「おっはよー」
8月。
快晴の空。
今日のステージに向けて気合を込めて、上機嫌のまま楽屋のドアを開けた。
「おはようっす、吉井さん」
「今日も頑張りましょうね」
「天気よくて良かったっすね」
バンドメンバーやスタッフたちに次々と声をかけられる。
辛いこもとあったけど、やっぱり俺はこの世界に戻ってきて良かった。ここが俺の生きる場所。気分も最高!
「あ、おはようございます、エマさん」
「早いっすねー」
ただ、そんな気分に水を差すヤツがいる。
「うん。おはよ。今日も頑張ろうね」
・・・何が頑張ろうね、だ。それは俺の台詞だ。貴様はただのサポートメンバーだろうが、と、胸の中で毒づく。
あーあ、今日もヘラヘラとわざとらしい笑顔貼り付けて登場しやがって。前から思ってたけど、エマの笑顔ってなんか勘に触るんだよな。はっきりいって気に入らない。喋り方も嫌だ。ふわふわした語調で女騙してんだよ、どうせ。
昔っからそうなんだよ。天然ボケのフリまでしてモテようとするか?普通。
エマが俺の険しい視線に気付いたのか、チラっと一瞥をくれて大げさに眉を顰めた。
そして他の誰にもやらないんであろう、侮蔑と嫌悪の入り混じったガンつけをくれると、机の対角線上、俺から最も遠い位置を選んで座った。
ま、そりゃそうだ。
俺たちは元々犬猿の仲ってヤツ。
イエローモンキー時代から、必要最低限のこと以外は一切話したことがない。
初対面のその瞬間から、お互いに大っ嫌いだった。それがなんで一緒にバンドを組んで、無意味に絡むなんてこと始めたのか、理由はあまりに昔のことすぎてもう思い出せない。
それがソロ活動のサポートにまでしゃしゃり出てきやがった時には、本気で殴ってやろうかと思った。
お前と離れたくてしたくもない解散したのに、なんでいるんだコノヤロー!と、思ったけど、どうやら会社サイドからの何らかの申し入れがあったんだろう、嫌々ながら今もここで弾いてる。
まぁ、ファンは喜ぶし?動員だって上がるし?
会社はそれでいいのかもしんないけど、エマがその要請を受けたっつーのがね。ギャラだってそりゃいいんだろうけど、ミュージシャンとしてどうかと思うよね。
俺はコイツのそういうところが腹の底から大っ嫌いなんだ。
が、公の場ではそういうのは顔には出さない。
大人だから。
昔から俺たちは表面上仲良しの仮面を被ってきた。
今更それを壊して、ファンの子たちを悲しませる必要はない。
だから一応流れでこういう活動になってしまった以上、俺も現状を我慢している。
でも、その活動のお陰でどう考えてもソリの合わない俺たちの距離は一気に縮まった――――・・・訳もなく、今となっては挨拶すらしない関係だ。っていうか、当然ながら会話もしない。必要な話すらしなくなった。
田中がちょっと困った顔で話しかけてきた。
「あの、吉井さん。エマさんが、今日結構湿度あるからギター変えたいって言ってる・・・ん・・・ですけど・・・」
「はぁ?何使うって?」
「えーっと・・・」
メモを取り出して読み上げた楽器と曲の割り当てを脳内で確認して、俺はまた苛々する。
「あのさ、それじゃギターのアクが強すぎて歌を殺すでしょ。んなことくらい考えて提案しろっつっといて」
田中は肩で大きく息を吐きながらエマの元に小走りで近寄って行った。
間もなく困り果てた声が上がる。
「そんなの、僕、言えません。エマさんが自分で言ってくださいよぉ」
「なんでだよ。それが田中の仕事でしょ?なんで俺がわざわざあんなヤツと口きかなきゃいけないの」
「エマさん・・・」
「自分の歌が生きないのを、俺のギターの所為にすんなってはっきり言ってよ。いちいちウザいな、あの男」
伝言してくんなくても聞こえてるっつーの。
気に喰わないなら辞めりゃいいだろうが!
苛立ちのままに机を蹴ったら、他のメンバーがびくっとした。
悪いね。いつも気を遣わせて。
「あのー・・・」
そこへまだ田中が話しかけてくる。
「何だよ!」
「えっと、エマさんとツーショットのオフショットが撮りたいと、取材が」
「・・・・・・・・」
俺は無言で立ち上がった。
エマも渋々立ち上がる。
「すみませーん、お願いします。あ、そうですね、肩なんか組んじゃって」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
俺たちは無言のままで近づくと、カメラを向けられるなり――――・・・いつもながら名人芸だと自分で思うけど、恐ろしく屈託なくくっついて笑った。
シャッター音が聞こえる間、俺はエマの肩を抱いて、エマもまるで親友か恋人でもあるかのように俺の目を見て笑う。
が。
「ありがとうございましたー」
外野が出て行くと共に。
「・・・もういいでしょ。いつまでくっついてんだよ」
「こっちの台詞だよ。鬱陶しい」
この通りだ。
ああ、本当に、ここにエマさえいなけりゃ最高なのに!
仕事とはいえ、なんで俺はこんなヤツと一緒にいなきゃなんないんだ!
わが身の不幸か?
離れた瞬間、エマが俺の触れたあたりを汚そうに払ってる。そしてうっかり視線が合うなりボソっと呟いた。
「・・・・・・・・・・・最悪」
「んがっ!」
急に息ができなくなって飛び起きた。
目の前で、エマがクスクス笑ってる。その指先は俺の鼻をつまんでいた。
「ゆ・・・夢?」
そりゃ、夢だろう。
なんつー有り得ない夢を見ていたんだ、俺は。
俺がエマのこと大っ嫌いで?
エマも俺のこと大っ嫌いで?
俺たちが触れるのも、喋るのも嫌ってくらいの犬猿の仲で?
な、な、なんつー夢だ!
史上最凶の悪夢!
お祓いに行ったほうがいいかもしれない。
「居眠りするのはいいけど、こんなとこで寝唸りしないでね?みんな怖がってるよ?」
エマの柔らかい声に促されて顔を上げたら、ここはライブ前の楽屋だった。俺は机に突っ伏して眠っていたらしい。小さな机の対面に座って、エマは身を乗り出す形で肘をついて俺の顔を覗きこんでいた。
「エマ」
「んー?」
視線は逸らされない。
そりゃそうだ、俺たち仲良しだもん。
表面上じゃなくて、心の底から仲良しだもん。
「エマさん、喋って」
「え?何を?」
「何でもいいから俺と喋って」
「・・・変なヤツだなぁ、吉井は。どうしたの?怖い夢でも見た?」
言いながら椅子を移動させて、俺の隣に座る。
くっついたところを払うこともなく、エマは自ら俺の頭を撫でてくれた。
そりゃそうだ。
だって俺たち仲良しだもん。
親友だもん。
親友で、その上10年以上前からラブラブだもん。
こんな優しいエマを嫌っていた、夢の中の自分が許せない。
あ、よくさ、「自分で自分が許せない」っていうじゃない?
そういうんじゃなくて、本当に敵のように許せない。なんだあのヤローって感じ。エマちゃんを不快な気分にするなんて、たとえ自分でも絶対に許さないんだ俺は!
なんだか無性にエマに甘えたくなって、俺は人目も気にせずがばっと抱きついた。
エマは「え?吉井?」なんていいながらも、俺の背中を撫でてくれる。
「怖い夢、見たよぉ」
「子供みたいだね。ほら、泣きべそかかない」
「エマぁ、ちゅーして」
「は?こんなとこで?ヤだよ」
見上げたら、顔を真っ赤にしてエマさんは首をふるふる振っていた。
可愛い。
「じゃあ、抱っこ」
「してるじゃん」
「もっと」
「・・・ほんと、どうしちゃったの。そんなに怖い夢だった?悪夢は人に話すと正夢にならないっていうよ?」
どこまでも優しいエマは、俺を「よしよし」してくれながら促してくる。
そうか、正夢になるのを回避しなくては!
その気になった俺は、夢の内容を話しはじめた。
まさか、それが喧嘩の火種になるとは思いもしないままに。
end
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