てるかな」だった。 エマさんはもう熱もすっかり下がったんだけど、社長やメンバーをはじめ、スタッフ全員が何故かエマさんには過保護なので、大事をとって仕事を入れていない。ついでに外出もさせてもらえず、今頃隣の部屋で寝ている筈だ。人に愛されるタイプの人だから、そういうのは羨ましくもあるけど、もう大人なのにちょっと度を超えてるとこがあって、少しばかり可哀想。 多分周囲で一番エマに厳しいのって、俺なんじゃないかな。 この間のライブのときだって、ヒーセがセットリスト変えようっつっても強行させたし。 時々、俺だけエマさんに少し嫌われてるかもなって思わないでもない。 いや、嫌われてるってことはないだろうけど、みんなほど好かれてないんじゃないかなって。 移動とかしてても、ヒーセやアニーの横に座りに行ったり、気の合ったスタッフに懐いてたりするのはよく見かけるけど、プライベートな場では俺のところにはさっぱり来ないし。 この間、俺に「ありがとう」を何回も言ったのだって、俺が「ごめんだったら聞かない」とか言った所為かな、だとしたら手を離さなかったのも、あんなときに冷たい言い方した俺が怖かったのかな、とか、考え出したらキリがない。 はぁぁ・・・。 もしエマさんが俺のこと苦手だったら寂しいな。 人に、自分にだけ距離を置かれるのって凹む。 それならそれで、自分からエマさんに寄ってけばいいんだけど、どうもそれができないんだよな。 たまにヒーセやアニーと喧嘩したりとかしても、気まずさのあまり自分から声をかけるのは何でもないし、スタッフたちに立ち混じってても、気は遣うけど自分から動けないということはない。 なのにエマさんにだけ、自分から寄ってくことができない。 エマさんが他のヤツと楽しそうに話してて、その話題が自分的にも興味を惹かれる内容であっても、つい 「ねぇ、吉井は?」 と、話題を振ってくれるのを待ってしまう。 打ち上げとかでエマさんの隣の席が開いてても、つい他に座るところがないか探してしまう。 なんでだろ。 もっと仲良くしたいのに。 全然嫌いじゃないのに。 それどころか、周囲の人間の中で一番気になるほど近い人なのに。 この間、エマさんが倒れた時みたいに、咄嗟の事態のときには何の気負いもなく動けるのに。 普段の距離を自分で恥じて、その所為で余計に公の場ではエマさんの隣を陣取ってしまう。 ステージとかで「恋人です」なんて言ってるくせに、実はプライベートでは傍に行くのにも一瞬躊躇うような自分を他人に気付かれたくなくて。 エマさんはいつもそれに調子を合わせてくれるけど、やっぱりそれはその場限り。 素に戻ってしまうと、もう隣には来てくれない。 俺はそれを意識してるから、仕事で俺たちに関わった人に「お2人、仲いいですよね」なんて言われると、少し気まずい。 しかもエマさんは全然そんなこと意識してなさそうだから、余計に。 なんかさぁ。 それがここんとこ、やけに寂しいんだよな。 寂しいもんだからエマさんのことばっかり考えてしまう。 この間エマさんが、俺のシャツの裾を握ったとき、嬉しかったな。 なんだかすごく頼られてるみたいな気がして。 そういうのがいつもだったらいいのに。 バスや新幹線の中や、打ち上げの場で、どんなに席がガラガラに空いてても、俺の隣に来てくれたらいいのに。 仲良くなりたい。 もっともっと仲良くなりたい。 無二の親友だって自他共に認められるくらい仲良くなりたい。 「あーあ。寂しいな」 ぽつんと呟いたら、一人の部屋での静寂が余計に際立って、ますます寂しくなってしまった。 それから俺は、なんとなくトロトロまどろんだ。 熱のあるとき特有の気だるい眠り。 起きたときにはだるさが倍になって、また眠りに落ちていく。 さっき測ったら、熱はもうだいぶ下がってたから、何か突破口でもあればこういう怠さは拭えるんだけど、如何せん一人ではどうしようもない。しかも煙草はまだまずくて嫌になるばかり。 何度目かの夢の中で目を開いた。 あたたかな日差しがホテルの大きな窓から降り注ぐ。 隣のベッドでエマさんが寝てた。 プライベートスペースにエマが来てくれたのが嬉しくて、ふたつのベッドの距離も勿体なくなって、エマさんの眠るベッドにもぐりこんだ。 エマさんが目を開けて、俺の胸に頬を寄せてくる。 それをステージでするみたいに抱き寄せて、 「なんだ、俺とエマってこういう関係だったのか」 と呟いた。するとエマさんは何かとてつもなく可笑しいことを聞いたみたいに笑って 「何言ってんの、今更」 と甘えた声で言った。 心配事が全部なくなって、俺は嬉しくてエマさんの唇にキスしようとして―――――・・・ 本当に目が覚めた。 外は既に暗い。勿論、部屋の中も。 さっきの目覚が夢の中の出来事だったことに気付いて、「何だよ、いい夢見てたのに」と独り言を呟き、寝返りを打ってから、 「は?」 と自分に聞き返した。 いい夢見てたって・・・エマさんと抱き合って寝てる夢が、か? そりゃあれは仲良しの行動だろうけど、『大親友』っつーのとは、なんか意味合いが違わなかったか? ・・・・・・・・・・。 暫く逡巡して、ちょっとこれは結論を出さないほうがいいらしい、ということにして、もう一回寝なおそうと布団に潜った。 ・・・畜生、寒いなぁ。また熱上がるのかな。 今度はあっさり寝付けない予感に少しばかり苛立ち始めたときだった。 コン、コン。 ノックの音。 誰か来たのか?と、ベッドから降りてドアを開けたが、誰もいない。 なんだ、気のせいか、と、もう一度ベッドに上がりかけたところで、またノックの音がした。 なんだ? こっちはライブ前に風邪ひいてんだよ。 悪戯や怪奇現象に付き合ってる暇はねぇんだよ。 ところが。 「吉井、こっち」 足元の壁のほうから微かな声がする。 この声は・・・エマさん? 声のほうを注目したら、部屋の中には何故かドアがあった。 そろそろとそっちに寄って鍵を開ける。 すぐにドアが僅かに開いて、気になって仕方ない俺の悩みの種が顔を覗かせて、 「この部屋ね、コネクトなんだよ。知ってた?」 と笑った。 部屋着の寛いだ姿は、やっぱりエマさんも今まで寝ていたことを物語ってる。 思いがけない来訪に 「そうなんだ」 と、戸惑いながらも招き入れつつ、また夢を見てるんじゃないかと思った。 だってエマさんがこんなふうに俺を訪ねてくれることなんて今までなかったから。 ツアー中に一緒に部屋で過ごしたのって、二人部屋のときと誰か他のメンバーが一緒のときだけ。考えてみたら二人だけで飲みに行ったりしたこともない。 エマさんは入ってくるなり俺の額に手をあてて 「まだちょっと熱いね」 と、ベッドに促して、洗面所に消えた。 ほどなく絞ったタオルを手に戻ってきて、俺の額に乗せてくれる。 「この間、吉井がこうしてくれて嬉しかったから」 少し照れたみたいに笑いながら。 じわっと胸の中が熱くなった。 「うん」 としか返さない俺に気を悪くすることもなく、 「なんか欲しいもんとかある?」 と、気を遣ってくれる。 どうやらエマさんは俺の看病をするつもりらしい。 「いや、別にいらない。エマさんも病み上がりなんだから、寝てたほうがいいんじゃないの?」 気を遣わなくてもいいよ、っていうつもりで言ったんだけど、エマさんは表情を曇らせた。 それで思考回路を察知する。 いや、そうじゃないって! 「迷惑とかそういうんじゃないから誤解しないでね。ホント、違うから。凄い嬉しいんだけど、折角治ったのにまた感染しちゃったらいけないから」 慌てて説明すると、エマさんが笑った。 「同じ風邪にはかからないって。だって吉井の風邪、俺の風邪だもん」 だけど一応ね、と、隣のベッドに潜りつつ続けた。 「だからキスはダメだって言ったのに」 そうか。 これはエマさんの風邪か。 そうだな、キスで感染った・・・・・・・・・・・・・・。 そこまで考えて、俺は予期せずカーっと頬が熱くなるのを感じた。 いや、ちょっと待て、俺の反応。 今までステージで何回キスしたと思ってんだ。 パフォーマンスのキスを意識してどうする。 っていうか、意識することがそもそもどうかしてる。 「だからどうせ寝てなきゃいけないんだったら、吉井んとこで寝ようかなって。吉井の具合悪くなったらすぐ判るでしょ?」 俺のトコで寝・・・・。 エマさんの発言でさっきの夢を思い出してしまって、なんだかどうにもそわそわと落ち着かない。 この部屋の中は先刻までと変わらず、エマさんがときどき何かいう言葉が聞こえるだけで、静かなままなのに、急遽バクバクと騒ぎ始めた自分の鼓動でうるさくて眩暈がするくらいだ。 それを境に、その後すっかりと日常から『静寂』というものが消えた。 end |
155.フルーツに続く |